島田叡と荒井退造の映画製作がクランクイン

久しぶりに、荒井退造(以下、敬称略)のことを書くが、今回は20万人以上が犠牲となった沖縄戦当時の島田叡・沖縄県知事と、荒井退造・県警察部長を軸に描く映画「島守の塔」(五十嵐匠監督)が製作されるからだ。吾輩は2017年7月9日に、題名「栃木の偉人・荒井退造のその後」を書いたが、最後に次のように記した。

ーさて、荒井退造であるが、どうか映画化出来ないものか。なんといっても、退造は昭和18年7月に沖縄県に赴任し、疎開政策では一番苦労した人物である。その意味で、退造を映画化すれば、必然的に戦時中の沖縄県の苦悩が解る。いつの日にか、映画化されることを楽しみにして、ひとまず“荒井退造のその後"を終わりにします。ー

以上のように記した以上、吾輩の念願はかなったことになる。だから、めでたし目出度しであるし、万々歳という心境だ。

次に、島田叡の出身地・兵庫県、荒井退造の出身地・栃木県と沖縄県が、どのような交流を行い、映画製作に至ったのか、を紹介する。

○18年6月17日…島田県知事の顕彰に取り組む「島田叡氏事跡顕彰期成会」(会長=嘉数昇明・元沖縄県副知事)らが「第1回『島守忌』俳句大会」を開く。

○19年3月23日…荒井退造の母校・栃木県立宇都宮高校の野球部と、島田叡の母校・兵庫県立兵庫高校の野球部との親善試合が兵庫高校で行われた。

○9月26日…島田叡の出身地・兵庫県神戸新聞社、荒井退造の出身地・栃木県の下野新聞社沖縄県琉球新報社沖縄タイムス社などが、「映画『島守の塔』」製作委員会」を結成する。委員長には嘉数昇明が就任する。

○20年1月22日…「映画『島守の塔』製作を応援する会沖縄」が結成される。共同代表は、嘉数昇明と又吉民人・県野球連盟会長。顧問は、稲嶺恵一(元沖縄県知事)、新垣雄久(元副知事)、石川秀雄(元副知事)、牧野浩隆(元副知事)。

○3月17日…映画の出演者を発表した。

☆島田叡…萩原聖人

☆荒井退造…村上淳

☆県職員…吉岡里帆香川京子

☆泉守紀(島田の前任者で、荒井の上司)…勝矢

☆その他…池間夏海、吉田妙子、津島信一、仲座健太、蔵下穂波、棚原奏

監督は「二宮金次郎」(18年)を製作した五十嵐匠(58年青森市生まれ、立教大学卒)で、映画製作のポイントは昨年11月10日付け「神戸新聞」のインタビューで明らかにしている。

ー私は偉人伝にはしたくないんです。島田さんも、荒井さんも神ではない。一人の人間として悩み、もがき苦しんだ。首がなかったり、はらわたがえぐり出されたりした少年や少女の遺体を目の当たりにしたはずです。それをどんな思いで目に焼け付けたか。しっかりと描くつもりです。ー

ー島田さんは明るさと行動力でしょうか。空襲で焼け野原になった那覇に着任すると、職員に「明朗にやろう」と声を掛け励ます。食糧調達に動いたのは、県民を絶対に飢え死にさせないという気持ちの表れです。軍は首里を放棄して島の南部へ撤退する際、一緒に住民を避難させるよう指示します。戦渦に巻き込まれることは明らかで、島田さんは激しく怒りました。沖縄守備軍の牛島満司令官とは満州時代からの知り合いだったけれど、ここから軍と距離を取るようになる。良いこと、悪いことをはっきりと言う。野球人らしいスポーツマンシップを感じます。ー

ー荒井さんは寡黙で淡々と職務をこなす印象です。対馬丸事件を乗り越えて、住民の疎開を進めていきます。南部に撤退した後、比較的安全な東部への避難に尽力し、実際に助かった住民もいます。2人とも非常時に、できることを考えてやっています。「陽」の島田、「陰」の荒井といった人物像を浮き彫りにできれば、と思います。ー

ー題名の「島守の塔」は島田さんと荒井さんだけでなく、当時の県職員と警察官のための慰霊塔です。職員全体の行動や思いを描きたいと思っています。ー

今後の映画製作スケジュールは、3月25日から4月5日まで、沖縄県(ボランティアエキストラ約500人を予定)の糸満市うるま市、名護市などからクランクイン。その後、4月上旬に栃木県ロケ、4月下旬に神戸市や兵庫県三田市での兵庫ロケを最後にクランクアップする。そして、今秋に沖縄、兵庫、栃木の3県でプレミア上映会などを開催して、来年夏から全国で順次公開するという。

いずれにしても、荒井退造の出身地・宇都宮市での顕彰活動が盛り上がったことが、映画製作に至った。つまり、沖縄県の本土復帰後、島田叡の出身地・兵庫県だけが熱心に顕彰活動を行ってきたが、そこに栃木県が加わったことで、沖縄、兵庫、栃木のトライアングルが形成された。それを考えると、宇都宮市の有志一行(約10人)が15年6月26日に、「島田叡氏事跡顕彰期成会」が開催した「顕彰碑除幕式」及び「兵庫・沖縄友愛懇親会」に参加したことは大きな意味があった、と考えるのだ。