統一教会の殺人未遂事件を知ろう

7月8日午前11時半過ぎ、安倍晋三元首相が街頭演説中に銃に撃たれて殺害された以降、銃撃事件の背景に「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」〈本文では全て「統一教会」と表記〉が関係していることを報道で知り、諸々の出版物やネットで統一教会の知識を得ることに努めてきた。そうした中で、1987年5月3日に起きた「朝日新聞阪神支局襲撃事件」の取材班キャップを務めていた元朝日新聞記者の著書「記者襲撃ー赤報隊事件30年目の真実」(著者=樋田毅、2018年2月21日第1刷発行、岩波書店)が非常に勉強になった。そこで、同「事件」の3年前の84年6月2日夜、何者かに襲われた「副島襲撃事件」が起きたので、その気になる部分を紹介する。

なお、本書の登場人物や団体名等は仮名になっているが、明らかに判明しているものは実名に変換した。

〈襲われた(世界日報)元編集局長〉

副島喜和氏らの論文が掲載された『文藝春秋』七月号は、六月一〇日前後から全国の店舗に並んだ。しかし、その直前の六月二日夜、副島氏は世田谷区の自宅近くの路上で何者かに襲われた。この事件を当時、朝日新聞は東京本社版の社会面に二段見出しで報じた。

記事は、世界日報の前編集局長の副島氏が背中や左側頭部、左腕に切り傷を受けて重傷を負ったとして、「マンションの入り口近くで待ち伏せていた男が、いきなり『この野郎』と言いながら刃物のようなものをかざして襲いかかってきた」「男は切りつけたり、数回殴った後、走って逃げ、副島さんはマンション三階の自室に駆け込んだ」「犯人は三十歳ぐらいで坊主頭。カーキ色のヤッケを着て白っぽいズボンをはいていた」などと書かれていた。さらに、統一教会世界日報の編集方針をめぐる内部対立など、事件に至る経緯についても触れていた。

副島氏が襲われた夜、世界日報の元社会部記者、木田富士雄氏(仮名)がたまたま副島氏の自宅にいた。血まみれの状態で階段を上がり、ドアを開けた副島氏の姿を見た時の衝撃が忘れられないという。「左のこみかもから、ホースから水が噴き出すように真っ赤な血が吹き出していました。副島さんは「俺は死ぬかもしれんな」と一言つぶやき、玄関に倒れ込みました。奥さんと二人で、体のそこかしこの出血部位をタオルなどで必死になって止血しながら、救急車の到着を待ちました。背中と腕の刺し傷が特に深く、止血しようと押さえる私の指が、肉の間にめり込んでしまうほどでした」と証言した。

やはり世界日報の記者だった津田武寛氏はたまたま副島さん宅を訪ね、マンションの前に救急車が止まっているのを見つけて、胸騒ぎがした。「ひょっとして」と思っていると、包帯をぐるぐる巻きにした副島氏が担架に乗せられて、マンションの階段を降りてきた。「どうしたんですか?」と声をかけると、「これで(自分が襲われたことで)統一教会を潰せるかもしれない」と気丈夫にも話したという。津田さんが血糊が点々と残る階段を駆け上がると、三階の副島氏宅の玄関付近は、文字通り血の海だった。副島氏は病院に運ばれた後、意識を失った。背中から左胸部に達した刺し傷は深さ一五センチで、心臓をわずか二センチ外れていた。肺が切り裂かれて血が溜まり、一時は重体に陥ったが、三度の緊急手術が成功して、二日後に意識が戻った。

事件の後、教会側は「副島は闇の世界と深い付き合いがあった。闇の世界のプロの刺客に襲われたようだ」との説をしきりに流した。

奇跡的に回復した副島氏は、かつての同僚や部下たちとともに『インフォメーション』という情報誌を立ち上げ、統一教会国際勝共連合を糾弾する論陣を張り続いた。「犯人は(統一教会が信者に数える韓国空手の)正道術の使い手だったと思う」と警視庁の事情聴取で証言し、捜査の動きを見守った。しかし、捜査は難航した。朝日新聞を含めた大手マスコミが事件の続報をほとんど書かなかったことにも失望したという。事件は七年後の九一年、公訴時効となった。副島氏の傷の深さと襲撃の状況から、犯人の殺意は明らかで、傷害事件ではなく、時効まで一五年の殺人未遂事件として捜査すべきだった、と私は思う。副島氏の事件が未解決に終わったのは、警察の捜査姿勢にも問題があったためではないか。当時、警察は宗教組織の内奥へ分け入っての捜査に及び腰だったと思う。

私は当時、副島氏が信頼する助言者だった明治大学教授の吉田忠雄氏(故人)に会った。「副島氏は、『文藝春秋』に原稿を出す前に、元原稿を私のところに持ってきた。雑誌に発表したいが、と相談を受けたので、私は「これを出せば、殺される。発表してはならない。しかし、あなたが殺されるようなことになったら、その時は私が責任を持ってこの原稿を世に発表しよう」と言い、原稿をそのまま預かった。今もその原稿を保管を保管している」と吉田氏は話した。さらに、こう続けた。「これだけはお話しできる。副島氏は自身を襲った人間を知っている可能性が高い。だから、朝日さんが独力で副島氏の居場所を見つけ、事件の真相を取材されることは、朝日新聞襲撃事件の解決にとっても大きな意味を持つと私は考えている」

