国産旅客機の開発失敗の原因

経済産業省は3月27日、航空機産業に関する有識者会議を開き、2035年以降をめどに次世代の国産旅客機の開発を目指す新たな産業戦略を策定した。これを受けて週刊誌「日経ビジネス」(2024年4月15日号)は、国産旅客機の開発に失敗した元三菱航空機社長・川井昭陽氏の発言を取りまとめた、見出し「敗軍の将、兵を語る/謙虚さを欠いた〝日本の翼″」を掲載した。

国産ジェット旅客機の開発から撤退し、2024年3月に解散した三菱航空機の社長を2年余り務めた。総額1兆円をつぎ込んだとされる「日の丸ジェット」だが、技術者は素人集団だったと振り返る。再挑戦の動きが早くも出ているが、過ちを繰り返さないためには謙虚に学ぶ姿勢が欠かせないと話す。

 

私は2013~15年に旧三菱航空機の社長を務めていました。同社で開発していた国産初のジェット旅客機「三菱スペースジェット(МSJ)は23年2月に開発中止が発表され、同社は社名変更後、24年3月に解散しました。経済安全保障の観点でも非常に意義のある国産ジェット機の計画だっただけに、残念に思います。

親会社である三菱重工業経営判断としては仕方がない面もあります。開発期間が延びるなか、採算が読めないプロジェクトに資金を投じ続けるのは厳しかったのではないでしょうか。企業の資金には限りがありますから。

一方、日本の航空機産業という視点からは本当に惜しい。世界の航空関係者は「日本の実力はこんなものか」と思ったでしょうし、国家の信頼が失墜してしまった。さらに、国産ジェット機の実現を目指して培った人材など、かけがえのない資産が途絶える危機に直面しています。とはいえ、МSJは極めて難しいプロジェクトだったことは間違いありません。

「えー、本気でやるのか……」。プロジェクトが始まると聞いた06年ごろ、航空機とは異なる事業部でミサイルやエンジンの事業に携わっていた私はこう思いました。まず頭によぎったのは、開発費用が続くかという懸念でした。

ー素人集団だった重工の技術者ー

そんな私が、三菱重工の航空宇宙事業本部長をリタイアした後、三菱航空機の社長になりました。私は三菱重工入社直後に国産ビジネスジェット機「МUー300」の設計に携わった経験もありましたが、現場に入り「これは大変なところだな」と思いました。

実は三菱重工の技術者は旅客機の開発では「素人集団」だったのです。防衛用の航空機では幾分かの経験がありましたが、軍用機と旅客機では全く異なる世界です。

最大の違いは商用運航に必要な「型式証明」の取得でした。旅客機はただ飛べばよいのではなく、米連邦航空局(FAA)など規制当局の定めるさまざまな安全基準をクリアする必要があります。ですが、その基準は一見しただけでは当たり前のことしか書かれていない。どんな設計でどのような方法で証明したかという過去の経験の蓄積こそが必要なのです。

この蓄積を学ぶため、米航空機大手ボーイングのOBなどを招き、社内の技術者らに学ばせようとしましたが、うまくいきませんでした。外国人がМSJの問題点を指摘しても、技術者らには響かず、「また言っとるわ」という感じでした。

私も社内の技術者らにいろいろと言いました。でも、彼らは言うことを聞かないんですよ。私は社長とはいえ、もうリタイアした人間という扱いで人事権もありませんでしたし、技術者らは出向元を見て仕事をしていましたから。

МSJは何度も納入遅延を起こします。スケジュールを引き直し、「ここまでみんなが頑張ればできるはずだ。やってくれや」と呼びかけました。しかし、ついにその通りに進むことはありませんでした。民間航空機についての知識があまりになさ過ぎたことと、謙虚に外国人から学ぶ姿勢がなかったことが根元にあると思います。

そうしてついえてしまった日の丸ジェットの夢ですが、経済産業省が提示した「航空機産業戦略」で、35年をめどに国産旅客機に官民で再チャレンジする案が出されました。技術を途絶えさせない点で好ましいですが、課題が3つあると思います。

第一に、脱炭素と機体開発は分けるのが賢明です。今回の案では「型式証明取得への理解不足」をМSJの反省として指摘しながら、開発課題の大きい水素エンジンなど「環境新技術」が前面に出されています。脱炭素としての予算を使うために、水素という「お題目」が必要なのかもしれませんが、旅客機の実現の観点からは、プログラムとはっきり分離すべきです。

炭素繊維による軽量化に苦労ー

先端素材である炭素繊維を利用し、軽量で燃費のよい革新的な航空機をつくるーー。МSJも最初はこんな革新的なコンセプトを掲げ挑戦しました。しかし、炭素繊維はМSJサイズの機体では軽量化になかなか結びつかず、大変な苦労をしました。新技術の適用は安全基準への対応を難しくします。МSJサイズでは信頼性のある枯れた技術でつくる選択肢もあります。

第二に、三菱重工1社に依拠した開発から複数社が提携する開発体制への移行を目指すとしていますが、寄り合い所帯は危機に弱い。官民出資会社による国産旅客機「YSー11」も、開発には成功しましたが、経営判断がうまくいかず生産を終了しました。

過去の過ちを繰り返さぬよう、「政府はカネは出すが口は出さぬ」と同時に、「誰が責任者となるか」を明確にしておくべきです。危機の際は、責任者がある程度の強権を発動できる体制も必要です。

第三に、事業環境の変化を除くとМSJの反省は経験不足に集約されます。「人が育っていなかった」ということであり、「人を育てなければならない」ということです。

海外から優秀な先生を招へいしても、生徒に緊張感がないと効果はありません。「自分たちは世界標準から大きく遅れている」という危機感を持ち、外国から貪欲に知識を習得しようといた明治維新の時と同じ姿勢が今も必要だと思います。これが、МSJの苦戦を経験した私から言えることです。

吾輩は、2008年3月に三菱重工が「三菱リージョナルジェット(旧МRJ)」の事業化を決定した後、国産初のジェット旅客機の開発に期待して3本くらいの文章を作成したが、20年10月に「三菱スペースジェット(МSJ)」(19年6月改称)の事業凍結を発表した時にはガッカリしたものだ。しかしながら、再び「次世代旅客機開発を目指す」というのだから、今度こそ前回の失敗を繰り返さないために、川井氏の〝反省の弁″の記事を紹介した次第である。

それにしても、МSJは政府も500億円の補助金を出し、三菱重工が1兆円規模の資金を投じた国家的事業である以上、絶対に失敗は許されないものであった。だから、川井氏は記事の中で「世界の航空関係者は『日本の実力はこんなものか』と思ったでしょうし、国家の信頼を失墜してしまった」と述べているのだ。

それでは、次世代機の開発を成功させるためには、どのような対応が必要であるのか。これについては、3月28日付「読売新聞」が「МSJの教訓と新戦略の対応」として、次の点を指摘している。

①安全認証の理解・経験不足⇒国際基準化団体との連携強化

②海外との連携不足⇒海外メーカーとの連携を前提

③市場環境の変化⇒主力市場と成長市場の両面で事業化、1社だけでなく国内企業も連携

④政府支援の不足⇒研究開発支援、連携枠組みの整備

いずれにしても、35年までに官民合わせて5兆円程度を投入して、機体の量産や脱炭素に対応した次世代機の開発を目指すというのだから、今度こそ絶対に成功させてほしい。もうこれ以上、国力の低下を証明してしまうような発表は聞きたくないのだ。