復刊「マルクスに凭れて六十年」を読んで

ネットを見ていたら、カール・マルクスの「資本論」を都合3度も全訳した岡崎次郎(1904〜84?、東京帝国大学文学部と経済学部を卒業、九州大学と法政大学の教授、北海道江差生まれ)の著書「『マルクスに凭(もた)れて六十年ー自嘲生涯記』増補改訂新版」(発行所=(株)航思社〈茨城県龍ヶ崎市松葉6ー14ー7〉、2023年2月25日初版第1刷発行、396ページ)が、復刊されたという。さらにネットで調べてみると、古書として19万円の値が付いた旧版(青土社)は1983年に刊行されたもので、内容は大月書店の「資本論入門」(76年)や社会思想社の「現代マルクス・レーニン主義辞典」(80年)の著者・訳者であるが、それ以前に出版された岩波文庫版「資本論」は向坂逸郎訳となっているけれど、実質的には岡崎氏が訳したという暴露本的な意味合いもあるという。そして、岡崎氏は旧版刊行後、友人らに「西の方へ行く」と言い遺し、84年9月30日に夫婦(本人79歳と妻86歳)で大阪・難波の「ホリデイイン南海」に宿泊した後、足取りは途絶えて自死したと見られている、というのだから関心を持った。

というわけで、さっそく近隣の街・茨城県取手市の書店に注文した。その際、店員はネットで調べながら「この本は、この近くの龍ヶ崎市の出版社から出ています。珍しいことですね」というので、吾輩は「それでは、読み終わったら出版社を訪ねてみるか」と軽口を叩いてみた。

読み始めると、1920年代の第一高等学校や東京帝国大学の様子、さらに39年から45年までの満鉄調査部の様子、そして戦後の「マルクス・レーニン主義」(共産主義)に関する出版業界の動きが分かり、非常に勉強になった。しかし、どの部分を取り上げたら良いかのか分からないので、まずは「序文」から紹介する。

-この本の題名は、見る人に多少奇異の感を与えるかもしれないが、私としては、いろいろ考えた揚句こうするよりほかはなかったのである。

いま私は満七十八歳と二ヶ月である。親元を離れてからの六十年間、じっさい、私はカール・マルクスに寄り掛って生きてきたような気がする。前半生は主として精神的に、後半生の四十年間は精神的にも経済的にも。

(中略)

「岡崎はマルクスに取り憑かれたばかりに一生を誤った」などとアホなことを言う旧友もいる。もし私が一生を誤ったとすれば、それはマルクスと付き合ったからではない。私の付き合い方が良くなかったからである。そして、私はいま、私の付き合い方が、少なくとも余り感心したものではなかったことを、つくづく感じている。他人様から見たらどうだろうか。「そんなことはないよ、くよくよしなさんな」と言ってくれる人が一人でもいれば、安んじて往生できるかもしれない。虚勢を張ってはいても、本当は弱いのである。ー

続いて、生涯マルキストとして生き抜いた生き様を紹介する。

ーこれらの、マルクスから見れば遠い歴史上の事件を、ひとつひとつマルクスが見通せなかったとしても、それがなんであろう。それが唯物史観による革命論の科学的性格をほんの少しでも損なうものであろうか。ある時、ある所での、マルクスの片言隻句を捉えて、鬼の首でも取ったかのように、平和革命論の論拠にしようとすることこそ、非科学的の最たるものであろう。

私は、「プロレタリアートの独裁」と「暴力革命」とに、死ぬまで固執する積もりである。ー(349ページ)

プロレタリアート独裁と暴力革命とに死ぬまで固執した背景には、日本共産党の機関紙「赤旗」から「独裁」を「執権」に改めないからと、岡崎氏が関わった「マルクス・エンゲルス全集」や「現代マルクス・レーニン主義辞典」の広告掲載を拒否されたことがある。続いて、老齢に至って、死に様に触れる部分があるので紹介する。

ーいま私にとって問題なのは、いかにして生きるかではなく、いかにしてうまく死ぬかである。

(中略)

自分で自分に始末をつけること、これはあらゆる生物のなかで人類にだけ与えられた特権ではないだろか。この回想記を書き終わって、余りにも自主的に行動することの少なかったことを痛感する。せめて最後の始末だけでも自主的につけたいものだ。なるべく他人に迷惑をかけず、自分もほとんど苦しまずに決着をつける方法の一つとして、鳴門の渦潮に飛び込むなどはどうだろうか、などと考えていたら、往年の友人対馬忠行に先を越されてしまった。同じような人間は同じようなことを考えるものだ。先年、時永淑にこんな話をしたら、どこに飛び込もうと死体の捜査などで大迷惑を蒙る人間がいるのだ、と言われた。それもそれだろうが、それもせいぜい数時間か数日のことだろうから、これから何年も世間に老害を流しているよりはましなのではなかろうか。ー(359ページ)

それにしても、戦後に出版された「資本論」のほとんどが岡崎氏の訳で出版されたことには驚いた。実は吾輩も学生時代、都内の古本屋で大月書店刊箱入り「資本論」を購入し、いずれ読もうと考えていたが、結局全く読まずに今も書庫に埃を被って存在している。何故に読まなかったかというと、その後イギリス労働党のウィルソン首相(在任期間1964・10~70・6、74・3~76・4)が「資本論なんか読んだことがない」という記事を朝日新聞で読んだからだ。

要するに、イギリス労働党員などの社会民主主義者は、当然のことに「資本論」を読んで共産主義を批判していると考えていたからだ。だから、「何だー、イギリス労働党の首相でも読んでいないのか」と気抜けしてしまったのだ。

そういうことで著書を読み終わったので、近隣に所在する出版社を明日(月曜日)訪れてみようと考え、ネットで「航思社」のことを調べてみた。その結果、学生運動上がりの左翼思想の持ち主が2011年に設立した会社であることが判明したので、行くことを取りやめにした。しかし著書は、それなりに昔「マルクス・レーニン主義」に関心を持ったことがある御仁であれば、大変参考になる部分が多いので是非とも本書を手に取ってみてはいかがだろうか。