滝上町の私設花園「陽殖園」の前途

今回は、北海道滝上町の重要な私設花園「陽殖園」を開墾・運営してきた人物を、同町が町民に配布する「広報たきのうえ」6月号で取り上げているので紹介する。

〈シリーズ連載(50)〉ー滝上の人ー

〜理想の風景を作り続けて〜

今月号で滝上の人のコーナーも50回目を迎えました。今回は、「陽殖園」園主の高橋武市(たかはしぶいち)さんにスポットをあてていきます。

高橋さんは昭和16年生まれの現在82歳です。

畑作農家の長男として滝上で生まれ育ち、子どもの頃から畑仕事を手伝いながらも、軒先などに花を植えることが好きだったそうです。

子どもの頃のお話を伺うと、

「小学4年の頃、家から離れた急斜面の下にある井戸への水汲みを担当するようになって天秤棒を担いで毎日往復したんだ。それは地獄だったね。でも、生きていくためだからさ。」と、子どもの頃から苦労しても最後までやり通す芯の強さを発揮されていました。

花園を仕事としていくことを決めたのは、中学2年生のときだったといいます。

「家の手伝いで野菜の訪問販売しながら、父が育てたレンゲツツジがきれいで試しに売ってみたら、野菜より高く買ってもらえたの。それからここで花を育てて生きていくと決めたんだ。」

これをきっかけに、高橋さんの祖父が開墾した農地で陽殖園の造成を始められたということです。

園の造成では、たった一人で長い期間をかけて大地を彫刻するように土を掘って池を作ったり、掘った土を一輪車で運んで盛って山を作ったりと起伏のある立体的な構成の庭園を作りあげました。

「父には山の中に山を作ってどういうつもりだってあきれられたけど、平面の花園を作ってもつまらないでしょ。大変だったけど、あの時は体力も時間もやる気もあったから。無かったのはお金だけ(笑)」。

花の育成は独学で試行錯誤をしながら行ってこられたということですが、温室で育てていたサボテンが寒波で壊滅したことをきっかけに、この地で育つ植物のみを育て、自然を再現した観光庭園を目指していくことを決めたそうです。

「完全無農薬で庭造りをしているから虫は出るけど、いろんな種類の植物があるから生き残るものがある。結局は植物の力と自然に任せるしかないの。」

こうした庭造りで、800種類以上の花や植物が生い茂り、園の名のとおり「太陽が育て殖やす花園」が作られました。いつの間にか蝶や蜂やトンボ、小鳥たちが集まるようになりビオトープ(生物生息空間)としても注目されるようになりました。取材で園を訪れた日にも、希少なエゾライチョウに間近で会うことができ、改めて自然風庭園の魅力と、これを人の手で作り上げた凄さを感じました。

陽殖園は1日2日では園内を回り切れないため、来園者のリピーターが多いことも特徴です。

「10人が一回きり来園するよりも、1人が10回来てくれることが大事。開花時期の異なる花たちが次々と咲くようバランスよく植えているから、いつ来ても見頃の花が出会える。」と、お客さんが再び来たいと思わせる工夫もこらされており、1年に15回訪れるお客さんもいるそうです。

平成27年には、オホーツク管内で初となる日本造園学会北海道支部の「北の造園遺産」に認定され、花園として多くの評価を受けている陽殖園ですが、生涯をかけて一人で庭園をつくりあげたその生きざまも、ファンを惹きつけている一因となっているのだなと感じました。

「この陽殖園には完成形はない」と語る高橋武市さん。今後も頭の中の設計図を形にしながら陽殖園というアートを進化させ続けます。

高橋氏は、書名「武市の夢の庭」(発行者=㈱小学館、2007年4月28日初版第1刷発行)を出版したり、都内・新宿においてクラブツーリズム㈱主催の「講演会」(14年11月2日、総勢約200人)で話したり、朝日新聞の全国版2面「ひと」欄に掲載(15年9月8日付)されたり、月刊誌「婦人画報」(17年の5月号)で特集されたりと、滝上町では最も有名な人物である。しかしながら、実は後継者がいないことから、将来像が全く見えない状況にあるのだ。

そういうこともあり、17年7月30日に全国放送されたNHK・Eテレ番組「猫のしっぽ カエルの手」で、英国出身のハーブ研究家であるベニシア・スタンリー・スミスさん(6月21日死去〈享年72〉)が「陽殖園」を訪れる場面があったことから、高橋氏と親戚関係にある同級生(当時町長)に「陽殖園は残したいものだ」旨のメールを送付したところ、同人から次のようなメールがきた。

ー武市さんあっての陽殖園、訪れる人の大部分は園主の魅力と800種の花々の両方が引きつける基になっていると見ています。ベニシアさんも絶賛したガーデンで、武市さん以外の管理人が手がけても、魅力は半減します。pHpで取りあげられたのは、彼の貧乏な暮らしにあって、お金儲けには全く興味を持たず、喜ばれるガーデンづくりに徹してきたことです。滝上に3泊して陽殖園を散策するグループに今夜ホテルで会いました。感じたことは、園主は高橋武市だから来ているのであって、別な管理者ではどうかな?との印象です。

結論、他のガーデンのように、親族、会社組織の運営は経営者が代わっても、園主と接する機会が少ないので、影響は限られるでしょうが、ここは園主一人で手入れしてますから、代われば魅力は半減します。従って武市さんのいない陽殖園は考えられません。彼の代で閉園となります。この問題は彼とじっくり話した結論です。ー

ということで、高橋氏が一人で築き上げた花園「陽殖園」は、本人が亡くなれば閉園になると言うのだ。だから、吾輩も応援する意味で高橋氏を取り上げたが、今後はどなたか後継者が現れたり、何らかの方法で存続することが決まれば、と願っているのだ。

というのは、滝上町には丘陵が鮮やかなピンク色に染まる「シバザクラ」の大群落があるが、なんせ見頃は5〜6月の1カ月くらいの期間しかない。それを考えると、年間を通じて交流人口の維持・拡大につながる観光資源が、是非とも滝上町には必要である。また、専門機関の推計によると、2045年の滝上町の人口は、今の半数以下の1126人になるというのだから、なおさら重要な観光資源を失ってはならないと思うのだ。

※後記ー6月7日、昨年5月に滝上町を訪れた吉村昭研究会の桑原文明会長(高校は「園芸科」を卒業)からのメール

ーおはようございます。滝上町の私設植物園の件、北海道に同行させて頂いた時もお聞きしましたが、高橋さんの引退を持って廃園はとても残念です。もし、後を継ぐ方が居られないなら、町営植物園にしたらいいと思います。勿論、予算や人員等の問題もあるかと思いますが、あの方でなければ出来ないものでもないと思います。私の「吉村昭文学資料館」も、私が手を引いたら誰も出来ませんが、現存している資料は、どこかに無償譲渡して、そこに任せるつもりです。新しく誰かがやるのなら、新しいやり方もあるし、あるいはもっと発展するかもしれません。ー