イスラエルをどう見るべきか

2022年2月24日にロシアによるウクライナ侵略が始まり、翌23年10月7日にはイスラム主義組織「ハマス」(1987年に結成され、ガザ地区を中心にパレスチナの解放を訴えている武装組織)がイスラエルへ大規模な攻撃を行ってから8カ月、依然として2つの戦争は終わりが見えない状況が続いている。そんな中、イスラエルの後ろ盾である米国では、パレスチナ支援を訴える学生デモが大規模に起きているが、その辺のところを5月30日付「産経新聞」で元外交官・宮家邦彦(1953年生まれ)が企画シリーズ「米ユダヤ系 黄金時代の終わり」と題して解説している。

この原稿はワシントンの定宿で書いている。1981年に留学して以来、当地で結婚し、大使館勤務も経験した。今回はレンタカーを借り、昔と変わらない街並みを抜け、昔住んだ家もちらっと眺めた。今年も数十年来の旧友たちと会えたのだが、実は彼らの一部に「異変」が起きているという。近年、彼らユダヤ系米国人を取り巻く環境が激変しつつあるというのだ。今回は日本であまり知られていない米国内の「反ユダヤ主義」の実態を取り上げよう。

■衝撃的な雑誌記事

米アトランティック誌の本年4月号に衝撃的記事が掲載された。「米国ユダヤ人の黄金時代は終わりつつある」と題する小論の結論はこうだ。

 

反ユダヤ主義は右派だけでなく左派でも増えている

ユダヤ系米国人の前例なき安全と繁栄の時代は終わる

〇彼らが望むリベラル秩序も破壊の危機に瀕している

 

これだけでは日本の読者には分かりにくいかもしれない。1830年代以降、主として欧州から米国にやって来た数百万人ものユダヤ系移民がさまざまな苦難を乗り越え、1960年代からようやく差別を克服していった歴史を知らなければ、現在復活しつつある「反ユダヤ主義」的風潮は決して理解できないと思うからだ。

■差別・排除の歴史

19世紀、ユダヤ系移民は米国社会の中で有形無形の差別に苦しみ、特にアングロ・サクソン系など先住移民の子孫が支配する銀行、鉄道など主要産業や弁護士業から事実上排除されていた。ユダヤ系が小売り、ブローカー業などで成功できたのはそれら産業に反ユダヤの差別が少なかったからだ。

公民権運動を支援

20世紀に入っても差別に苦しむ黒人解放運動を支援し、リベラル運動の旗手となったのは、自らを解放するための手段だったからでもあった。ポップミュージック界では60年代当時、ユダヤ系のボブ・ディラン氏やサイモン&ガーファンクルが活躍したが、そうした背景を正確に理解していた日本の音楽ファンはごく少数派だったと思う。

■米国政治の主流へ

反ユダヤ主義からユダヤ系米国人を真の意味で解放したのは、61年に大統領に就任したアイルランド系でカトリック教徒のケネディだった。彼が登用し、後に「ベスト・アンド・ブライテスト」と呼ばれる政府高官たちの中には多くのユダヤ系学者が含まれ、ユダヤ系は初めて国家権力を行使する機会を得た。80年代からはユダヤ系の連邦議員が増え始め、過去には国務長官も務めたキッシンジャーが米国外交を取り仕切るなど、ユダヤ系米国人の「黄金時代」が到来した。筆者が彼らに出会ったのは丁度その頃である。

反ユダヤ主義、再び…

しかし、21世紀に入り風向きが変わってきた。2008年のリーマン・ショックユダヤ陰謀論が沸騰し、ユダヤ系の投資家、ジョージ・ソロス氏が批判された。こうした風潮はトランプ政権誕生で助長され、18年にはペンシルベニア州ユダヤ教会で銃乱射事件が起き、「全てのユダヤ人は死ね」と叫ぶ犯人が11人を殺害した。

ユダヤ系若者の意識変化

先日再会した旧友たちが最も憂慮したのは、全米の大学に広がった「パレスチナ支援」デモに少数ながらユダヤ系の若者がアラブ系学生とともに参加したことだったという。時代は変わったものだ。

