鉄道の歴史に詳しい明治学院大名誉教授・原武史が、10月18日付「朝日新聞」日曜日の連載「歴史のダイヤグラム」で、読売新聞の新米記者であった渡辺恒雄(1926~2024)が1952年4月1日、日本共産党「山村工作隊」を取材するために奥多摩のアジトに潜入し、この時のリーダーだった人物・後の作家高史明(1932~2023)と接触時の状況を紹介している。
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〈高史明と渡辺恒雄の接点〉
多摩川の上流に当たる東京都西多摩郡奥多摩町に小河内ダムがある。戦前に着工され、戦中期に工事が中断されるものの1948(昭和23)年に再開され、57年に竣工している。
立川から奥多摩まではJR青梅線が通じている。青梅線の前身は私鉄で、44年に国有化され、氷川(現・奥多摩)まで全通した。52年11月にはダムの資材を運ぶため、氷川から小河内村(現・奥多摩町)の建設現場まで貨物専用の東京都水道局小河内線が開通した(現在は廃止)。
日本共産党は、51年2月に開かれた第4回全国協議会で反米武装闘争の方針を決定し、毛沢東思想をもとに国家転覆を目指した非合法の組織である「山村工作隊」を全国各地に派遣した。とりわけ彼らが米軍基地に電力を供給するための「軍事ダム」と見なしていたダムの建設が進む小河内村には、重点的に若者たちが送り込まれた。
その一人が在日朝鮮人二世の作家、高史明だった。52年3月29日、小河内村で山村工作隊が拠点としていたバラック小屋が警官に包囲され、早大の学生を主体とする共産党員が逮捕された。高史明らは「S駅」(新宿駅)でこのニュースを知ったが、予定通り中央線の電車に乗って立川で青梅線に乗り換え、終点の氷川を経由して小河内村にたどり着いた(『闇を喰む Ⅱ焦土』)。
ダム建設が進むこの村では、村民たちが極貧の生活に突き落とされていて、山林地主を恨んでおり、ほとんどが共産党の味方だと教えられていた。しかしそうではないことを知るに至り、高史明は衝撃を受ける。
3日後の4月1日、一人の記者が高史明らのあとを追うようにして氷川駅に降り立った。読売新聞社の新米記者、渡辺恒雄だった。警察の情報からどこに山村工作隊の拠点があるかを把握していたという(『渡邉恒雄回想録』)。
高史明は奥多摩の山中で初めて渡辺と会い、取材に応じた。高20歳、渡辺25歳だった。
「私たちの頭上の空は深く澄んでいた。すべては、空の深さが受け止めてくれるように感じられた。私はまるで空に向かって話すように話した。やがて、話すことがなくなったとき、私は口を噤んで相手を見つめた。若い男の鋭い目の縁にかすかな安堵と喜びが浮かんでいた。その男もまた、あの戦争と戦後を呼吸してきたに違いなかった」(『闇をむ喰 Ⅱ焦土』)
警官と間違えられて殺されそうになった渡辺が助かったのは、高の判断があったからだった。
渡辺は新宿まで戻ってくると、デスクに電話してありのまま話した。するとデスクが飛んで来て、本社の社会部に連れて行かれた。渡辺が書いた記事は、3日の『読売新聞』社会面に大きく掲載される。
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5年前頃か、NHKテレビ放映の中で渡辺氏と接触した高史明が、昔を振り返って「周りの仲間が『殺してしまえ』という声があったが、私はその声を無視して帰らした。それにしても、その後にあれほど出世するとは思わなかった」と笑いながら証言していたので、それはそれは危険な取材であった。しかし、何故に危険な取材を敢行したかを考えると、渡辺氏は戦後まもなく共産党に入党しているので、共産党に対する親しみ、共産党の手の内を知りたい、共産党の現状を知りたい、等々の好奇心が取材に追い立てたのではないか。
以前に「共産党に入党した人物は信頼していない」旨の文章を書いたことがあるが、その意味で渡辺氏に対しても同じような見方をしてきたが、吾輩は昭和20年前半に生まれていないので、戦後間もない時期の空気感は全く知らない。しかしながら、渡辺氏は優秀であると言われている以上、戦前にはスターリンの「粛清裁判」の様子は報じられて、共産主義国家・ソ連は「ヒットラー並みの殺人国家」であることは知っていた筈だ。それにも関わらず、日本共産党に入党するということは、とてもじゃないが優秀な人物とは言えないのではないか。
渡辺氏は長年にわたって「読売新聞」のボスとして活躍してきたので、渡辺氏の言動を聴く機会はそれなりにあった。その際の発言を聴くと、保守系の人物と言われていたにも関わらず、たまに旧社会党的のような発言をして驚くことがあった。吾輩はその時、いまだに共産主義的な考えを捨てられないのか、その思想を読売新聞社の記者たちに対する人心掌握に利用しているのではないかと疑った。つまり、ある政策の中に旧社会党的な考えを示すことで「バランスの取れた人物」「弱者に理解ある人物」「色々と配慮する人物」という風に、読売新聞や一般社会でも「素晴らしい人物」という印象付けるために利用してきたのではないか、と疑っているのだ。
その意味で、最近の「読売新聞」が一部野党と同じように、皇室典範の改正で「女性の皇位継承に問題なし」という見解を報じたことは、その延長戦にあるのではないかと見ている。渡辺氏の思想は、いまだに読売新聞の体質に大きな影響を残しているようだ。
そういえば、若い頃に日曜日のNHKの政治番組で、自民党代議士が共産党の議員に対し「あなたは山村工作隊の一員として小河内ダムに行っていましたね」と尋ねたところ、相手はあっさりと「行っていました」と答えたことを思い出した。顔は何となく覚えているが、名前を思い出せないので、思い出したら名前を書いてみたい。