中国の国家安全省と党中央政法委員会

最近、中国の情報機関における歴代の代表的な指導者を取り上げた新刊書「諜報・謀略の中国現代史ー国家安全省の指導者にみる権力闘争」(著者=中国現代史研究者・柴田哲雄、発行所=朝日新聞出版)を読了した。中国において、米国の中央情報局(CIA)や英国の情報局秘密情報部(MI6)、旧ソ連の国家保安委員会(KGB)に匹敵する代表的な情報機関として、国家安全省(MSS)とその元締めである党中央政法委員会が存在するので、その歴史や実態などを紹介する。

○1983年7月、中国共産党に属する中央調査部と政府に属する公安省政治保衛局などが合併して、国家安全省が設置された。鄧小平が国家安全省を設置したのは、それ以前の情報機関が専ら政敵(その中には鄧自身も含まれる)の打倒に利用された末、国外での諜報工作の能力を欠如させるに至ったためだ。

○鄧小平は、初代大臣を当時、党中央調査部長だった羅青長ではなく、羅より格下の公安省次官だった凌雲(在職期間=83〜85年)を抜擢するという異例の決断を下した。鄧小平が凌雲に厚い信頼を寄せていたのは、79年1月末から2月初めにかけて鄧が初訪米した際に、凌を警備の責任者に任命したことからもうかがえる。

○国家安全省の最大の汚点は「兪強声亡命事件」だ。国家安全省北米情報局長・兪強声が85年に、CIAの手引きに従って、香港を経て米国に亡命しようと決意した動機の一つとして、「三種人」(文化大革命期にのさばった三種類の者ということで、造反してのし上がった者、派閥思想の酷い者、暴力を振るったり破壊や略奪を行ったりした者を指している)の認定と、それに伴う官途の断絶を憂慮していたことが指摘されている。その結果、85年11月に米国に潜伏していたラリー・ウタイ・チン(中国名は金無怠)という大物スパイが逮捕される。チンは、CIAの職員でありながら、52年頃から中国スパイとなって、朝鮮戦争時の中国捕虜の取り扱いなどの機密情報を中国に渡すことで、少なくとも14万ドルの報酬を受け取っていたと見られている。チンは86年2月に自死を選んだ。

○国家安全省は機構上、政府に属しているが、実際には党が政府を指導するという原則の下で、党中央政法委員会の指導下に置かれている。そこで中央政法委員会のトップである書記が国家安全省の総元締めということになるだろう。

○党中央政法委員会は、中華人民共和国の成立以来、その前身組織が様々な変遷を経てきた上で、80年1月に正式に設置された。中央政法委員会が管轄するのは政府の情報機関だけではなく、その他の政府の治安・司法・検察機関なども管轄している。中央政法委員会のメンバーには国家安全大臣、公安大臣、司法大臣、最高人民法院長(最高裁判所長官に相当)、最高人民検察院検察長(検事総長)らが含まれていることから、中央政法委員会トップ(書記)は、党内の序列いかんに関わりなく、潜在的に絶大な権力を有していると言える。

○党中央政法委員会トップには、彭真(80〜82年/政治局委員)、陳ヒ顕(82〜85年/中央委員)、喬石(85〜92年/政治局委員、政治局常務委員)、任建新(92〜98年/中央委員)、羅幹(98〜07年/政治局委員、政治局常務委員)、周永康(07〜12年/政治局常務委員)、孟建柱(12〜17年/政治局委員)が就き、今日では郭声混(17〜/政治局委員)がその任に就いている。

○党中央政法委員会トップで、大きな問題を起こしたのは周永康である。そこで、4つばかり大きな事件を紹介する。一つ目。2011年以降、治安維持費は軍事費さえ上回るようになった。例えば、12年に治安維持費は約7017億6000万元(約12兆円、為替レートはいずれも1元=17円)に上ったが、軍事費は約6702億元(約11兆4000億円)だった。その結果、12年に周永康の管轄下には公安省の250万人に加えて、武装警察の人員がいたが、それに対して、中央軍事委員会主席であった胡錦濤の管轄下の人民解放軍は200万人強だったのである。

○2つ目。12年8月、故金正日の義弟・張成沢胡錦濤と一対一で会談した際、金正恩を最高指導者の座から引きずり降ろして、代わりに兄の金正男を擁立したいという旨の相談を持ち掛けた。胡錦濤はその場では態度を明らかにしなかったが、国家安全省次官・馬建が周永建に報告すると、あろうことか周は秘密の通信経路で北朝鮮に伝達したのである。その結果、金正恩が激怒して、13年12月に張成沢を処刑し、さらに張を頂点とする親中派を粛清するに至った。

