ドーピングの効果、やはりそうか

まずは、旧ソ連旧東ドイツなどの旧共産圏が国威発揚のため、スポーツ界で横行していたドーピング(禁止された薬物や手法を用い、競技能力を不正に高める行為)に関する新聞記事(1月28日付け「朝日新聞」夕刊)から紹介する。大見出しは「ドーピング効果 筋肉が10年記憶?」である。

〈世界反ドーピング機関 理事会で「仮説」ー「最優先で研究」 事実なら罰則期間は、記録の扱いは…〉

頭の中に、はてなマークが浮かび上がった。

昨年11月末、パリで開催された世界反ドーピング機関(WADA)の理事会を取材した。新型コロナウイルスの感染が広がった2020年3月以降、初めて対面参加が許された理事会だった。

会議場となったあるホテルの一室には50人ほどが集まり、狭くも感じられた。だが、閉塞感はない。それぞれの心がはずんでいるような空気感だった。

人によっては1年半以上ぶりの再会だ。休憩中、エスプレッソを片手にチョコレートクロワッサンをほおばりながら盛り上がる理事たちの姿を見て、無理もないなと思った。

動物実験で兆候ー

しかし、和やかな雰囲気は一人の発言で一掃された。WADAで科学部門を統括するオリビエ・ラバン博士だ。さらりと、こう述べた。

「筋肉の記憶を利用すれば我々が考えているよりはるかに(大きな)ドーピング効果を得られる可能性がある」

どういうことなのか。昼休憩中にラバン博士に詳細を尋ねると、気がかりだという仮説を教えてくれた。

「中、長期間、体を鍛えてきた人がいるとしよう。トレーニングにより筋肉量は増した。その後、数カ月休みをとったが、トレーニングを再開したら筋肉や体の能力は前に鍛えていた状態にすぐに戻った」

「筋肉が前の状態を覚えているからだ。ドーピングでも筋肉が同じ反応を起こすのではないかとみている」

ドーピングをやめても、その後一定期間はドーピングにより効果を得たときと近い状態で体が動く可能性があるというのだ。

すでに動物実験では兆候が出ている。13年にノルウェーオスロ大が発表した研究では、マウスで仮説通りの結果が出た。

実験では筋肉増強作用のあるステロイドを与え、2週間でやめた。3カ月後に運動をさせてみたところ、一般のマウスではあまり増えなかった筋肉量が、30%も増えたという。

ヒトで実証されてはいないため、ラバン博士は慎重だ。ただ、表情は険しい。

オスロ大の研究は、ヒトに置き換えた場合、効果は10年以上とも指摘しているからだ。

ー4年の資格停止ー

ドーピング違反者に対し、現行の規定では1回目であれば最長で4年間の資格停止処分が科せられるケースが多い。この仮説が証明された場合、処罰の根拠そのものが覆る。

「研究は初期段階でまだ仮説の域を出ない。ただ、専門家は調べていくべきだと進言している。本当だとわかれば、4年の資格停止処分では不十分で、もっと長く必要になるかもしれないからだ。我々はこのテーマを最優先のプロジェクトにしていきたい」

日本アンチ・ドーピング機構(JADA)の浅川伸専務理事によると、「筋肉の記憶」に関する懸念は過去のWADAの理事会でも話題になっていた。WADAでは15年1月からの規定で一般的なケースの罰則期間を2年から4年に延期している。

もし10年も効果が残る場合、処分を終えて復帰した選手たちの記録や成績はどう扱えばいいのだろうか。罰則は変わるのか。いくつもの疑問がわいてくる。

ラバン博士は言う。「効果がどれだけ体に残り、存在するのか。罰則は4年以上に延ばすべきなのか。難しい研究になるが、答えを見つけていきたい」

事実と分かれば、スポーツ界を揺るがす事態だ。

題名を「ドーピングの効果、やはりそうか」とした理由は、以前にドーピングに関した題名「陸上男子100㍍選手に対する杞憂?」(2016年7月17日付け)という文章を書いたからだ。その当時、男子100㍍で34歳のジャスティン・ガトリン(1982年2月10日生まれ)が、04年アテネ五輪100㍍で優勝し、その後2度のドーピング違反で資格停止処分を受けた後の12年ロンドン五輪で3位、15年には9秒74(世界歴代5位)まで自己記録を短縮、そして開催間近のリオデジャネイロ五輪に向けた全米選手権で優勝して、がぜん金メダル候補になっていた。そのほかに、この年4月に40歳になったキム・コリンズ(セントッッ・ネイビス)が、5月下旬に9秒93まで自己記録を短縮していた。

要するに、ドーピングの効果か、高年齢に至っても、世界トップクラスの記録をマークしていたので、疑惑の目で書いたのだ。それに関しては、当時から専門家の間で「薬物を使用すると、使用を停止しても数年間効果があるのではないか」と言われていた。

ガトリン選手はその後、16年リオデジャネイロ五輪で2位、17年世界選手権では優勝、19年世界選手権でも2位、そして昨年(39歳)にも9秒98をマークしている。このような現実を見せつけられて、やっと科学的な解明に近づいたようなのだ。

ところで1月25日、米国野球殿堂が今年の殿堂入りメンバーを発表したが、その中に資格最終10年目の大リーグのスパースター、メジャー最多762本塁打バリー・ボンズ(57)と通算354勝右腕のロジャー・クレメンス(59)は選出されなかった。二人とも、誰でも知っている選手であるが、現役時代に筋肉増強効果のあるステロイドなどの禁止物質との結びつきがあると疑われていた。つまり、ドーピング疑惑を抱えたまま今日に至り、永久に米国野球殿堂入りが塞がれた。

いずれにしても、スポーツで最も重要な点は“公正性"である以上、プロやアマチュアに関わらず、この忌まわしいドーピング選手を排除しなければならない。特に陸上競技の場合には「生身の肉体」で記録を争うので、ドーピングによる“微妙な記録上昇"で勝負が決する。そのことから陸上競技界が最も危機感を持ってドーピング対策に取り組んでいるが、ドーピングはスポーツの魅力、価値を毀損するばかりか、当該選手の心身の健康を害することを考えると、スポーツ界全体の問題であることを、もう一度確認したいと思う。