沖縄戦の北海道市町村別の戦死者数

前回は沖縄戦を取り上げたが、北海道出身者としては、どうしても北海道の戦死者(1万8千余)の市町村が知りたくなる。ネットで調べると、都道府県ごとの戦死者数は掲載されているが、沖縄県以外は市町村ごとの戦死者数は公表されていない。北海道の場合、その面積が東北6県+新潟県であるし、戦死者数は都道府県の中で最も多いので、一つの行政単位での公表では何も解らない。

そこで、1月25日(月)に内閣府に問い合わせたが、沖縄戦の多種多様な書籍が備わっているが、吾輩が知りたい資料はないという回答であった。続いて、北海道庁に問い合わせてみたところ、「沖縄の『平和の磯』の刻銘者については、本籍地の市区町村ごとの名簿があるので人数は解ります。でも、すぐには答えられないので、連絡先を教えて下さい」ということで、吾輩のFAX番号を伝えた。

しかし、なかなか道庁から連絡がこないので、木曜日の夜に友人と話すと、友人は「上司の許可が下りないのではないか。断る理由としては『遺族の感情がある』と、理由はいくらでも付けられる」というので、連絡を取るのは来週にすることにした。

ところが28日(金)の午後、担当者から「これから依頼されていた数字を送ります」との連絡があった。吾輩が「よく上司の許可が下りましたね」というと、相手は「数だけですから…」との返答で、さらにページ数を尋ねると「6枚です」という返答であった。

資料入手の経緯はこの程度にして、送付されてきた資料「本籍地市区町村ごとの刻銘者数〈市区町村名は合併前のもの〉」を紹介する。

ー北海道計1万800ー

石狩支庁〉ー1092ー

札幌市761、江別市82、千歳市32、恵庭市34、広島町17、石狩町25、当別町52、新篠津村10、厚田村35、浜益村39、不祥5

渡島支庁〉ー1354ー

函館市684、松前町78、福島町46、知内町26、木古内町47、上磯町60、大野町37、七飯町46、戸井町44、恵山町25、椴法華村7、南茅部町27、鹿部村15、砂原町15、森町67、八雲町85、長万部町39、不祥6

檜山支庁〉ー326ー

江差町41、上ノ国町41、厚沢部町31、乙部町44、熊石町37、大成町32、奥尻町10、瀬棚町29、北桧山町25、今金町36

後志支庁〉ー1299ー

小樽市557、島牧村17、寿都町72、黒松内町26、蘭越町45、ニセコ町24、真狩町22、留寿都村34、喜茂別村34、京極町31、倶知安町42、共和町51、岩内町89、泊村40、神恵内村19、積丹町41、古平町33、余市町116、仁木町13、赤井川村11、不祥3

空知支庁〉ー1612ー

夕張市168、岩見沢市115、美唄市155、芦別市43、赤平市55、三笠市119、滝川市86、砂川市59、歌志内市66、深川市119、北村20、栗沢町66、南幌町17、奈井江町27、上砂川町32、由仁町49、長沼町58、栗山町71、月形町17、浦臼町17、新十津川町55、妹背牛町26、秩父別町30、雨竜町27、北竜村21、沼田町51、幌加内町40、不祥3

上川支庁〉ー951ー

旭川市304、士別市82、名寄市92、富良野市65、鷹栖町30、東神楽町10、当麻町31、比布町21、愛別町18、上川町16、東川町31、美瑛町48、上富良野町29、中富良野町26、南富良野町22、占冠村2、和寒町24、剣淵町19、朝日町12、下川町17、美深町25、音威子府村6、中川町19、不祥2

留萌支庁〉ー238ー

留萌市50、増毛町37、小平町29、苫前町23、羽幌町41、初山別村17、遠別町9、天塩町19、幌延町13

宗谷支庁〉ー198ー

稚内市41、猿払村20、浜頓別町4、中頓別町23、枝幸町11、歌登町15、豊富町13、礼文町18、利尻富士町41、利尻町11、不祥1

網走支庁〉ー1147ー

北見市163、網走市109、紋別市82、東藻琴村17、女満別町33、美幌町63、津別町39、斜里町50、清里町17、小清水町26、端野町28、訓子府町36、置戸町35、留辺蘂町41、佐呂間町60、常呂町20、生田原町25、遠軽町54、丸瀬布町14、白滝村17、上湧別町30、湧別町54、滝上町43、興部町37、西興部村25、雄武町29

胆振支庁〉ー583ー

室蘭市205、苫小牧市64、登別市28、伊達市65、豊浦町34、虻田町24、洞爺村15、大滝村7、壮瞥町26、白老町31、追分町26、厚真町21、鵡川町16、穂別町21

日高支庁〉ー223ー

日高町11、平取町26、門別町34、新冠町8、静内町35、三石町26、浦河町37、様似町27、えりも町19

十勝支庁〉ー929ー

帯広市194、音更町86、士幌町22、上士幌町25、鹿追町29、新得町30、清水町58、芽室町67、中札内村17、大正村4、更別村18、忠類村10、大樹町27、広尾町31、幕別町62、池田町40、豊頃町43、本別町54、足寄町43、陸別町19、浦幌町49、不祥1

釧路支庁〉ー489ー

釧路市214、釧路町26、厚岸町51、浜中村33、標茶町28、弟子屈町42、阿寒町30、鶴居村12、白糠町29、音別町23、不祥1

根室支庁〉ー207ー

根室市100、別海町36、中標津町31、標津町20、羅臼町8、歯舞町10、千島択捉郡留別村1、千島択捉郡泊村1

樺太庁〉ー152ー

先の大戦では、310万人の犠牲者が出た中で、沖縄戦戦没者だけを取り上げるのは、どうかとも考えた。だが、北海道出身の兵士は沖縄県以外の都道府県では、最も多く戦没者を出しているので、その内訳を知りたくなるのは自然なことである。また、資料入手の過程で、内閣府の職員が「私も関心があるので、北海道の市町村別の戦死者数がネットに掲載されたら観たい」という発言が出たことを考えると、道庁の担当者には感謝しかないが、国や都道府県は既に公表してしかるべき数字と考える。

話は少し横道に逸れるが、網走市沖縄県糸満市は、平成13年12月1日に友好都市提携の調印を行い、それ以来は物産展開催などの経済交流、スキー体験や平和学習などの青少年交流、そして市役所職員の交換交流などを行っている。もう20〜30年も昔のことだが、オホーツク管内の人手不足を補うために、農繁期沖縄県から大勢の労働者が入っているニュースを聞いたので、その辺から民間交流が始まったと想像している。

糸満市では、日米軍が激烈な地上戦が繰り広げられた地域で、市内には戦没者名を刻んだ石碑「平和の礎」や「ひめゆりの塔」、さらに「摩文任の丘」には元沖縄県知事・島田叡と元沖縄県警察部長・荒井退造の「終焉之地」碑が建つている。それを考えると、網走市は北海道とオホーツク管内を代表する意気込みで、糸満市との交流事業を末永く長く続いてほしい。

話しを戻すと、人口の割合には、オホーツク管内戦没者が多い。ただ単に戦没者の数字を打ち込んだが、その数字は重い。その重い数字の背後には一人一人の人生があったわけだし、またご遺族のその後の人生もあったわけで、まずは合掌したい。