マルキシズムとアフターコロナ

最近、カール・マルクスの思想を取り上げた本の出版やテレビ放送が華やかである。例えば、新刊「今こそ『社会主義』」(著者=池上彰・元NHK職員と的場昭弘神奈川大学副学長、朝日新書)が出たり、NHKEテレではテキスト「カール・マルクス 資本論」(著者=斎藤幸平・大阪市立大学准教授)を使用して、4回(1月4、11、18、25日)にわたってマルキシズムの講座が放送されている。吾輩もマルキシズムには関心があり、これらの本を購入したので、我が国のマルクス主義研究の第一人者である的場副学長の解説から紹介する。

最初は、強力な国家権力の関与を前提とするのではなく、民主主義を前提にして、人々の自由な運営によって社会主義を実現するというプルードンと、マルクスの思想の違いから解説する。

プルードンマルクスのライバルで、マルクスとまったく違う社会主義を提唱しました。

それは中央集権的国家がなく、小さなアソシアシオン(団体:営利、非営利を問わない)に分かれて、それぞれが水平的に民主的合意形成をしていく社会主義です。そこには、国家権力がそもそも想定されていない。言い方を換えれば、これはアナキズム(無政府主義)というやつです。

(中略)

いま、われわれはその離れたあとから2人を見ている。つまり、マルクス共産主義者で、社会主義者ではないと。

共産主義者はある意味、社会主義から派生したものですが、共産主義社会主義とでは、私有財産に関して大きな相違があります。社会主義私有財産よりも社会の計画を主に考えているのに対し、共産主義私有財産をどう社会化するかにむしろ関心がある。

プルードンが目指した社会主義は、ソ連、中国が体現したものとは真逆のものです。だからこそ、マルクスエンゲルスたちはアナキストを大変恐れて、アナキスト的な社会主義を嫌っていた。

アナキスト社会主義は、一方で新自由主義に近いところがあるんです。国家の関与を極力否定しますからね。両者の根本的な違いは、新自由主義は資本家の利益を中心に置き、アナキスト社会主義は民衆の利益を大事にするということです。ここは、明確に違う。ー

ということであるが、吾輩は的場副学長の「過小消費論」の解説に関心を持ったので、その部分に移ることにする。

マルクス経済学では、恐慌の原因について議論します。基本的には過剰生産論が主で、あまり問題にしないのが、過小消費論です。

経済理論の前提には、つねに過剰生産があります。資本主義はとにかく大量生産ですので、過剰生産が一般的であり、たいてい過剰生産の結果、恐慌が生まれるわけです。なるほど、資本主義社会は作れば作るほど売れることを前提にしています。人々はつねに消費してくれるものと考えられているからです。消費は絶対に減らないということが大前提なんです。

反対に、過小消費によって恐慌が生まれるという説は、もともと消費する人がいないというのが前提の議論です。所得が低く消費できないという構造的な問題に起因する個別の状況は別として、そのような前提が想定される社会状況は、ふつうはない。人類の歴史を振り返ると、社会が貧しく必需品の供給が足りない時代が長く続いたからです。

しかし、過小消費を問題にした学者がいました。それが、イギリスの経済学者トマス・ロバート・マルサスや、フランスの経済学者シモンド・ド・シスモンディですね。

マルクスは過剰生産説派なんです。マルクス主義で唯一、過小消費説をとっていた学者は、先進資本主義はつねに消費を求めて植民地をつくると考えたローザ・ルクセンブルクぐらいのものです。要するに、資本主義は消費があって初めて成り立つので、つねに市場を拡大するしかない。その結果、消費を求めて海外市場に進出するというわけです。

(中略)

しかし、物を買わないという過小消費の傾向は、コロナ禍以前から出ているんですね。従来であれば、消費減の流れを変えるために、3年おきに製品をモデルチェンジするなどして、売り付けるようなことをしていた。しかし、それでも消費が増えないとなれば、今度は買ってくれる宇宙人を探すしかない。でも、それは現実的ではないですね。

消費の総量が限界に近づきつつあることは、残念ながら地球という限られた環境のなかでは、致し方のない問題です。過小消費という問題は、放っておいても、いずれ人口問題として出てくるはずだったんです。ただ、コロナ禍によって現金をもった元気な人たちが突然買わなくなるとは、予想外でした。

新型コロナウイルスの感染者(1月9日現在、感染者約28万人、死者4035人)が急増する事態の中で、経済学の中に「過小消費論」があることを知った。確かに、日本政府が首都圏(東京、埼玉、千葉、神奈川の1都3県)に緊急事態宣言を再発令(1月8日)し、新型コロナの収束が見通せない中で、都市部では飲食店などに対する休業や営業時間の短縮要請、テレワークによる鉄道利用者の減少、そして地方では観光業や農林水産業が大きな打撃を受けて、街は徐々に疲弊してきた。具体的な数字を挙げると、昨年の宿泊業のコロナ関連倒産(負債額一千万円以上)は60件に上回り、飲食業の倒産(負債額一千万円以上)は前年比5・3%増の842件に上り、東日本大震災があった平成23年を抜いて年間最多件数を更新した。

と同時に、消費者側も冬のボーナスが減少し、懐事情が寂しくなっている以上、今後もサービス消費だけでなく、個人消費全体が落ち込んでくる。要するに、コロナ以前の水準に消費を増すには、消費者の意識や懐事情、そして消費を受け入れる飲食店や宿泊業界が、以前と同じように存在していなければならない。ところが、既にコロナ禍で失業した人は累計で8万人(このうち飲食業は1万人)を超え、さらに飲食業では廃業を検討する経営者が32・7%と、全業界で唯一3割を超えている。

そのほか、世界各地で自然保護だ、地球温暖化だ、そして気候変動の危機だ、等々と人間の経済活動を批判する動きが起きている。それに加えて、我が国でも格差の拡大が問題になっているが、資本主義の王様・米国でも大きな問題に至り、若者が「昔と違って、社会主義という言葉が平気で言えるようになった」という。その背景には、大学の学費が高く「大学を出た時点で一千〜二千万円の借金を抱える」という学生が多く、「米国の学費ローンはすでに100兆円ぐらい」と言われている。米連邦準備制度理事会(FRB)の2019年消費者金融調査では、資産階級上位1%が総資産の33%を保有、下位50%の資産保有は2%にとどまる。これでは、米国も消費が大きく伸びるハズがないではないか。

我々は、世界を襲っているパンデミックを乗り切れば、それなりに消費がすぐに回復すると考えている。しかしながら、諸外国も国力回復には時間がかかるし、世界の諸々の課題を知ると、もうアフターコロナの社会は、昔のような消費行動に走らない感じを受けるのだ。だから、インバウドでも、訪日外国人がそれなりに戻っても、消費額はあまり増加しない感じを受ける。

いずれにしても、吾輩の懸念は、3〜5年後あたりには明らかになるので、それまでは心配しながら見守りたいと思う。