最近、新刊書「東大の経済学ー激流の150年史」(著者=前田裕之・元日本経済新聞記者・編集委員、2026年5月15日印刷・6月10日発行、発行所=白水社、398ページ)を読了したが、内容が充実していたのでメディアが書評してくれると考えて、ネットで調べたところ2本見つけた。
1・5月30日付「東京新聞」
〈変遷たどり学問の使命問う/評 根井雅弘(京都大教授)〉
東京大学経済学部は、現在、経済学の理論・実証・政策のどの分野でも、日本の学界のトップに君臨している。だが、Z世代の若者のほとんどは、東大経済学部が法科大学から独立した1919年から今日に至るまで、様々な苦難や試練を乗り越えてきたことを知らないと言ってよい。
だが苦難や試練というだけでは、Z世代にはなかなか伝わらない。評者が学生の頃は、経済学は一つではなく、マルクス経済学と近代経済学に分かれていた(というよりマル経が旧帝大系では優勢であった)時代に当たるが、Z世代と話す時は、本書に書かれていることをいちいち説明してあげなければならなかった。
すなわち、もともとドイツ歴史学派の流れをくむ学者が多かった初期を過ぎて、やがて労農派や講座派などのマルクス経済学が勃興するようになったこと。戦時下では思想弾圧によってマル経が学部から一掃された時期があったこと。戦後のGHQの方針によりマル経学者や自由主義者復帰したこと。戦前・戦中の学部内の派閥抗争もけっこう陰湿なものだったこと。左翼が強かった時代には学生運動も激しく、69年には東大入試が中止に追い込まれたこと。
ところが、戦後マル経優勢のなかでも次第に近代経済学者が育っていき、ベルリンの壁の崩壊以降は、逆にマル経が衰退・消滅へと向かい、現在はアメリカの経済学教育法を踏襲したカリキュラムになり、アメリカ留学帰りの優秀な経済学者を多数擁するようになっている。だが、そのような成果を熟知しながらも、著者は、「現在のアメリカは日本が目指すべき理想像といえるのか」という本質的な疑問も吐露している。アメリカの一流誌への論文掲載数で業績を評価するシステムは、経済学の革新を妨げる要因にはならないのかと。
東大経済学部の歴史を語りながら学問の使命や学者の役割を考える真面目な企画だが、一点だけ注文があるとすれば、多数の人物が登場するので索引があったほうがよかった。引用も一般の読者が参照しやすい配慮が必要と思う。
2・7月18日付「日本経済新聞」
〈短評■『東大の経済学』前田裕之著〉
経済学や学界の問題点を世に問うてきたジャーナリスト出身の文筆家が150年に及ぶ東大の経済学研究の通史を描く。
文学部の一学科としてのスタート。戦前戦中の思想弾圧、戦争協力と内部抗争。戦後の再起と学生運動下の混乱。マルクス経済学の退潮と近代経済学の隆盛、スター経済学者の活躍。そして国立大学の法人化を経て今に至る高度化に向けた挑戦と課題ーー。
輸入学問を日本の経済と社会の実情や変化に即してどう役立てるか。時代に翻弄されながら苦闘してきた先人たちの歴史が刻まれている。細分化され、米学界に傾倒する現状を著者が危惧するのもうなずける。今、経済学が何をなすべきかを考えるうえでも貴重な視座を与えてくれる一冊だ。(白水社・2860円)
というこで、吾輩が23、4歳くらいの時であるので1975年頃、7、8歳年上の職場の先輩と一緒に東京・霞が関を歩いていると、ちょうど大蔵省の前に来た時に「この官庁には東大出身者が多く、その他の官庁には左翼的な思考の人が多い。それは、東大経済学部でマル経を学んだ学生が、全国の大学に散らばってマルクス経を教えているからだ。そもそも東大は官僚を育てるために設立した大学であるので、法学部は必要であるが経済学部は必要がない。だから、経済学部は廃止すれば良いのだ」と言ったのだ。当時、吾輩は政治的な意識は高かったものの、先輩が言ったことをよく理解できなかったが、頭の隅で忘れないでいた。だから、書店で本書を見かけると、すぐに購入したというわけである。
それでは、本書から戦後の東大経済学部におけるマルクス経済学の位置づけなどを紹介する。
ーこうして終戦直後から1970年頃までの講座の変遷を追うと、理論から応用に至るまでマルクス経済学の存在感が極めて大きく、近代経済学は学部の一角を占めるに過ぎなかったことを確認できる。マルクス経済学の内部に目を向けると、労農派が理論研究の中心を担い、講座は主に経済史の分野で影響力を維持した。労農派と講座派は戦前から対立してきたが、東大経済学部では戦後、労農派が主流派の地位を手中に収めたとの見方もできる。ー(256貢)
