今後の中露関係をどう見るべきか

最近、新刊書「民族と文明で読み解く大アジア史」(著者=著作家・宇山卓栄、講談社新書)を読み終わった。その中に、中国とロシアが基本的に「軍事同盟」(一般に安全保障のために、2カ国以上の独立した国家が相互に軍事力の援助を行うことを定めた条約)を築けない歴史が記述されているので紹介する。

〈「白人の同化力」がアジアを消滅〉

(中略)

19世紀に入り、ロシアは「南下政策」と呼ばれる帝国主義拡張を本格化させます。東シベリア総督が設けられ、中国への露骨な侵略が開始されます。ロシアは、清がアロー戦争で追い込まれいる隙を突き、アムール川流域に軍を進めます。

ロシアは清に対し、イギリスやフランスの侵略から中国を守りたいなどと囁きながら、清に接近し、武力による威嚇も行いつつ、1858年、アイグン条約の締結を半ば強要して、アムール川(中国名は黒竜江)以北の地を割譲させました。

そして、アムール川ウスリー川の合流点にハバロフスクの街が建設されます。この街の名は17世紀にアムール川を探検したエロフェイ・ハバロフに因んでいます。ハバロフスクウラジオストクに次ぐ極東ロシアの都市です。

アロー戦争でイギリス・フランスの連合軍は北京を占領します。そしてロシアが講和の斡旋に立ちます。その見返りとして、ロシアは1860年、清に北京条約の締結を強要し、ウスリー川以東の沿海州を獲得します。そして、沿海州の南端の地にウラジオストクを建設します。ウラジオストクは冬でも凍らない不凍港で、日本海から南下して太平洋へ進出することが可能となりました。1891年にはシベリア鉄道の工事も着工されます。これらの失われたアジアの領土は二度と戻ってくることはありませんでした。

現在、これら極東地域やシベリア地域では、白人のロシア人に対する先住のアジア系民族の割合が少なく、1割にも達していません。かつてアジア系民族がロシア人に駆逐され、迫害されたことが主な原因です。「白人の同化力」ともいうべきパワーがアジアの民族や文化を消滅させていく強大さ(残忍さと言ってもよい)を持っていたことがわかります。

ただし、アジア系民族が減少したと言っても、ロシア人に混血同化したアジア系も多く、何を基準にロシア人やアジア系と分類するかは難しいところもあります。また、ここで言うアジア系民族とは、極東にいた先住民のことです。今日では、新たに中国人の移住者が急増しています。中国人はロシア人の当局の幹部を買収し、ビザを取得し、土地やテナントの賃借を大規模に展開するなど、ウラジオストクの街中で進出が目立っています。

中国の歴史教科書に、2012年、「極東の中国領150万平方キロが、不平等条約によって帝政ロシアに奪われた」という一文が記載されるようになりました。極東地域は元々、中国の領土であり、帝政ロシア清王朝から奪い取ったもので、ロシアの領土保有に正当性はないと考えられるようになっています。中国の保守派はロシアに領土返還を強く要求すべきと主張しています。

中国のこうした動きにロシアは神経を尖らせています。中国との間で新たな領土問題が生ずる可能性もあります。プーチン大統領は、ウスリー川アムール川が合流する位置にある大ウスリー島の領有問題を中国と協議し、2008年、島の西半分とその西側にあるタラバーロフ島の全域を中国に割譲しました。かつて1960年代末、ダマンスキー島(大ウスリー島の南部に位置)の領有権を巡り、中ソが軍事衝突しています。

政府の独断的な領土割譲に反発したハバロフスクの地方議会や市民が連日、デモを行いましたが、プーチン大統領は押し切りました。ロシアが領土割譲を急いだのは、国境を中国に認めさせ、極東地域におけるロシアの領土保有に対する中国側の異論を封じ込める狙いを持っていたからです。この問題を放置しておけば、中国が極東地域全域の領土返還を要求しかねないという危惧がロシア側にはあるのです。

以前にも書いたが、吾輩は学生時代に「中ソ対立」に関心を持ち、卒論は題名「中ソ対立の歴史的な背景」(四百詰め原稿用紙450枚)であった。そういうことで、ここに記述されているロシアの極東侵略の歴史は、是非とも知ってほしい事柄である。

6月30日、北大西洋条約機構(NATO)の首脳会議が閉幕したが、新たに策定した今後10年の「戦略概念」で、ロシアを「パートナー」から「最も重大で直接的な脅威」と位置付けるとともに、中国についても「体制上の挑戦」と転換させた。つまり、NATO諸国はロシアと中国の「戦略的パートナーシップの深化」への警戒も強いが、内情は前述のような根深い領土問題を抱えている。

ついでに樺太(日本の液化天然ガス〈LNG〉の8・8%〈600万トン、3722億円〉はサハリン2から輸入)のことを書くと、間宮林蔵が1808年に樺太が島であることを確認した当時は、極東地域や樺太ロシア帝国の勢力がほとんど及んでなく、ロシアが間宮海峡を発見したのは1849年のネヴェリスコイ大佐を長とする遠征隊である。その時以降に帝政ロシア樺太侵略が始まったが、それは極東地域と樺太を一体的に捉えていたからで、もしも極東地域が簡単にロシアに奪取されなければ、樺太には容易に軍事進攻できなかったと見ている。

いずれにしても、ウクライナ戦争でのロシア軍の残虐行為を前に、世界は欧米日などの民主主義陣営と民主主義を見くびる強権的な中露の独裁国家陣営に分かれ、NATOは力を頼みに秩序の現状変更を目指す「中露の連携」を警戒しだした。だが、中国はチャンスが到来すれば、清朝の時代にロシアに奪われた沿海地方の奪還に乗り出す筈で、そのような動きは「平和ボケ」日本人には解からないと思うが、二百年経っても、三百年経っても「漢民族」の意識は変わらないのだ。今は核兵器という“化け物"が存在するので、簡単に動き出せないだけで、お互いに全く信用していない。そういうことで、米国の攻撃的な態度によって中露は仲のいいふりをしているが、実は「離婚なき便宜的結婚」という関係を示しているだけで、だから「軍事同盟」までは至らないと楽観視しているのだ。