国民の“命の敵" となった憲法9条

コロナ禍による移動自粛で、この連休も新聞や雑誌を読んで過ごした。この中で記憶に残る記事というと、「産経新聞」(4月30日付け)でのジャーナリスト・門田隆将のタイトル「国民の“命の敵"となった憲法9条」であった。

陸海空の戦力保有と国の交戦権を否定した憲法9条は、平和憲法の象徴として左派勢力によって神聖化されてきた。しかし、逆にその条項が国民の「命の敵」と化していることについて論考したい。

ー国際情勢の激変の中でー

まもなく施行から74年を迎える日本国憲法は成立以来、一言一句変わっていないという意味で「世界最古の憲法」である。

同じ第二次大戦の敗戦国でもドイツは連合国の介入を押しのけ、1949年5月、政治家・法律家で構成する議会評議会で条文を起草し、ドイツ連邦共和国基本法を定めた。その後も六十余回改正し、内外の状況変化に対応してきた。その意味で全く変わらない日本国憲法とは対を成している。

では、なぜ日本国憲法が国民の「命の敵」となってきたのか。

戦後76年という歳月は、想像もつかない国際情勢の変化を生んだ。だが直近の10年、特にこの5年の変化は凄まじい。理由は中国の「力による現状変更」にある。私はこの激変まで熱心に憲法改正を説いていたわけではなかったことを先に告白しておく。

戦後長く続いた米ソ冷戦下で憲法改正の必要性は現在ほど高くはなかった。しかし、1989年にベルリンの壁が崩壊し、共産主義国が次々瓦解し、遂に盟主・ソ連も解体、ロシアとなった。安全保障を米国に丸投げし、その核の下で日本は平和を享受できたのである。だが、やがて国際秩序を破壊する国が登場した。

ー中国の侵攻への「対策なし」ー

中華人民共和国である。1949年の建国以降、チベットウイグル南モンゴルを版図に収め、香港の人権を踏み潰し、台湾への侵攻意図を隠しもしない国だ。南シナ海では他国の排他的経済水域内の岩礁を埋め立てるなど軍事基地化し、日本には尖閣を自国領土と宣言し、連日、領海侵入を繰り返している。

「必要があれば、いつでも武力で我が国の領土(※尖閣のこと)を守る準備はできている」

軍幹部が常に発するこの言葉は、いつでも尖閣を奪取するという意思表明にほかならない。つまり東アジアは、どの国も中国の脅威に晒されているのだ。

ポイントは、習近平国家主席が2013年以来広言している「偉大なる中華民族の復興」にある。建国百年の2049年までに世界の覇権奪取を実現することを意味する言葉だ。これは、かつて歴代の王朝が誇った「華夷秩序」を強く意識している。中華帝国が世界の中心にあり、まわりの蛮族は帝国につき従い、朝貢するものだ。中華民族にとっては、これが世界の理想の形なのである。

さらにこの言葉には前段がある。「百年の屈辱」への恨みを晴らす、というものだ。偉大なる中華民族の復興は、アヘン戦争以来の百年の屈辱を晴らした上で実行されるのである。大都市に創られた租界、満州国の建国、百万を超える大兵力投入による大陸支配。中国が恨みを晴らす主敵が「日本」であることを忘れてはならない。しかし日本には中国の侵攻への対策は何もない。相変わらず米国一国に頼っているだけである。

欧州は1949年、NATO(北大西洋条約機構)を創設し、集団的自衛権の抑止力によってソ連に対抗する方策を取った。ソ連が加盟国を攻撃すれば、全体への攻撃とみなして「全体で反撃する」というものだ。この集団安保体制は72年間、ソ連そしてロシアの侵攻から欧州を守っている。

ー抑止力で平和を守る改正私案ー

2000年以降、NATO入りの成否で明暗を分けた国がある。「バルト三国」と「ウクライナジョージア」だ。ラトビアリトアニアエストニアバルト三国は、ロシアの介入に苦戦しながらもNATO入りを果たす。一方、ウクライナジョージアは国内の親ロ勢力が強く、世論構築ができず加盟できなかった。ウクライナはクリミア併合、ジョージアも2州独立という目に遭ったことは記憶に新しい。政財官マスコミが中国に浸蝕されている日本と極めて酷似しているだけに恐ろしい。

集団的自衛権の抑止力によって平和を守るー米国一国でなく、各国がスクラムを組み、アジア版NATOを創設し、中国の力による現状変更を止めなければならない。だが、日本には集団的自衛権を否定する憲法9条があり、それが叶わない。憲法が国民の「命の敵」と化した理由がそこにある。集団的自衛権の獲得は急務であり同時に自衛隊の合憲化も不可欠。この2点を踏まえ、私は具体的な憲法9条改正案を提案したい。