○3つ目。12年の第18回党大会で、薄煕来を政治局常務委員に昇格させるとともに、周永康の後釜として中央政法委員会トップにも就任させる。薄煕来は中央政法委員会トップの権限を用いて、総書記の習近平汚職を摘発する。そして14年に開催される中央委員会全体会議において投票により習近平を罷免し、代わって薄煕来を新総書記に選出する、というクーデター計画(他に中央弁公庁主任・令計画と中央軍事委員会副主席・徐才厚)を立てた。ところが「王立軍事件」(12年2月6日、成都の米国総領事館に薄煕来の側近・王立軍が亡命を求めて駆け込んだ)が起きたことで、クーデター計画は挫折した。

○4つ目。薄煕来の失脚が決定的になり、周永康の前途にも暗雲が漂い始めた12年6月、ブルームバーグが、習近平の姉・斉橋橋とその夫・鄧家貴らが3億7600万米ドル(約414億円、為替レートはいずれも1ドル=110円)に及ぶ資産を保有していると報じた。続いて、同年10月、ニューヨーク・タイムズが、温家宝の国務院総理就任以来、温の母親や妻、息子ら親族が、温の地位を利用して、27億ドル(約2970億円)もの資産を手に入れたと報じた。

習近平は、側近を党中央政法委員会トップに起用できないでいる。周永康の後任は、周と同じく江沢民派に属する孟建柱を充てられ、現在の郭声混も習近平の側近ではなく、元国家副主席の曽慶紅に近いと見られている。その背景として、中共内には年功序列や漸進的な昇進を重んじる政治文化がそれなりに根付いているからだ。

○今年後半の第20回党大会では、習近平の側近で公安省筆頭次官の王小洪が、中央委員から政治局委員に昇格して、党中央政法委員会トップに就任する一方で、陳一新は中央委員に昇格して、公安大臣に就任するのではないかと予想されている。また、チベット自治区(11年から党委員会書記)と新彊ウイグル自治区(16年から党委員会書記で、昨年12月25日に退任)で、「ジェノサイド」(民族大量虐殺)を実施したとして国際的に批判されている陳全国が、政治局委員から政治局常務委員に昇格するのではないか、と予測されている。

習近平は反腐敗闘争という大義名分の下、国家安全大臣・陳文清(第5代、在職期間/16年〜)を通じて、国家安全省をそれ以前の情報機関に相似したものにしまった。こうした異常な事態は、外国絡みの各種の工作にも大きな影響を及ぼしている。その影響で、14年から15年にかけての「反スパイ法」や「国家安全法」の制定は、スパイ活動の取り締まりの徹底を目論む習近平の意向を反映したものである。その結果、15年以降にスパイ容疑で拘束された日本人は、20年7月の時点で、少なくとも15名に上り、そのうち9名に懲役の実刑判決が下されている。

ということで、中国の国家安全省と党中央政法委員会の設置は、意外にも歴史は新しいが、中国共産党としての諜報・謀略活動は、はるか昔から行われていた。その中で最も有名なのが康生(1898〜1975)で、スターリン時代のモスクワ滞在中(33年7月〜37年11月)に、当時のKGBによる罪なき多くの人々を弾圧する手法を学んできた。さらに当時、中共の最高幹部が、江青は最高指導者である毛沢東の夫人にはふさわしくないとして、こぞって結婚に反対したが、康生だけは自らが校長を務める中央党校の学生だった江青の人物保証を行って、結婚を積極的に後押しした。こうして康生は毛沢東の信頼を得ることに成功し、延安の整風運動やプロレタリア文化大革命に際して大量粛清を行い、毛沢東への個人崇拝を絶頂にまで推し進めた。しかし、死後の80年に批判され、弔辞と党籍を剥奪されている。

いずれにしても、米中対立の軋轢が増し、米国が対中包囲網構築に努力している以上、台湾問題や華僑対策などを担当する党の情報機関・党中央統一戦線工作部(UFWD)を含めて、中国の情報機関は盛んに国内外でスパイ活動を展開する筈だ。そして国内では、ウイグル族など少数民族に対するジェノサイド、そして香港では民主派への弾圧状況を国外メディアが取り上げることになる。それを考えると、我々日本人も中国の国家安全省と党中央政法委員会という機関名の動きを知ることで、世界情勢を多角的に捉えることができるだろう。