最近、新刊本「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」(著者=江崎道朗、PHP新書)を読了した。著者の狙いは、ソ連・コミンテルン(共産主義インターナショナル)が世界各国に「工作員」を送り込み、それぞれの国のマスコミや対外政策に大きな影響を与えたことを証明することだと考える。
例えば、第二次世界大戦前、アメリカの世論を反日親中に誘導した在米のロビー団体、国民運動団体の多くが、コミンテルンの「工作員」たちによって操れていた。また、日本に対し経済制裁を主張し、対米開戦のきっかけとなった「ハル・ノート」の原案を作成(財務省高官のハリー・ホワイト)したのも、ソ連に北方領土などを明け渡すことを決定した「ヤルタ会談」に大きく関与したのも、みな、ルーズヴェルト民主党政権内部にいた、コミンテルンの「工作員」だった。このため、現在のアメリカでは、反共保守派のあいだでは、コミンテルンの「謀略」を前提に、ルーズヴェルト民主党政権と旧ソ連の戦争責任を追及する声が高まってきている。そのような背景にして、共和党のドナルド・トランプ現大統領が当選したというのだ。
先ず最初に、コミンテルンの対日浸透工作を許してしまう土壌が、戦前の日本にあったことを紹介したい。
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明治以降、日本は「エリートの日本」と「庶民の日本」の二つの世界があり、断然していた。庶民と異なり、エリートの多くは、自国の伝統を軽んじることを教えられ、精神的な空洞の中に追い込まれていた。富国強兵という名の近代化の背後で進行していた、エリートの「祖国・伝統喪失」状況を知らなければ、戦前の日本のことは理解できない。
しかも「祖国・伝統喪失」状況に置かれた「エリート」たちは大正時代以降、主として次の三つのグループに細分化していた。
第一は、世界恐慌を背景に「資本主義はもうダメだ」という不信感に基づいて、社会主義にのめり込んだ「左翼全体主義」グループだ。昭和初期以降、このグループがソ連・コミンテルンの「秘密工作」に呼応するようになっていく。
第二は、同じく資本主義と議会制民主主義を批判し、内心では社会主義に共感しながらも、「左翼」を弾圧し、「官僚独裁」政治にすることが戦争遂行のために必要であり、国体を守ることだと信じた「右翼全体主義」のグループだ。いわゆる五・一五事件から二・ニ六事件、そして大政翼賛会に至る動きを主導したのが、このグループだ。
そして第三は、聖徳太子以来の政治的伝統を独学で学ぶ中で、不完全であっても資本主義、議会制民主主義を尊重し、統制経済に反対し、コミンテルンの「対日工作」に警戒心を抱き、皇室のもとで秩序ある自由を守ろうとした「保守自由主義」のグループだ。この「保守自由主義」シンボルは、小田村寅二郎グループだ。
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上記の文章でも触れているが、当時の日本の現状を知らないと、コミンテルンの対日浸透工作の実態を理解出来ないと考え、多少長くなったが抜粋した。
そんな中、1941年(昭和16年)10月、コミンテルンのスパイだったリヒャルト・ゾルゲと、時の近衛内閣のブレーンだった尾崎秀実を中心とするグループがスパイ活動で逮捕されるという「ゾルゲ事件」が起きた。尾崎は、支那事変勃発直前の1937年4月に「昭和研究会」(主なメンバーは、蝋山政道、佐々弘雄、平貞蔵、風見章、有沢広巳、大河内一男、賀屋興宣、後藤隆之介、三木清、笠信太郎、尾崎秀実、和田耕作、大西齋、堀江邑一、橘樸(しらき)、大山岩雄、溝口岩夫、増田豊彦、牛場友彦)に参加し、同年6月に第一次近衛内閣が発足すると「支那問題研究部会長」、さらに翌38年7月からは内閣嘱託として、首相官邸内に部屋を持って執務するようになる。その中で、外務省や陸軍による度重なる和平交渉とは裏腹に、尾崎はコミンテルンのスパイが戦争を長期化すべく、戦線拡大一辺倒の主張を行った。それはまさしく、共産主義者として、コミンテルン第六回大会(28年2月)で提示した、自国政府の敗北を促し、「帝国主義」戦争を「内乱」へと転換させ、混乱を通じてプロレタリア革命を目指す「敗北革命」路線を受け入れた証拠である。いずれにせよ、尾崎が戦争の長期化に大きな役割を果たしたのは、否定しようのない事実である。
