左翼は嫌いだといいながら、図書館に置かれている左翼系の週刊誌や月刊誌は、それなりに目を通している。そうした中で、冊子「週刊金曜日」(2019・3・15)の読者欄の寄稿文と思われる文章が、非常に面白く、分析力が非常に優れているのだ。
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〈左翼でもリベラルでもない本誌〉ー大塚某(67歳、元公務員)
本誌の読者減の理由を、世の中の保守化に求める意見があるが、そもそも本誌は左翼でもリベラルでもない。1950年代や60年代は保守穏健の方がリベラルであった。当時の左翼は社会主義と同義語であり、民主主義や人権や自由より社会主義革命を優先していた。本誌で保守の劣化の特集があったが、当時は左翼が劣化していた。当時の学生・労働組合・進歩的知識人の多くはマルクス主義に傾斜した。しかし70年代中頃からマルクス主義離れがおき、今やかつての革新支持層でさえ信じている人はほとんどいない。『週刊金曜日』の読者の多くは、いまだにマルクス主義を信じ共産党を支持する。
安倍政権を傲慢と思っている人はリベラル層に多数いる。創刊時には幅広い読者層がいたはずだ。しかし読者のうちリベラル層は、選挙で選ばれた安倍政権を独裁と呼び(本誌2014年4月17日〈臨時増刊〉号)、一方で一度も選挙無の独裁者の毛沢東やカストロを讃辞(本多勝一氏や伊藤千尋氏)する本誌に、白けて本誌を離れた。
戦後日本は奇跡の経済復興をし、国民の大半が中流意識を持った。読者にはそれがいまいましい。資本主義の発達につれ労働者は貧困になるはずだと。2000年頃から経済のグローバル化に伴い格差が広がると、それ見たことかと、むしろ喜ぶ。本誌がトヨタ自動車への批判が大きい理由は私見では二つある。かつて世界を席巻した日本製だが、鉄鋼・半導体・家電と次々と新興国に敗れ、日本の経済力に陰りが見える。しかし自動車はいまだに競争力がある。自動車は裾野が広く、もし競争力を失ったら本当に日本は沈没する。読者はそれを望んでいる。そうすれば死語となった社会主義が復活するかもしれないと。また、自民党以上に反共だったのは旧民社党で、その支持基盤は自動車産業だ。
真の左翼なら、体制にかかわらず弱者の味方であるべきだ。しかし反米なら独裁でも人権侵害国家でも支持する記事は、かつて社会主義国の独裁や人権侵害を批判しなかった、古い劣化した左翼を喚起される。マルクス主義への批判は昔からあったが、昔は一つの思想と認めた上での批判であった。今は無視されている。今や『金曜日』は、高齢化した旧マルクス青年に、「あなたの昔信じたマルクス主義は間違ってませんよ」と慰める雑誌になってしました。だから若い人は読まない。
小学校で嫌われる先生は、厳しい先生ではない。誰にも厳しいなら、それでいい。生徒により態度を変える先生が嫌われる。本誌も、不正なら誰をも批判すれば広い層に読まれるだろう。しかし日本・米国等同じ標的を毎回批判する。しかも日本が良くなってほしいがゆえの批判ではなく、「沈没してくれれば社会主義革命が実現かも」の意図が見え隠れする。だから読者は益々減るのだ。
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読者減に悩んでいる「週刊金曜日」が、敢えて紹介した寄稿文と考えるが、誠に説得力のある文章である。特に最後の文章、「沈没してくれれば社会主義革命が実現かも」の意図が見え隠れする、という文面には驚きもした。というのも以前、江崎道朗氏の著書を紹介した際に、再三「敗戦革命」という言葉の意味を説明したからだ。つまり、現在に至っても究極的には「敗戦革命」という夢を持ち、権力を握るという左翼勢力の精神構造を見事に解説しているからだ。
いずれにしても、いつまでも“革命ごっこ"から抜け出せない左翼勢力の読者が多い「週刊金曜日」であるが、廃刊になれば良いというものでもない。やはり、いろんな人たちの意見を発表する場は必要であるし、左翼嫌いであっても、左翼の見方は知りたい。その意味で、「週刊金曜日」が廃刊されたら困るのだ。