ー東大経済学部は終戦直後から、日本を代表するマルクス経済学の研究拠点として輝きを放ってきた。1970年代に入ってもその傾向はしばらく続いたが、近代経済学の研究が急速に活発になり、マルクス経済学と拮抗する存在となる。~しかし、社会主義諸国の崩壊を待つまでもなく、マルクス経済学の退潮が目に付くようになった。1980年代後半から1990年代に入る頃には完全にバランスが崩れ、マルクス経済学の講座派は減っていく。1990年代末にはマルクス経済学を専攻する教員は数人の規模にまで減った。ー(259貢)
ー日本の経済学界の多数を占めていたマルクス経済学者たちは「資本主義は行き詰る」との基本認識を共有していた。マルクス経済学によれば、経済は奴隷制から封建制、資本主義、帝国主義、独占資本主義に移行する。資本主義はプロレタリア革命によって打倒され、社会主義に至る。資本主義は1930年代に一般的な危機の時代に入ったと捉えており、高度成長を実現をしていく日本の先行きを見通せなかったのである。ー(270貢)
昔、東大経済学部を卒業した著名人をネットで調べたことがある。その結果、立派な経済学者がいたものの、逆に「なるほどね」と妙に納得する人物を発見したが、今さら問題児として紹介しても野暮なことなどでやめる。しかし、どうしても名前を出して批判したい人物がいたので取り上げるが、それは東京電力の社長と会長を務めた勝俣恒久(1940年3月29日~2024年10月21日)で、1963年に東大経済学部を卒業している。吾輩が何故に今でも勝俣に怒りを感じているかというと、福島第一原子力発電所の廃炉の実現に向けて50兆円の資金投入が必要と言われている中で、まず第一に東京電力の最高幹部を10年間も務めていながら、地震や津波に対する対応が全く出来ていなかった。つまり、危険な原子力を取り扱うのに「想像力や注意力」が全く備わっていない人物であった。第二は、役員報酬を年間1億円、10年間で10億円を得ながら、恥ずかしくもなく返還しなかった。その報酬は、子や孫に相続されている。第三は、学力があるが肝心かなめな能力のないことに対する反省が全くなく、終始傲慢な態度で亡くなった。
世間では東大経済学部を卒業した人物は、頭が良くて、国を憂い、高い志と卓越した能力を備えて、国家国民のために不可欠な者たちと思っている。そこで大正・昭和期の著名なマルクス経済学者を挙げると、大内兵衛(1888~1980)、向坂逸郎(1892~1985)、宇野弘蔵(1897~1977)のようである。ところが大内は、法政大学総長(1950~59)を務めて多くのマルキストを育成、向坂は社会主義協会代表を歴任し、60年代からソビエト連邦に接近、社会党政権になれば直ちに憲法を改訂し、ワルシャワ条約機構に加入すると発言、宇野は「宇野学派」と称されるマルクス経済学者で、暴力に訴えてでも共産主義革命を実現を目指す過激派グループや社会主義協会に影響力を与えた。それを考えると、果たして優秀な人たちであったのかと思うし、昔を振り返って社会主義協会の活動をテレビで観て、時代遅れの考え方を知って‶恐ろしや恐ろしや″という気分になったことを思い出す。
前述の勝俣に戻すと、昭和10年代前半に生まれた人物は、マルクス経済学の影響を大いに受けたことから、思想信条や歴史観に大きな偏りを持ち、まさに日本のガン世代と言える。この見方は、吾輩が20代前半に1960年安保闘争の動向を知ってから気が付いたことで、まさにその世代の中に勝俣が入っている。ところが面白いもので、このダメ世代からは細川護熙(1938~)、羽田孜(1935~2017)、橋本龍太郎(1937~2006)、小渕恵三(1937~2000)、森喜朗(1937~)、福田康夫(1936~)、麻生太郎(1940~)と7人もの首相が誕生している。
もう一度東大経済学部に戻すが、昔ある有識者がテレビ番組の中で「日本には東京大学には経済学部は必要がなく、一ツ橋大学と慶応大学があれば十分だ」という発言をした。どのような背景で言ったのかは忘れたが、確かに国会議員、財務省を始めとした官庁、そして経済界には多くの卒業生がいるが、はっきり言って今でも立派と思える人物は少ない。つまり、それなりの学力があるものの、真に実力があり、国家国民のために日夜尽力するような人物に出くわさないで、ただ単に「東大卒」という肩書だけを得たいだけの人物が多いと感じているのは、吾輩だけであるのか。