北方領土周辺でのロシア軍の戦略

最近のウクライナ情勢をめぐるテレビ討論番組では、東京大学先端科学技術研究センター専任講師・小泉悠(気鋭のロシア軍事・安全保障政策研究者)が「これだけウクライナ国境にロシア軍を集めて、何もしないで撤退をすることは考えられない」と発言するなど、最も的確な分析を行っていたので、本人の著書「『帝国』ロシアの地政学ー『勢力圏』で読むユーラシア戦略」(2019年7月10日初版発行)を書店で購入して読んでみた。読み終わると、ウクライナ関係よりも北方領土周辺の軍事状況が非常に勉強になったので、その部分を紹介することにした。

2.北方領土の軍事的価値

ロシアの軍事戦略から見た北方領土

では、以上のようなロシア側の不信感は、純粋に軍事的な観点から見てどのように解釈されるべきであろうか。特に北方領土への米軍基地展開の可能性は、ロシアの安全保障にどのような影響を及ぼすのであろうか。

この点については、そもそも北方領土駐留ロシア軍がどのような状況にあり、それらがロシアの軍事的構想の中でどのような位置付けにあるのかを考察することから始めるのが適当であろう。

現在、ロシア軍東部軍管区は陸軍第68軍団(司令部:サハリン)の隷下に第18機関銃砲兵師団を擁し、同師団を北方領土に展開させている。第18機関銃砲兵師団の司令部および主力は択捉島の瀬石温泉(ロシア名ガリャーチエ・クリュチー)に置かれ、この他に国後島にも1個連隊を基幹とする部隊が駐留する。冷戦期には色丹島にも1個連隊が設置されていたが、ソ連崩壊後に撤退した。また、択捉島に以前から海軍の地対鑑ミサイル部隊と航空宇宙軍のヘリコプター部隊がロシア本土から分遣されていたが、前者は2016年に新型の3K55バスチョン地対鑑ミサイル(射程300キロメートル)に装備更新された他、2018年夏頃にはSu-35S戦闘機およびSu-25攻撃機少数が展開したことが衛星画像で確認できる。本土領土の戦闘機部隊は1993年に撤退していたから、25年ぶりの戦闘機配備ということになる。一方、国後島では、択捉島へのバスチョン配備と同時期に3K60バール地対鑑ミサイル(射程130キロメートル)が配備された(国後島に地対鑑ミサイルが配備されるのはソ連時代まで遡ってもこれが初めて)。老巧化した軍事インフラの代替や、新たに配備された兵器の格納施設の建設が進んでいることも公開情報や衛星画像から確認できる。

これらの北方領土駐留部隊は、北方領土を構成する島々自体を防衛する任務を負っていることももちろんながら、より広範な軍事戦略上の意義を有してもいる。すなわち、北方領土を含めたクリル諸島(北方領土と千島列島を併せたロシア側の地理的概念)の内側に広がるオホーツク海の防衛である。

オホーツク海カムチャッカ半島に配備された弾道ミサイル原潜(SSBN)のパトロール海域とされており、北極海をパトロール海域とする北方艦隊のSSBN部隊と並んでロシアの核抑止力(特に第二撃能力)を担う。ロシア海軍を構成する他の艦隊(バルト艦隊、黒海艦隊、カスピ小艦隊)にはSSBNは配備されていないことから、太平洋艦隊の戦略的意義は極めて高いのである。この意味では、北方領土駐留ロシア軍は島そのものを防衛するだけではなく、これを通じてオホーツク海全体を防衛する任務を帯びていると考えることができよう。

実際、第二次世界大戦において北方領土を占領したソ連軍は、1950年代に戦闘機部隊を除く大部分の兵力を一度撤退させている。ソ連軍が北方領土に地上部隊を再配備したのは1978年のことであるが、このタイミングはカムチャッカ半島にSSBNが配備されたのとほぼ同時期であり、核戦略とのリンケージは明らかであろう。これはソ連海軍司令官を長く務めたセルゲイ・ゴルシコフ提督の「防護戦闘遂行地域(ZRBD)」構想を反映したものであり、今日でいう接近阻止・領域拒否(A2/AD)アセットで防護されたエリアの内部にSSBNを遊弋させておくことで有事に第二撃能力を確保することを意図していたとされる。ZRBDはオホーツク海北極海に設定され、冷戦期の米国はこれらをソ連海軍の「要塞(バスチョン)」と呼んだ。他方、軍事評論家のアレクサンドル・ゴーリツは、このような「要塞」戦略が正式に採用されたのはソ連崩壊後の1992年であるとしており、この主張が正しければ「要塞」戦略は冷戦後に具体化したことになる。

