北海道の防衛を任務とする「北鎮の男たち」の物語

1カ月前に発売された月刊誌「WiLL」(5月号)に、元産経新聞ワシントン支局長・湯浅博の「卒寿が励ます『北鎮の男たち』」が掲載されている。そこには、名も知られていない“元自衛隊員"のことが記されていた。

天気図で見る限り、3月上旬の北海道・大雪山系のすそ野に広がる旭川は、まだ雪の中である。5年前の厳冬期に横殴りの吹雪の中を、その旭川から上富良野に向かったことがある。この時にご一緒したのは、富良野出身の坂東政道さんで、いまは電子機器会社の会長さんだが、もとをただせば陸上自衛隊の前身である警察予備隊の1期生であった。昭和25年の創設時に入隊し、オホーツク海沿岸の遠軽駐屯地に赴任したこともあり、歳を召されても寒さにはめっぽう強い。

このとき、雪道を陸上自衛隊上富良野駐屯地を訪ねて、第2戦車連隊の90式戦車に試乗した。白い迷彩の防寒服を着て首を出すと、雪で数メートル先しか見えない。始動からわずか5分ほどで猛烈な頭痛に襲われた。戦車から降り、その夜になっても頭痛は治らない。すぐに甥の脳神経科医に連絡をとると、「かき氷を食べたときに起こるのと類似の痛みでしょう」とにべもない。寒冷地を守るわが陸自衛員の過酷さと凄さを実感した瞬間であった。

その坂東さんが先ごろ、90の卒寿を迎えて後輩の自衛隊員たちから祝福を受けた。彼はいまも国内の主な自衛隊各駐屯地を慰問し、海外に派遣される国連平和維持活動(PKO)部隊には、カップ麺やDVDを送り続けた応援団長であった。つい先ごろも、北海道の部隊を訪問して帰京したばかりで、今度はワシントンに飛ぶ予定なのだという。とても卒寿とは思えぬ強靭さだ。

それにしても、坂東さんがなぜ、自衛隊員たちに慕われるのかが不思議であった。敗戦後まもなく、警察予備隊員として遠軽での2年間の勤務を終えると、退職金6万円を手に東京に出た。業界紙の記者などを経て、独力で電器のコネクター会社を設立した。

偶然、出会った予備隊時代の知り合いを通じて、自衛隊員との付き合いが始まる。土曜の午後には、奥様の手作り料理に誘われて40坪ほどの自宅が自衛隊員であふれた。こうして始まった“坂東塾"の中から、のちの統合幕僚長陸上幕僚長を輩出して現在に至る。いまや、“塾"には退役幹部だけでなく、評論家やジャーナリストが集まって飲みかつ議論が続く。

坂東さんは遠軽駐屯地に勤務したこともあって、北の守りには人一倍、気を遣う。いまは海洋進出を狙う中国や、朝鮮半島との緊張から防衛省が「南西重視」でも、最後は陸上自衛隊がものをいうことを固く信じている。冷戦構造の崩壊後も、北の守りを固めながら、なお東日本大震災に駆け付け、国連南スーダン派遣にも加わっている。

いくらロシアのプーチン大統領が、北方領土の一部返還ポーズを見せながら安倍晋三首相にささやいても、日ソ中立条約を破って北方領土を奪った相手は信用できない。その悪癖は、後継国家のロシアに受け継がれ、ウクライナとの覚書を無視してクリミヤ半島を併合してしまう悪漢ぶりだ。

その北の鎮めとする陸自北部方面隊の歴史をたどると、ロシアの南下政策に対して明治政府が採用した「屯田兵」に行き着く。ふだんは荒れ地を開拓し、外敵の侵入があれば銃をとって防衛任務に赴く。政府は明治7年に全国から屯田兵を募集し、一戸あたり5ヘクタール(5町歩)の土地と兵屋を支給した。

冬は氷点下40度にも下がるから想像を絶する過酷さである。旭川兵村のあたりは大密林地帯で、「一本伐ればやっと一本分の空が見えた」といわれるほど森林が深かった。

明治34年旭川に旧陸軍第7師団が移駐し、日露戦争では乃木希典将軍の第3軍指揮下で戦った。大東亜戦争では南方のガダルカナル島、北方のアッツ島での戦闘に参戦した。玉砕したその夜、7師団の兵舎近くで、彼らが行進する足音だけが聞こえたという。

昭和26年5月のアメリカ統合参謀本部の「情勢見積もり」は、ソ連の日本侵攻が「明らかに切迫している」と警告していたほどだ。旧軍の後継である陸自第2師団もまた、ソ連侵攻を迎え撃つ精鋭を配備した。ヨーロッパ正面で戦端が開かれれば、数十万の極東ソ連軍が宗谷海峡を渡ってきて北海道が主戦場になる。

陸上自衛隊は昨年12月に、北海道への武力攻撃を想定して千歳市の東千歳駐屯地で、アメリカ陸軍などと15日間、日米共同対処の指揮所演習「ヤマサクラ」を展開した。氷点下の北海道や東北の駐屯地を訓練場として、日本から計五千人、米側は計千六百人が参加した。北海道には、いまも頼りがいのある「北鎮の男たち」がいた。

昔の自衛隊員の置かれた立場を多少は知る世代として、坂東氏が多くの隊員から慕われる理由はよく理解できる。と同時に、坂東氏の防衛認識が、吾輩と同じであることもよく理解できる。そうです、日本の防衛は、基本的に北方にあるのです。

要するに、東シナ海尖閣諸島周辺への中国公船派遣に対する対応や、中国が台湾の統一を視野に東アジア全域での覇権確立に関心を抱いていると米国防省が見ている以上、日本の防衛の優先度が“南西方面"になることは認めざるを得ない。しかしながら、不法占拠された北方領土南樺太こと、さらに北海道上陸作戦を計画していた旧ソ連軍のことを考えると、やはり北方の軍事力を低下させることはできない。

その現実を知ると、やはり北海道の鉄道は非常に大事である。JR北海道は、民間企業だから“全額国費負担はできない"という見方もあるが、そもそもJR北海道は完全な民間企業であるのか?そろそろ、国も北海道も考え方を変えるべきだ。

それにしても、北海道の重要性や、旭川の旧陸軍第7師団の歴史をコンパクトに紹介している。少し補足すると、中学か高校時代、歴史の先生が「203高地を奪取したのは、旭川の旧陸軍第7師団である」と誇らしく語っていたことを思い出した。そして、ガダルカナル島で戦死した一木支隊の魂が兵舎に凱旋した話しも、以前記したことだ。

今年は、間宮林蔵が「間宮海峡」の発見から210年。その快挙を無駄にしないためにも、大いに北方地域に関心を持って欲しいと思うのだ。