劉暁波の魂は永遠に生き続ける

連日の暑さで、文章を作成する気力も失せている。東京では、7月の31日間のうち、最高気温が30度を超える日が29日との予報があり、これから本番の暑さに心配になってきた。しかしながら、7月13日に中国の偉大な人物・劉暁波(61歳)が、中国共産党に殺されたので、追悼をかねて文章を作成することにした。

思い返すと、劉暁波が懲役11年の実刑判決を受けた理由は、旧ソ連時代にチェコスロバキアの反体制派が人権擁護を求める「憲章77」を下地に、「08憲章」(人権派弁護士ら303人が署名し、同年12月にネットで公表)を起草したことにある。この憲章の内容を紹介すると、

○1949年建国の「新中国」は、名義上は「人民共和国」だが、実際は「党の天下」だ。

○自由は普遍的価値の核心である。言論、出版、信仰、集会、結社、移動、ストライキ・デモなどの権利は自由の具体的体現である。自由が盛んでなければ現代文明とは言えない。

○軍隊の国家化を実現する。(中略)人権を保証し、何人も不法な逮捕、拘禁、召喚、尋問、処罰を受けない。労働矯正制度を廃止する。

憲章の中身を吟味すると、民主主義国家では当然の権利だけだ。しかしながら、中国共産党による独裁国家では、当然の権利が当然の権利にならない。そこが、共産党独裁国家の恐ろしさである。

要するに、中国共産党憲法や法よりも優位な存在であるので、中国共産党の行いに何の歯止めもない。つまり、中国には憲法、法律、規則はあるが、「法の支配」が確立されていないので、中国共産党が法に違反しても何ら問題にならない。中国の憲法や法律は、ただただ“空念仏"になっているので、劉暁波ら真っ当な人たちが、改めて「法の支配」の実現などを訴えた。

筆者にとって、劉暁波の獄中死は、70年代と80年代の旧ソ連時代のことを思い出す。当時は、ソルジェニーツィンとサハロフ博士が有名で、ソルジェニーツィンは74年に逮捕・国外追放され、サハロフ博士は国内に軟禁された。それを考えると、文明国は人権を重視する時代になっているが、依然として中国は旧ソ連と同じような状況に置かれていることがわかる。こんな前近代的な国家が、これからの世界をリード出来るのかと思ってしまう。

先週発売された週刊誌の中で、「ニューズウィーク日本版」(7・25)が唯一、劉暁波が亡くなったことを大きく取り上げた。この現状に対して、元週刊文春の編集長・花田紀凱が「今週くらい日本の週刊誌の国際性の無さを痛感したことはない」と産経新聞(7月22日付け)で批評している。そして花田氏は、2010年のノーベル平和賞授賞式で読もうとしながら、出席がかなわず代読されたメッセージを抜粋している。

妻へのメッセージは涙なくして読めない。

<あなたの愛は高い塀を乗り越え、監獄の鉄格子を貫く太陽の光だ。その光は私の皮膚をなで、私の体の全ての細胞を温め、心に平穏と開放、快活さを常にもらたし、獄中の全ての時間を意義あるものにしてくれる。(中略)たとえ粉々に打ち砕かれても、私は灰となってあなたを抱き締めることができる>

そして祖国への思い。

<私は自分が、中国で綿々と続いてきた言論弾圧の最後の犠牲者となることを願っている。(中略)表現の自由は人権の基礎であり、人間らしさの源であり、真実の母でもある。表現の自由を抑圧することは人権を踏みにじり、人間らしさを抑え込み、真実を封印することだ>

さすが、言論人だ。説得力のある文章を抜粋している。筆者も、ニューズウィークを購入したが、どの部分を紹介するかで迷っていたからだ。

このほか、今月21日には「天安門事件」で学生リーダーの一人だったウーアルカイが、日本外国特派員協会で会見した。その際同人は、記者から「劉暁波の死を受けて、中国の民主化運動は今後どう動くのか」という質問を受けて、「良い質問だ。天安門事件のようなことは、もう一度起こると思う」と述べ、中国政府による抑圧こそが民主化運動を高揚させる最大の要因となり得ると主張した。

それにしても、あの「天安門事件」(89年6月4日)から既に28年の年月が経過している。筆者も、あの事件にショックを受けて、事件直後の日曜日に開催された在留中国人の“抗議集会とデモ行進"を見に行った。会場は、東京・渋谷の公園で、参加人数は五百人か、千人か、二千人かは忘れたが、参加者の怒りと不安そうな表情は今でも覚えている。その時は、近いうちに中国共産党は“打倒されるなぁ"と思ったものだ。

しかしながら、現実は、ソ連共産党の方が早く打倒されてしまった。中国共産党政権も、予想外の展開で打倒されると見ている。なぜなら、我々はこの世の中に“絶対"ということがないことを、ソ連共産党の崩壊で知った。さらに、人権を抑圧する国家に未来がないことを知っているからだ。