対馬を福岡県に編入しように大賛成

6月3日付「産経新聞」は、風を読む「対馬を福岡県に編入しよう」(論説副委員長・佐々木類)と題して、次のように報じた。

国境の島、対馬(長崎県)は古くから国防の最前線に立ってきた。中でも13世紀、蒙古と高麗(朝鮮)両軍による2度の元冠は凄惨を極めた。

幕末の1861年3月には露軍艦ポサドニック号が対馬浅茅湾に現れ、芋崎(対馬市美津島町)の一部を半年間、不法に占拠した。露艦隊の撤去に一役買ったのが英海軍だ。英国公使ラザフォード・オールコックが軍艦2隻を対馬に派遣し、露軍を力づくで退去させた。

油断ならないのは、オールコックが英本国に対馬の占領を打診していた事実である。今も昔も国際社会は腹黒いのだ。

近年では平成20年、韓国の国会議員約50人が国際法上も歴史上も根拠がないのに「対馬返還要求決議案」を国会に提出するなど、領土的野心を隠そうとしない。対馬の祭りでは朝鮮通信使に扮した韓国人が「対馬はわが領土」と韓国語で歌いながら練り歩いたこともあった。

そんな現実を前に対馬では、福岡県に編入(転県)してほしいという声が根強い。国防上の危機感を背景に、過疎化が進む島の活性化を図りたいという島民の思いがそこにある。

対馬市議会では平成29年、対馬市の転県が議題となり、その後立ち消えとなった。福岡県への転県案は、公式には昭和21年に浮上した。当時の対馬総町村組合議会が福岡県への転県を提案し満場一致で可決された。長崎県議会がこれを否決し、県が対馬開発計画を策定するなどして転県話は終息した。

転県賛成派の小田昭人対馬市議(73)は1日、「対馬は地理的にも歴史的にも長崎県より福岡県と縁が深い。買い物や病院も長崎県より福岡県に行く人が多い」と語り、「福岡県は人口増が著しい福岡市を抱えて財政的にも豊かだ。福岡県から経済的、人的支援を受ければ韓国人観光客ばかりに頼らなくても済む」と強調した。

長崎県はこの声をどう聞くか。県広報課は同日、「公式にそうした声を聞いたことがないので、現時点で回答を持ち合わせておりません」と回答した。

福岡県への転県を提唱する一人で5年前に対馬で知り合った社会福祉法人の理事長、武末裕雄さん(78)は「朝鮮半島に近い対馬は日本の(中国大陸に最も近い台湾の)金門島だ。転県すれば、国民の意識もこちらに向く。日本政府には転県を実現して島の活性化を図り、国防を強化してほしい」と語った。

上記の出来事は「ポサドニック号事件」(島民二人が犠牲)とか「対馬事件」と言われているが、平成29年に対馬市(人口約2万8千人)の市議会で「転県」が議題になっていたとは、全く知らなかった。しかし、個人的には以前から「対馬はどうして福岡県ではなく長崎県なのか」と思っていた。なぜなら、地図を見れば明らかなように、断然長崎県よりも福岡県に近いし、旅行に行く場合にも福岡市から行った方が、断然便利であるからだ。ということで、佐々木氏の「対馬を福岡県に編入しよう」という提案には大賛成である。

吾輩は以前から対馬だけではなく、そのほかにも合併や変更するべき都道府県や市町村があることを感じてきた。例えば、静岡県熱海市伊東市は、昔から「なぜ神奈川県でなく、静岡県に属しているのか」と思ってきた。関東地域に住んで、鉄道や車で伊豆半島の東側を旅行すると、箱根を超えずに難なく伊東市下田市に到着するからだ。そして、現実に伊豆半島東側の鉄道・伊東線JR東日本が運営しており、経済的な結び付きも関東圏との方が深いと考えるのだ。

このほか、以前から東北本線古河駅を通ると「茨城県古河市から県庁所在地の水戸市に行くのは大変だなぁ。それであれば、栃木県に入れれば良いのに」と感じたものだ。これも地図を見ればわかるが、鉄道では直通で行けないし、車で行くにも大変である。それに比べたら栃木県の県庁所在地・宇都宮市には鉄道では一本だし、道路も一本道である。

都道府県に関しても、面積と人口が少ない鳥取県(約55万3千人)は、参議院選挙区において島根県と合区になっており、今後も正常化する見通しが立っていない。だから、はっきり言って鳥取県島根県は合併すれば良いのだ。また、佐賀県(約81万1千人)も面積も人口も少ないから、長崎県と合併すれば良いのだ。さらに山梨県(約80万9千人)は、長野県の南部か静岡県の東部を編入するか、逆に静岡県編入されれば良いのだ。面積も人口も少ない都道府県は、財政的にも無駄に繋がるのだから、少なくしていけば良いのだ。

北海道に関しては、そばの産地・幌加内町は2010年に空知支庁から上川支庁に移管されているが、支庁間の移動は北海道総合振興局及び振興局設置条例において、簡単にできるようだ。そうであれば、ついでに面積が少なく人口もわずか3万2千人しかいない檜山振興局は、渡島総合振興局に移管させるべきであった。

というわけで、どさくさ紛れというべきか、悪乗りを承知で指摘したが、以前から疑問に感じていた県境や境界線を示してみた。そこには古い絵図であったり、地域住民の歴史に対する深い想いを無視している面もあると思うが、いずれにしても幕藩体制から天皇を頂点とした明治新政権を樹立してから150年も経っている以上、現在の都道府県の県境が今のままで良い筈がないではないか。とわ言うものの一顧だにされないと思うが、時代の現状から合理的であれば改正されて然るべきで、対馬を含めて都道府県の県境を考える時期に来ていることは間違いない。