吉田氏は最後にこう語った。「副島氏の懇請で、世界日報の非公式の編集顧問のようなことをしていた時のことだ。元警察官僚で総理府総務副長官もしていた弘津恭輔氏(故人)ら正式の編集顧問と懇談する機会があったが、その際、弘津氏が「国際勝共連合が少々むちゃをしても、共産党への対抗力だから許される」と発言した。私は、「国際勝共連合のやり方は国民に受け入れられていない。違法行為は取り締まるべきだ」と反論したが、もう一人の編集顧問も弘津氏の意見に賛成した。弘津氏の経歴を考えると、(副島氏への)襲撃事件の捜査が中途半端になっている理由がわかるような気がして、今考えても非常に不愉快だ」

副島氏は、吉田忠雄氏に託した原稿とほぼ同じ内容の文書を公安調査庁にも提出していた。上級官庁の法務省は、この文書をもとに文鮮明教祖の入国拒否を決めたのだという。公安調査庁の幹部から経緯の説明を受けた津田武寛氏は「副島さんの事件での、わずかな成果です」と言葉少なに語った。

現在、統一教会と政治家との関係が取り出される中で、究極的には宗教法人法81条1項1号の「解散命令」に該当するか否かで関心が持たれているが、その中では「副島襲撃事件」は絶対に避けて通れない出来事と思う。なぜなら、はっきりと表面化した殺人未遂事件で、そこには思想のためには“暴力を厭わない体質"という面が示されているからだ。そのほかでは、統一教会は過去の裁判で、宗教団体として中核の行為である三点(①正体を隠した伝道②組織的な献金強要③合同結婚式への勧誘)が違法行為であると繰り返し認定されている。

実は吾輩は、1975年10月18日(交換した名刺に年月日を記載)に統一教会系の日刊紙「世界日報社」(75年1月17日設立)を訪れ、なかなか男前の東大卒の男性記者と名刺交換した。もう47年前も昔の話になるので詳細なことは忘れたが、仕事の関係と購読し始めた「世界日報」の記事のことで訪ねたと思う。その男性記者は、吾輩の4つくらい年上で、結婚した際には「今、別々に生活している」と述べたので、随分と"おかしな宗教だなぁ″とは感じた。2回目に本社を訪ねた際には、懇談室で北朝鮮問題を中心に話しをしたが、その際には記者は「編集局長を紹介する」と言って編集局長を連れてきたものの、編集局長は名刺をくれなかったので名前は把握していない。

その後も「世界日報」の所在地・渋谷は、通勤経路になっていたので何回も本社や近所の喫茶店で会ったが、後日「今度の編集局長は、部数拡大のために世界日報を一般商業新聞にして、統一教会から独り立ちを目指すと言っている」と述べたことがある。そういうことから、副島氏が編集局長を務めていたのは80年から83年10月1日ということなので、その日付前後まで会っていたと思う。今から考えると、付き合っていた記者と疎遠になったのは、吾輩が本店の内勤に異動したことと、「世界日報」の中で殺人未遂事件が起きたことが原因ではなかったかもしれない。つまり「世界日報」での内紛を知ったことで、本社を訪ねることや電話をかけることを遠慮したと考えている。

本書の中で、警察大学校校長や公安調査庁調査第一部長を務めた警察官僚・弘津氏の発言が記述されているが、確かに厳しい米ソ冷戦下では、このような発言が出ることは理解できる。弘津氏の発言の日時がわからないので滅多なことは言えないが、亡くなったのが94年と考えると、まだ冷戦下の時代ではないかと思われる。

改めて振り返ると、93年ころから桜田淳子合同結婚式(特に88年、92年、95年が多い)参加で世の中を騒がした時あたりから、捜査機関はいわゆる「霊感商法」(資金調達と信者獲得を同時に満たす宣教方法)と呼ばれる問題が80年代から始まっていた以上、法に基づき粛々と捜査に着手するべきであった。そうであれば、統一教会側から政治家に接近したり、政治家側(幹事長茂木が公表した調査結果は379人の自民党全議員のうち179人が何らの接点があった)も票や選挙運動支援を当てに統一教会に近づき、お互いが「持ちつ持たれつ」の関係に陥ることもなかった。そういう意味で、捜査機関が粛々と捜査しなかったことが、今になって統一教会の問題がいつまでも燻り続ける原因になった。

という吾輩も、統一教会の活動には関心を持っていたが、日本から韓国の統一教会本部に対しての送金額5000億円、さらに韓国人男性と結婚して韓国に居住した日本人女性が7000人という報道に触れると、多くの善良な日本人が韓国の新宗教統一教会に利用されてきた現実に驚いてしまう。そもそも統一教会では、神の使いメシア(文鮮明)のいる韓国が天に近い「アダムの国」(父の国)として神聖化される一方で、日本は「エバの国」(母の国)とされ、韓国が上で日本が下という位置付けるなど、韓国ナショナリズムが土台となっている。その底流には、日本が過去に朝鮮半島に対して悪いことをしたので、その「贖罪」をカネで償えという教義「反日」があることから、しつこく過度な「高額献金」を求めた。つまり、そこでは自虐的な史観を刷り込まれた、心優しい善良な日本人女性が多数犠牲になったと言える。

一方の日本では、安部元首相殺害を機に「宗教2世」問題が急にクローズアップされているが、実はここ10年ほどマスメディアでは2世問題への注目度は増していたという。そうであるならば、なぜメディアは統一教会問題では「宗教2世」家族が悪質な寄付行為を求められて、自己破産や生活保護に陥っている実態を、取材して問題提起しなかったのか。報道しないから世間は「統一教会問題は終わった」と思われたという意味で、メディアの責任は決して軽くないといいたいのだ。