北方領土問題とプーチン政権の前途

久しぶりに、北方領土問題を取り上げる。そこで、まずは2月9日付け「産経新聞」(論説委員・遠藤良介)の記事「一筆多論ー求む第二の明石元二郎」を紹介する。

ロシアとの北方領土交渉が無残なことなってしまった。安倍晋三前政権は色丹島歯舞群島に2島返還に絞り、経済協力を持ちかけて交渉したが、ロシアは日本の足元を見て態度を硬化させるだけだった。

極め付きは昨年、プーチン露政権が行った憲法改正で「領土割譲」を禁止する条項が設けられたことだ。むろん北方領土はロシア領でないが、ロシア側はこの条項を盾に交渉を拒否する姿勢だ。プーチン大統領がいる限り、北方領土返還は限りなく不可能に近いと認識せざるを得ない。

しかし、これは北方四島の返還を諦めるということでは断じてない。注目すべきは、ロシアの内政がここにきて流動化の兆しを見せていることである。

昨年8月に毒殺されかけた反体制派指導者、ナワリヌイ氏が1月に治安当局に拘束されると、首都モスクワをはじめ全国各地で大規模な反政権デモが起きた。ナワリヌイ陣営がプーチン氏の蓄財や宮殿の存在を告発したインターネットの動画は、公開から10日間で1億回以上も視聴された。

プーチン政権がナワリヌイ支持者のデモによってすぐに倒れることはないだろうが、長期の強権体制が深刻なきしみの音を上げているのは確かである。プーチン氏は昨年の改憲で2036年までの大統領続投を可能にしたが、36年どころか、24年までの現任期すら全うできるか分からない。

こうした情勢で想起されるのが、日露戦争期のロシアを相手に諜報・謀略活躍に奔走した日本軍人、明石元二郎大佐である。その活躍は司馬遼太郎の『坂の上の雲』といった歴史小説でも広く知られている。

明石はロシア帝国の一部だったフィンランド民族主義者、コンニ・シリアクスを右腕に、露革命勢力の糾合や武装蜂起を目指した。1904年秋にはロシアの反皇帝・革命勢力を集めた初の合同会議をパリで開催することにこぎつけた。これに呼応したかのように、翌年1月にサンクトペテルブルグで「血の日曜日事件」が起き、第1次ロシア革命へと発展した。

実際には、明石の行動はかなり露当局に把握されていた上、「血の日曜日事件」も明石の関与した革命勢力が主導したものでなかった。今日では多くの専門家が、明石工作は日露戦争の帰趨や第1次ロシア革命に直接の影響を与えなかったとみている。

それでも、と思う。プーチン政権を相手に通常の外交が通用しないのなら、日本は明石のような大きな発想で北方領土返還への地ならしを進めるべきではないか。革命扇動は不穏だとしても、露反体制派に人脈をつくって北方領土問題を説き、将来の政権交代に備えることはできる。

プーチン氏を熱烈に支持する保守層を除けば、ソ連の独裁者スターリンに否定的なロシア人は多い。北方領土の不法占拠はスターリンの犯罪であることを、広く国民に周知させる方法にも知恵を絞るべきだ。

明石が縦横無尽に欧州を駆け巡ったのに倣い、欧米諸国を北方領土問題で味方につけることも重要だろう。ロシアに辛酸をなめさせられた東欧・バルト諸国はもとより、ナワリヌイ氏の毒殺未遂事件で厳しい対露姿勢をとる西欧諸国にも支持を訴えるべきだ。

今、日本が相手にすべきはプーチン政権ではない。

深い共鳴を覚えながら読んだが、全く持って同意見である。それにしても、アンポンタンの安倍前政権の対露外交には怒りしかない。その象徴的な存在であった首相秘書官・今井尚哉を、朝日新聞(1月28日付け)が取り上げている。

ー首相秘書官在任中の今井の珍しいインタビューが月刊誌「文芸春秋」18年6月号に載っている。ロシアとの北方領土問題について「外務省は北方領土問題を前に進めるアイデアを持っていません(中略)。安倍さんは領土問題を解決して平和条約を結ぶことをプーチン大統領に宣言しているんですから、総理秘書官として必死になるのは当たり前」と語り、外務省出身の国家安全保障局(NSS)局長、谷内正太郎と対立したことを明らかにしている。ー

吾輩は谷内氏を信頼していたので、この事実を知ると如何に政権トップが重要であるかが良く解る。つまり、何回も記しているが、「歴史観」や先見性、想像力が欠落した“宰相の器でない人物"を政権トップに据えると、取り返しのできない事態に陥る。そして、こんな事態が続くと、自由と民主主義に失望して、命を懸けて今の体制を守ろうという人たちが去って行くことになる。

遠藤氏は「プーチン政権がナワリヌイ支持者のデモによってすぐに倒れることはないだろう」と記しているし、また「ニューズウィーク日本版」(2・9)も、

ー確かにプーチンの体制は腐敗しているが、その強権支配によって軍隊を含む国家機関を完璧に掌握している。(中略)体制内のしかるべき人物がプーチンを見限ってナワリヌイの運動に合流しない限り、民衆のデモだけで体制を転覆できるとは思えない。ー

と書いている。その見解を知ると、数万人規模のデモでプーチン体制が崩壊することもないようだ。

しかしながら、プーチン大統領のためとされる豪華な「宮殿」の存在を指摘した動画(1月19日にナワリヌイ陣営が、建設費1千ルーブル〈約1400億円〉の“隠し宮殿"を動画で告発)について、ロシアの55歳以上の回答者の49%が否定的であるが、若者層(18〜24歳)は81%が肯定的に捉えているという。さらに、ナワリヌイ氏を最初に治療したオムスク救急病院の副医長セルゲイ・マクシミシン医師(55)が急死(2月4日発表)したことに関しては、明らかに「不審死」と考える人たちが多い。そのほか、ナワリヌイ氏の釈放を求める抗議デモ(1月23日〈110都市〉と31日〈80都市〉、そして2月14日実施予定)を考えると、プーチン時代しか知らない若いロシア人たちが、今とは違う社会を求めて過激な行動に発展する可能性がある。

要するに、今のロシアが再び、ソ連崩壊時のような混乱を起こす可能性が“無きにしもあらず"と考えるのだ。それを考えると、次のチャンスを確実に物にするために、外務省はインテリジェンス・コミュニティーを大いに活用して、今から“次の手"を準備しておくべきだ。戦時中の「中野学校」(2月7日付け「毎日新聞」では、中野本校卒業生・牟田輝雄氏〈旧制旭川中学、陸軍士官学校55期〉を大きく取り上げている)ではないが、今こそ外交官が追放(2月8日)されたドイツとポーランドスウェーデンなども巻き込んでのインテリジェンス機関の出番である。