「核要塞」のコンセプトがどの時点で採用されたものであるにせよ、ソ連崩壊後のロシアが見舞われた深刻な財政難は、このようなコンセプトを実現する能力を著しく制約した。クリル諸島に配備された兵力の大部分や太平洋艦隊のSSBN部隊は長らく装備更新されることなく老巧化するに任された上、北方領土では反乱、犯罪、食糧不足など、士気および規律の低下を窺わせるニュースが度々報じられている。また、プーチン大統領は、2003年に軍部からカムチャッカ半島の原潜基地閉鎖を打診されたことを2012年の国防政策論文で明らかにしており、オホーツク海の「核要塞」は放棄寸前の状況であったと言えよう。

しかし、2000年代後半以降、こうした状況には変化が生じ始める。2007年にスタートした「2015年までの国家軍備プログラム(GPV-2015)」や、その後継計画として策定された「2020年までの国家軍備プログラム(GPV-2020)」、「2027年までの国家軍備プログラム(GPV-2027)」によってロシア軍の装備近代化は大きく進展し始め、北方艦隊および太平洋艦隊では新型の955型(ボレイ級)SSBNの配備が開始された。

これに加えて2014年以降には対米関係の悪化によって核抑止力の意義が従来以上に高まり、これら新型SSBNを防衛するために北極およびオホーツク海の「核要塞」の再構築が重点課題となっていった。軍事専門家の中には財政悪化を理由にSSBN戦力の縮小を提案する声もあるが、実際にはSSBN戦力はむしろ強化される傾向にある。北方領土における前述の軍事力近代化も、(純軍事的には)これら核抑止力を防護するA2/ADアセット増強の一環として位置付けることができよう。

この文章を読むと、いかにロシア軍が千島列島に他国の艦船や航空機が近づくことを警戒しているかが解る。実際、ロシア軍は北方領土とその周辺海域は太平洋につながる戦略的な要衝として、2016年に新型地対艦ミサイル「バスチオン」(射程300㌔)を択捉島に、「バル」(射程130㌔)を国後島に配備し、対艦戦力を向上させた。さらに18年から択捉島に新鋭戦闘機「スホイ35」を常駐させているのに続き、20年には北海道上空を射程に収めるような高性能の地対空ミサイルシステム「S300V4」(射程400㌔)も配備して、対空能力を強化している。10年前か、月刊誌「文芸春秋」にロシア極東軍幹部の「いつか、日本は北方領土を取りに来る」旨の発言を紹介しているが、それ以前から日米両軍による上陸作戦を恐れていた。

ということで、昨年末からのウクライナ情勢が緊迫する中で、ロシア軍は北方領土周辺でも盛んにロシア軍が軍事演習を重ねている。

○12月2日…北方領土の北方にある千島列島のマトゥア島(松輪島)に新型地対鑑ミサイルシステム「バスチョン」を実戦配備したと発表

○12月3日…露軍が、クリル諸島(北方領土と千島列島)とサハリン島に兵士ら1000人以上を集め、地雷撤去などの軍事訓練を行う

○12月16日…国後島周辺で射撃訓練実施と通告

○1月9日…地対空ミサイル演習と発表

○1月11日…国後島周辺で射撃訓練実施と通告

○2月7日…北方領土や日本の領海を含む広大な海域を指定しミサイル発射訓練、国後島周辺での射撃訓練を通告

○2月12日…米国の潜水艦を千島列島ウルップ島近くのロシア領海で発見し、退去させたと発表

もう一度触れるが、いかに日米の艦船や軍用機の接近を恐れて、千島列島や北方領土にミサイル網を構築して軍事拠点化したり、軍事訓練を活発化しているかが解る。つまり、ロシアは第二次世界大戦末期に、日ソ中立条約を一方的に破棄し、北海道占領をもくろんで南樺太と千島列島を不法占拠したので、なおさら日米両軍による奪還作戦を恐れているのだ。そう考えると、ウクライナ戦争は千載一遇のチャンスであるので、いつ日米両軍による北方領土上陸作戦が敢行されるのか、と関心がもたれる時代になってきた。