荒井退造の記念討論会の開催状況

7月30日午後1時から5時半までの間、宇都宮市立南図書館で、荒井退造(元沖縄県警察部長)の功績を学ぶ「討論会」が開催された。討論会のテーマは「退造の生きざまから、何を学ぶべきか」で、退造と島田叡(元沖縄県知事)の二人の顕彰に取り組む沖縄、栃木と島田の故郷・兵庫の3県の関係者ら約450人が参加した。

最初に栃木県知事が「一昨年、沖縄県の『栃木の塔』と『島守の塔』を参拝した。これからは、沖縄、栃木、兵庫のトライアングルで“平和交流"を推進して欲しい」旨の挨拶があった。引き続き、ノンフィクション作家・田村洋三が基調講演を行った。

○この会場には、沖縄県から17人(うち3人が栃木県出身者)、兵庫県から7人が参加している。特に沖縄県からの参加者は、全て沖縄戦に関係した人たちの縁者で、このうち8人の縁者から取材した。2003年に「沖縄の島守ー内務官僚かく戦えり」という本を出したが、私は「二人の島守」というタイトルにしたかった。しかし、出版社の意向で「沖縄の島守」になった。

沖縄県は、戦後6年後に旧県庁の生存職員などから浄財を集めて、「島守の塔」と「終焉の地」碑を建立した。また、島田知事の母校・兵庫県立高校では、昭和39年に当時の姉崎校長が中心になり、三つの事業を行った。その一つが、高校野球の「島田杯」の制定である。

○ところが、栃木県での顕彰作業は2年前から始まった。この差はどこに原因があるのか。それは栃木県民の“謙虚"にある。しかしながら、実は私にも責任がある。退造の息子・紀雄さん(自治省官僚)と会って取材したが、紀雄さんが「沖縄であれだけ犠牲者を出しており、身内のことは何も喋りたくない。栃木の取材はしてくれるな」と言われた。この言葉で、新聞記者であるにも関わらず、従順にも取材を中止してしまった。その意味では、退造の顕彰作業が遅れた原因の一つに、私にも責任もある。つまり、“謙虚"の美徳と“従順"は正史の邪魔であるのだ。

○最近、退造の精神構造を知ろうとすると、どうしても退造の母校・宇都宮高校の教育理念「瀧の原主義」に行き着く。配布した資料の中に「瀧の原主義」(明治41年発行)の文章が掲載されている。その51行の文章の始めに、

<何をか瀧の原主義となす、曰く剛毅なるにあり、元気なるにあり、沈勇なるにあり、自重なるにあり、活躍的精神に富めるにあり、気概心あるにあり、高潔なるにあり、義来心あるにあり、天空海闊の襟度にあり、男子らしきにあり、…>

という部分がある。そこが、退造の精神的バックボーンと考える。

○海軍司令官・大田實少将の電文「沖縄県民斯ク戦ヘリ」(6月7日)は、退造の絶筆電報「六十万県民ただ暗黒なる壕内に生く」(5月25日)が下敷きなっている。

次いで、司会者・下野新聞社会部長の下、パネラー6人によるパネルディスカッションが行われた。

①嘉数昇明・元沖縄県副知事

○一昨年、初めて宇都宮高校を訪ねて、「瀧の原主義」を知った。退造の精神が、今も引き継がれていることを知り“これだ"と思った。

○私は昭和17年生まれで、2歳の時に大分県疎開した。その意味で、二人がいなければ、生きていないし、今日の沖縄もない。

②小林正美・兵庫県立兵庫高校武陽会副理事長

○島田の母校・兵庫高校は、昭和39年に当時の姉崎校長が、島田先輩の顕彰を行った。その結果、沖縄県の新人野球大会の優勝校に「島田杯」を贈ることになった。

○第三部のテレビドラマは、私の同級生の藤原デレクターが制作した。このドラマを通じて、今後の“平和活動"に繋げて欲しい。

○若い人や世界の人たちに、二人のことを知って欲しい。そこで、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界の記憶」に申請する準備をしている。

③太田周・前作新学院大学学長

○作新大学は、栃木県出身者が7割を占め、そのまま地元に住むことになるので、一昨年から地域のことを学ぶ「栃木学」を始めた。そんな中、退造を知ることは、まさに「栃木学」に繋がるものと考える。

○田村氏から“謙虚"と“従順"は良くないという話しがあった。私も長野県上田市の出身であるので、田村氏の話しには納得した。

④小柳真弓・栃木県立宇都宮南高校教諭

○会場に到着したところ、会場入口に行列が出来ていたので感動した。栃木県でも、やっと荒井退造のことを知る人が多くなった。

○私は社会科の教師で、一昨年、真岡工業高校に在籍した時、知り合いの漫画家に荒井退造の漫画本(ーまんがで学ぶー「疎開の恩人」荒井退造おきなわ奮闘記)の制作を依頼した。原案は私が作成したが、女性らしいタッチで、結構評判が良い出来上がりになった。定価は300円ですので、若い人の教育に利用して下さい。

斎藤一郎・栃木県立宇都宮高校同窓会長

○昨年3月、校長を務めていた宇都宮高校の野球部員と共に、沖縄県を訪れた。この際、沖縄県高校野球連盟に対して、兵庫県立高校が贈った「島田杯」と同じ趣旨で「荒井杯」を贈呈した。試合は、二試合とも地元高校に惨敗した(笑)。

○先ほど、田村氏から「瀧の原主義」の紹介があった。私は、次の文章が重要だと思います。

<人物たるへしと云へるは敢て歴史上の人たるへしと云ふにあらす、是を大にして天下国家の人物たるへし、是を小にしては一村一郷の人物たるへし、歴史上に名を陳ねたるか故に人物なりとは称すへからす、瀧の原主義を具體的に現はすの人たれよと云ふなり、此主義を他に鼓吹し他を感化する偉大なる力ある人たれよと云ふなり、生命は限りあり、歴史も亡ふることあり、濁り人間の感化力に至りては永遠に渉りて渝らす亡ひす滅せさるなり、…>

⑥長谷川薫・明治大学校友会栃木県支部

○2年前、荒井退造を顕彰している人から「退造は夜学の明治大学を卒業している」との話しがあり、さっそく調べてみた。確かに、退造は大正13年に入学して、昭和2年に卒業していることがわかった。

○明大交友会は、全国に約34万人の会員、栃木県にも約5300人の会員がいる。そこで、偉大な先輩を慰霊するために、今年の「交友会総会」を11月28日に沖縄県で開催することにした。その前日の27日には、退造の慰霊祭を行う。

☆ゲスト・田村洋三

○私は2003年に「沖縄の島守」という本を出したが、そのきっかけは、大阪読売新聞記者時代に、沖縄戦を取材した時の古老の言葉にある。沖縄県の南部に、村民の40〜50%が亡くなった村を訪ねた際、ある古老が「大阪の人だから、島田知事のことも書くのだろう」と言われた。何もわからずに取材していたが、いつもあの言葉が気になっていた。

最後は、ドキュメンタリードラマ「生きろ〜戦場に残って伝言〜」(制作TBS、2013年作品)を上映(約90分)して終了した。

今回の討論会のキーポイントは、沖縄の言葉で「命こそ宝」という意味の「命(ぬち)どぅ宝」ではなかったか。複数のパネラーも触れた言葉で、退造も島田も現地の人々に呼び掛けていたという。

それにしても、こんなにも早く沖縄、兵庫、栃木のトライアングルが実現するとは考えていなかった。そこには、三県の人たちの底流に“今の平和を維持したい"という願いがあると思う。いつまでも、平和が持続することを願って、討論会の報告を終わります。