■日本人と反ユダヤ主義

こうした欧米での「反ユダヤ主義」の高まりは極めて危険な兆候である。ユダヤ系が差別されれば、いずれ日本人を含むアジア系、ラティノ系、アフリカ系の少数派にも差別が向かうからだ。されば、日本人はもっと非難すべきなのだが、日本ではそうはならない。日本にとって米国大学の混乱は決して対岸の火事ではないのである。

吾輩にとって、イスラエルで一番深い思い出は1967年6月の「第三次中東戦争」である。当時高校1年生であったが、父親や職場の同僚が「あんな小さな国が、僅か6日間で周りのアラブ諸国を敗戦に追い込んだ」と話していたことだ。確かに、当時のイスラエルは人口が200万人で、一方のアラブ諸国は1億人はいたし、父親の世代は先の大戦で米国に大敗していたことから、なおさら小国の大勝に驚いていたのだ。

話は多少脱線するが、新聞記事の中で取り上げられているヘンリー・キッシンジャー(1923~2023・11・29)について書きたい。ユダヤ系ドイツ人の家に生まれ、ナチス・ドイツから逃げるために米国にやって来たキッシンジャーは、19世紀ドイツ帝国の「鉄血宰相」ことオットー・フォン・ビスマルクに心服し、「外交政策は感情ではなく、強さの評価に基づいたものでなければならない」というビスマルクの信念に同調していた。そういう背景から、キッシンジャー外交政策は、大国間の勢力均衡による平和を模索し、国益のためであれば価値を共有しない相手とも組む「現実主義」であるので、吾輩は昔から嫌いであった。そのように「理想主義」よりも「現実主義」を優先する国際政治学者であることから22年5月、和平のためにはウクライナの領土割譲もやむなしともとれる発言をして論争を巻き起こしている。

要はキッシンジャー外交とは、中小国は「長い物には巻かれろ」というもので、そのあたりのことを東京大学先端科学技術研究センター准教授・小泉悠が、月刊誌「正論」(令和6年3月号)の中で発言している。

ー私はこの戦争が始まる前から意外さを感じていたのですが、例えば米ランド研究所のサミュエル・チャラップのようなロシア専門家が開戦前から、ロシアではなくウクライナに圧力をかけて、ロシアに対する妥協を飲ませればロシアは攻めていかないのだから、と言っていたわけです。昨年亡くなったキッシンジャー元米国務長官なども典型ですが、米国のリアリスト(現実主義者)の中には、大国同士が戦争をしないことが国益であり、そのためには中小国を切りすてるのも時にはリアリズムとして必要なのだと考える人がたしかにいるのです。これが彼らの「リアル・ポリティーク」なんですよ。だからその結果として例えば、「中程度の民主主義国」とされるウクライナがロシアに侵略されるとか、主権を制限され領土を奪われることがあってもやむを得ない、となる。「そんなこと」よりロシアと戦争しないことのほうがはるかに重要なんだ、と考える人が米国の戦略コミュニティーの中には確実にいるのです。ウクライナの反転攻勢がうまくいっていないことによって、そういうタイプのリアリストが今、すごく力を持っているように思います。ー

そういうことで、吾輩は22月2月4日付け「プーチンの本質とその対外政策の深層」の中でキッシンジャーの発言を紹介している。もう一度繰り返すが、キッシンジャーはウラジミール・プーチン大統領サンクトペテルブルク第一副首相時代に会った際、「私は、ソ連が東欧からあまり急いで出て行くべきではないと考えていた。正直言って、私はなぜゴルバチョフがあんなことをしたのか今もって理解できないんだ」と言っている。まさに、中小国の人々の主体性を無視した「大国主義」の目線で発言しているのだ。また、中国の習近平主席とも何回も対談しているほか、中国国内で何回も講演を行うなどして、相当な金額を得ていたという。

話をイスラエルユダヤ人に戻すと、我々はナチスユダヤ人を大量虐殺(ホロコースト)したことで、ユダヤ人の国・イスラエルを熱烈に支持してきた。だが、そもそもハマスの奇襲攻撃でイスラエル国民を多数死なせることになったものの、パレスチナ自治区ガザ地区で多数の民間人が犠牲になっている惨状を知ると、果たしてこれまで通りイスラエルを支持していけるのか、と自らに問いかけるのだ。