ちなみに、アメリカのエドガー・フーヴァーFBI長官は、共産主義運動に関与する人物を、次の5つに分類している。
1、公然の党員=共産党に所属していることを世間に公にして活動している者を指す。
2、非公然の党員=共産主義を信奉していることや共産党に所属していることを隠し、公然の党員とも接触せず、共産党の極秘活動に従事する党員のことである。
3、フェロートラベラース(同伴者)=共産党に所属していないが自発的に共産党を支援する人。
4、オポチュニスト(機会主義者)=利益が目的で共産党に協力する人。
5、デュープス(騙されやすい人)=共産党やその関連組織の宣伝(「平和を守れ」「弱者を救え」など)に情緒的に共感して、知らず知らずのうちに共産党に利用される人を意味する。
まさに、尾崎は典型的な(3)のフェロートラベラースに該当する人物であった。
次に、ゾルゲの諜報活動であるが、大きな成果が二つある。一つは1941年の、独ソ戦勃発が近いという情報、もう一つは同年7月と9月の御前会議で“南進論"の方針が決まったという情報である。この情報によって、極東ソ連軍20個師団を移動させ対独戦争に投入することができた。つまり、尾崎の情報があったからこそ、ソ連は対独戦に勝利できたのである。これが、ゾルゲが64年に「大祖国戦争勝利の英雄」に祭り上げられる最大の根拠になった。
こうした時代の中で、「右翼全体主義者」の動きに「左翼全体主義者」がつけこんで、大政翼賛会などを作り、議会制民主主義と資本主義を敵視する者たちと戦った「保守自由主義」の流れの人々がいた。名前を挙げると、福沢諭吉、犬養毅、吉野作造、佐々木惣一、美濃部達吉、小田村寅二郎(吉田松陰の姻戚)、山本勝市、田所広泰などである。特に、小田村は、日本と中国が反資本主義の「国家的連合」を目指すべきだとする“東亜協同体論"が台頭してきた時、この議論の背後には、どう考えても共産主義者や社会主義者がいると見た。つまり、スパイ事件の「ゾルゲ事件」を予見していたという。しかしながら、大日本帝国は“自滅"というような形で敗北した。
最後に、共産党に関する部分を紹介する。どこの国でも共産党は「民主主義を守れ」と叫んでいるが、共産党の指令塔であるコミンテルンは初期段階から、この議会制民主主義を破壊することを目的に掲げている。議会とは「資本家による労働者支配の道具」に他ならないからである。よってアメリカやドイツのように「民主主義を守るために」共産党だけ結党を禁じている。その意味では、我が国は共産主義者にとって“優しい国"と言える。
最後は、1997年に、フランスで「共産主義黒書<ソ連篇>)が出版されたが、その中に共産主義体制による犠牲者数が掲載されている。
○ソ連…死者2000万
○中国…死者6500万
○ヴェトナム…死者100万
○北朝鮮…死者200万
○カンボジア…死者200万
○東欧…死者100万
○ラテンアメリカ…死者15万
○アフリカ…死者170万
○アフガニスタン…死者150万
など、総計で1億人近くが共産主義体制によって犠牲になったと見積もっている。
要するに、これだけ犠牲者を出した“主義主張"にも関わらず、依然として東アジアに、日本共産党、中国共産党、朝鮮労働党という共産主義者の“有力党"が生き残っている。我々は、この現状をどのように考えたら良いのか?人間とは、この程度の生き物なのかと、愕然とするのだ。