映画「島守の搭」の監督の舞台挨拶

吾輩は、2015年2月26日に題名「栃木県の偉人・荒井退造について」を書いて以来、これまでに10本前後の文章で荒井退造を紹介してきた。そういうことで9月17日、柏市の映画館で映画「島守の搭」(監督・脚本:五十嵐匠)の上映が始まったので観て来たが、この日が初日ということで、上映後に五十嵐監督の舞台挨拶とサイン会が行われた。

そこで映画の内容は皆さんに観てもらうとして、五十嵐監督の舞台挨拶と吾輩の質問に対する返答を紹介する。だが映画の最後の最後に、香川京子さんが沖縄県糸満市摩文仁の丘」に建つ島田叡(沖縄県知事)と荒井退造(沖縄県警察部長)の「終焉之地」の碑に向かって、花束を持って階段を上って行く場面では、さすがに万感胸に迫ってきたことだけは報告したい。

○当初、映画「二宮金次郎」という作品を完成した後、次は田中角栄の若い時分の映画を考えていた。ところが4年前、あるプロデューサーが「沖縄県には島田叡と荒井退造という面白い人物がいる。2人とも沖縄戦で行方不明になった高級官僚だ」という話しを聞きました。

○私は調べるより先に現場に行く方なので、すぐ沖縄県に行き、摩文仁平和祈念公園に島田と荒井の名が並ぶ立派な「終焉之地」の碑を見ました。また「ひめゆり平和祈念資料館」では、学徒の手紙を読んでいた修学旅行中の女子高校生がぼろぼろと涙を流す姿を見ました。さらにガマ(沖縄の自然洞窟)の中に入って、真っ暗闇の体験もしましたが、あの暗さに驚きました。島田は、沖縄県最後の官選知事であったが、最初は名前も読めないくらいの知識であった。

○続いて、荒井の出身地の栃木県に行くことにして、荒井の親族と連絡を取りました。宇都宮市出身者ということであったが、生家は宇都宮駅から随分と遠いということで、乗用車で迎えに来てくれました。当時、地元紙「下野新聞」が荒井のことを報道していたが、地元ではさほど知られいなかった。生家では「きんぴらゴボウ」が出ましたが、これが旨かった。そう言ったところ、親族が「退造さんもきんぴらゴボウが大好きでした」という話が出たので、その時に荒井がきんぴらゴボウを食べるシーンは欠かせないと考えました。ですから、映画の中では1944年に栃木県清原村(宇都宮市)に帰郷した荒井が、おいしそうにきんぴらゴボウを食べるシーンを入れました。

○私は取材中、自分の身分を「映画監督」と明かさないようにしています。身分を明かすと、映画に期待されて煩わしいからです。だから、取材する時には「その人物に関心があり調査しています」ということにしています。

○映画を製作するには、膨大な資金が必要です。今回の映画も「どうしたものか」と思案していたところ、救う神があるもので「下野新聞」の関係者が、私の居住地である「浦和」を訪ねて来ました。そうするうちに、島田の地元紙「神戸新聞」、さらに沖縄県の地元紙2紙も支援してくれることになりました。

○映画のクランクインは2020年3月で、沖縄県から始まった撮影4日目に、スタッフ・キャスト100人のうち11人が発熱で倒れました。その当時、新型コロナウイルスが流行り始まっていたし、志村けんさんの訃報もあり、コロナを疑って病院で検査したところ、全員「熱中症」であった。しかし、映画の主要な命題が「命こそ宝」であるにも関わらず命を無視して良いのか、と随分と悩みました。結局、スタッフなどと検討した結果、一旦中断することにしました。

○映画の製作には膨大な経費がかかるので、撮影を中断することは普通なら製作中止です。しかし、今回の映画の主役である萩原聖人(沖縄県知事・島田叡)、村上淳(警察部長・荒井退造)、吉岡里帆(県職員・比嘉凛)の3人は、いずれも「いつでも戻ります」という返答であったので、勇気をもらいました。

○コロナ禍で1年8カ月間に及ぶ撮影中断を経て、昨年11月から12月にかけて栃木県で撮影を再開し、ようやく今年に入って映画は完成しました。そして、今年7月22日より全国公開が始まりました。

五十嵐監督の舞台挨拶の後、会場内から6人くらいが監督に対して質問が出た。その中の一人が吾輩であるが、次のような質問を行った。

「私は、栃木県で荒井退造を顕彰している人との関係から退造を知り、これまでに10本くらいの文章をネットに掲載してきた。その中では、退造の映画化を望む文章もあり、その意味で映画化されたことに感謝しています。

ところで、映画の最後に字幕スーパーが流れましたが、その中にエキストラとして、栃木県からたくさんの名前が出てきました。栃木県の次は兵庫県のエキストラの名前が出てくるかと予想したが、次に出てきたのは沖縄県のエキストラであった。あの大量の栃木県のエキストラは、何をしたのですか」

これに対して、五十嵐監督は次のような返答を行った。

「栃木県のエキストラの数は300人と思うが、岩船山中腹採石場跡で撮影した沖縄戦の場面に出てくれた人たちです。だから、沖縄戦の場面は、全て栃木県のエキストラによって完成したのです。ただ、季節が11月であったので、沖縄県の季節感を出すことに気を使いました」

以上の話を聞いて、いかに今回の映画「島守の搭」の製作で、栃木県の貢献が大であるかがわかった。つまり、栃木県で2015年から荒井退造の顕彰作業が盛り上がったことで、今回の映画製作に繋がったと言える。それくらい、栃木県の貢献度が大きい映画であるのだ。

なお上映後、五十嵐監督のサイン会があったので、映画館で購入したパンフレットにサインしてもらうとともに、五十嵐監督の発言が掲載されている吾輩の4冊目の本を手渡して帰宅した。