横綱白鵬の引退で考えたこと

大相撲の横綱白鵬が9月末に引退した以上、相撲好きの吾輩としては、何らかの見解を書くべきだと考えた。そこで、購読している朝日・読売・産経の各新聞や週刊誌などに注目したが、あまり参考になる記事はなかった。特に朝日・読売・産経などは「社説」で取り上げていたものの、通り一遍の内容で勉強にはならなかった。

それでも、「読売新聞」(10月1日付く)に掲載された元横綱審議委員会委員長・守屋秀繁(2007〜17年、横審委員)の寄稿は参考・記憶に残る内容であった。そこで、見出し「白鵬『無敵』の功罪ー傍若無人の大記録」の記事を紹介することにした。

不思議な縁を感じる。私は2007年1月に横綱審議委員会に入り、その年5月の夏場所後、白鵬横綱推挙を審議した。委員在任中から本場所に立ち会う維持員として砂かぶりで取組に接してきた。その維持員も今場所限りで退会の運びだ。14年間の大相撲人生をかみしめながら、千秋楽は新横綱照ノ富士の優勝を見届けた。その翌朝、白鵬引退を知ることになったのだから二重に驚いた。

白鵬が新横綱の07年名古屋場所前に東京の宮城野部屋で稽古を見学した。白鵬は密度の濃い準備運動を続けていた。柔軟体操に始まり、四股、テッポウ、すり足をゆうに1時間はやっていた。整形外科医の視点からも、すごい人だと感じた。朝稽古の後、ちゃんこに招かれた。猛暑の時期に熱々の鍋である。すると白鵬が力士用の巨大なうちわを持って来て、ゆらゆらとあおいでくれた。「天下の横綱にそんなことを」という内心を見透かされたのか、白鵬は「私たちの仕事ですから」と柔らかい笑顔で話しかけてくれた。

その好青年を叱る日が来るとは思わなかった。9年後の16年春場所8日目、白鵬嘉風を寄り切ると、駄目押しで土俵下に突き飛ばした。体がぶつかった井筒審判長(元関脇逆鉾)は左太ももを骨折する重傷を負った。手術をしても骨がくっつかないから親方は人工骨頭を入れた。この場所も制した白鵬は優勝回数が36を数えた。大鵬の記録を大きく超え、無敵白鵬の傍若無人ぶりが極まる。

その5月、私は読売新聞のインタビューで「相撲はスポーツ、神事、興行の3要素がある。神様に無礼がないよう『わきまえる精神』が大切だ。わきまえる心があれば、かち上げや張り手は横綱らしくないからやめるだろうし、そういう相撲しか取れないのなら潔く引退する。それが相撲道」と叱った。以来、白鵬への視線を厳しくした。しかし、5年の歳月を経て優勝回数が45に伸びても、態度は改まらなかった。残念というよりも徒労感が大きい。

白鵬の相撲が荒れた理由の一つは、まずは自身の力が落ちたことにある。もう一つは、白鵬の足元を脅かす力士が、最後まで出てこなかったことだろう。

今年の名古屋場所白鵬の最後となった。千秋楽の照ノ富士戦で見せた立ち合いは忘れまい。左手を伸ばして相手の顔を隠し、右肘のエルボーを見舞う。小細工が通じないと見ると今度は大振りの張り手を乱発した。勝った白鵬はすごい形相をしたが、こうした乱暴な取組が白鵬の見納めとなったことが信じがたい。

白鵬はついに一代年寄をいただけなかった。「大相撲の継承発展を考える有識者会議」は公益財団法人としての制度上の問題だと説明したが、私の目には「あなたの行為、行動には賛同できない」という意思表示だと映った。今後、協会運営の一角に携わることになる親方・白鵬にもしっかり受け止めてもらいたい。

いい記事ですね。あらゆる関連記事の中で、一番参考になる文面であったので紹介したが、皆様方はどう読みましたか。

吾輩的には、大鵬の優勝回数32を超える辺りまでは、大横綱の相撲としてテレビ観戦していたが、ある時点から白鵬の相撲に疑問を持ってきた。それは相撲が荒っぽくなり、とてもでないが大横綱の相撲とは言えない状態になってきたからだ。まずは、立ち合いでは常に張り手、肘に分厚いサポーター(肘が悪いと考えていた)を巻いて、相手力士の顔に打ち付けるかちあげ(エルボー攻撃)など、嫌悪感を与える相撲ぷりが増えてきたからだ。

その結果、誰かが「記録は破られるためにある」と言ったが、大相撲の大記録である大鵬の優勝回数32を軽く超えて45回まで伸ばした。大鵬の優勝回数を超えたことに対しては、何らクレームを付けるつもりはない。しかしながら、引退間近の相撲ぷりを見ると、果たして何回までの優勝なら許せるのか、と考えてしまう。

本文の守屋氏は、白鵬の36回優勝以降の相撲ぷりを問題にしているが、それではいつ頃引退するべきであったのか。白鵬横綱時代の成績表を見ると、17年九州場所で優勝(40回)した時点が引退するべきではなかったのか、と考えた。その後、4場所休場して、翌年の秋場所に全勝優勝しているが、やはり40回優勝で引退すれば良かったと考える。もしも、この時期に引退していれば、今ほど白鵬を批判的に見ることはなかったと思うのだ。それを考えると、引退時期を完全に間違っていたと言える。

それでは、白鵬の優勝回数45をどのように考えたら良いのか。ここで、お笑い漫談家「ねづっち」(浅草の「東洋館」によく行くので)の謎かけクイズをします。白鵬の優勝回数45とかけて、20世紀の陸上世界記録ととく。その心は、スポーツマンシップや正々堂々という精神がない記録は、いずれ困りものの記録になる。オチがなく、失礼しました(笑)。

要するに、白鵬の優勝回数は今後永久に破れず、一方の陸上競技の世界では、20世紀末に樹立されたソ連・東欧諸国選手の世界記録が、未だに破られずに問題になっていることを示した。特に、八十年代の多くの記録が、当時の共産党独裁統治下でのドーピング(禁止薬物使用)の結果と見られているからだ。

そう言えば最近、ハンマー投げ世界記録保持者のセディフ(ソ連)と、歴代2位のリトヴィノフ(ソ連)が、相次いで亡くなったとネットニュースで知った。しかしながら、翌日の新聞には全く掲載されなかった。もしも、この二人の記録が抹消されると、室伏広治の記録が世界記録として認められる可能性があるのだ。

もう一度、白鵬の話に戻すと、スポーツの世界で正々堂々という精神が欠落した記録は、いずれ陸上競技の偉大な世界記録と同じように問題視される、といいたいのだ。