憲法9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する。わが国は、国際平和の維持と国民の生命・財産及び領土を守るために自衛隊保有し、いかなる国の侵略も干渉も許さず、永久に独立を保持する。〉

家族や子孫の命を守るために私たちは歴史への使命を果たさなければならない。

以上の文章は、何も難しいことを説明しているわけではなく、自由と民主主義という価値観の存続を願う国民にとっては、普通に飲み込める内容である。ところが、昔からの「左翼老人」(「朝日新聞」の世論調査では、改憲不要派は60代以上で半数以上という)は、中国の脅威が異常なスピードで増しているにも関わらず、今に至っても憲法改正に反対している。考えてみると、同じ敗戦国のドイツが六十回以上も憲法改正をして、なぜか日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)がわずか1週間で作成した日本国憲法を“金科玉条"のごとく、今まで一度も憲法改正していない。その疑問は、多くの国民が感じていると思うが、やはり5月3日の憲法記念日の「朝日新聞」を拝見すると、何となく理解できる。

例えば、護憲集会を改憲集会よりも大きく取り上げたり、毎度のことであるが左翼学者を紙面に登場させて、最近の緊迫した国際情勢を無視した発言をさせる。また、憲法改正に関する世論調査結果では、改憲「必要」45%「必要なし」44%という大見出しの横に、9条「変えない」61%という小見出しを掲載する。これでは、読者はどのように理解したら良いのか、分からないではないか。つまり、国民は憲法を改正して、集団安保体制でなければ“平和を守れない"と考えているが、朝日新聞は少しでも従来からの主張を維持するために、めくらだましの手法を使って、虚しい努力をしている。これが長らく日本の「オピニオン・リーダー」を輩出してきた、今日の「朝日新聞」の姿である。

ここで、吾輩が今でも忘れない、高校3年時の話しをしたい。それは、高3の時であるので1969年当時の話しであるが、昼休みに吾輩など4人ばかりが教室の窓際で話をしていたところ、一人の同級生が近寄って来て、我々に向かって「この近くの『湧別の浜』(オホーツク沿岸)にソ連軍が上陸して来たら、君らどうする」と尋ねたのだ。それに対して、一人は「逃げ出すよ」といい、もう一人は「鉄砲がないので逃げる。大体、鉄砲を撃ったことがないが…」という返事をしたが、吾輩は考えたこともない問であったので、黙っていた。最後は、このテーマを投げかけてきた同級生が「やっぱり、俺も逃げるよ」と言って、自分の席に戻って行った。

高校時代のたわいない話だが、なぜか今でもこの時の情景が忘れられない。おそらく、このテーマを投げかけてきた同級生は、農家の息子であったので、何らかの会合に出た際に、大人たちから「お前、ソ連軍が上陸してきたらどうするのか」と尋ねられ、「逃げ出す」と答えて怒られたのかもしれない。だから、席に戻る際に「やっぱり、逃げるよな」と言ったのだ、と今はそう考えている。

この話を紹介したのは、男子たるもの、どこの国でも自国防衛の教育を受け、そして国防は自分自身の問題と捉えているが、日本の高校生や若者は果たして、世界基準の意識を持っているのか。現在、中国による東シナ海南シナ海での一方的な現状変更、台湾侵攻が危惧される中で、日本の若者は自国防衛を他人任せにして、自分自身の問題として捉えていないのではないか。自由と民主主義は、自ら守る意識を持たなければ存続できないし、これが日本を守ることと平和を維持することに繋がるからだ。それを危惧しているので、吾輩が経験した小さな話を“国を守る気概に繋がる"と考えて紹介した。

街中を見ると「平和教育」を目的にした施設やポスターは溢れているが、自由と民主主義を守るための施設やポスターを見掛けることがほとんどない。日本のような「平和教育」は、他国も実施して意味があるのであって、日本だけの「平和教育」は逆に危険であると、著者の門田氏と同じように最近感じている。

そもそも、吾輩はいつかは我が国も戦争に巻き込まれる、いや戦わなければならない時代が訪れる、と考えて生きてきた。要するに、人間の歴史を考えると、日本だけ「平和教育」を推し進めても、戦のない世界が到来するとは考えてこなかった。その意味では、日本が戦うことを放棄した「憲法9条」を保持することは、逆に東アジア情勢を不安定化に繋がると考える。世界の歴史、人間のサガ、国際情勢を分析すると、自ずと我が国の立ち位置が解るものである。もう、価値観が違って、地に足が着かない「左翼老人」を無視して、同じ価値観を共有する国々と同盟関係を結び、自由と民主主義を守り続けたい。いずれにしても、我が国を取り巻く環境は“憲法改正は待ったなし"の情勢下にあることは間違いない。