音威子府名物「駅そば店」が営業再開

ネットの北海道新聞(4月20日)を見ると、「音威子府名物 駅そば復活 『常盤軒』創業80年 25日から『ファンのため頑張る』」との見出しが目に飛び込んできた。そこで、この記事を紹介するが、音威子府駅は、かつては宗谷本線と天北線の分岐駅であったことを説明しておく。

音威子府上川管内音威子府村のJR宗谷線音威子府駅構内にある名物そば店「常盤(ときわ)軒」が25日、8カ月ぶりに営業を再開する。80年以上の歴史を誇り、全国の鉄道ファンらに愛されてきたが、店主の西野守さん(83)とともに店を切り盛りしてきた妻寿美子さん(78)が足を骨折、昨年8月から休業していた。けがが完治し、再開をきめた西野さんは「待っていてくれたお客さんのために2人で頑張りたい」と語る。

「4月25日(木)10時30分 常盤軒営業再開のお知らせ」。閉じられたままの常盤軒のシャッターに、村商工会が作った告知チラシが張られている。〜

常盤軒は1933年(昭和8年)、西野さんの祖父の故・治郎作さんが旧国鉄音威子府駅のホームに創業。西野さんは75年ごろ、父の故・真咲さんから後を継ぎ、3代目店主になった。天北線が廃止された89年には駅舎内に移転。夫婦で伝統の味を守ってきた。

そばはソバの実ごとひいているため黒色で、腰が強く、昆布と煮干しのだしを使った濃いめのつゆが特徴。「駅そば」の愛称で全国区の人気を誇り、人口が679人(3月末現在)と、道内最少の村にとって貴重な観光スポットにもなっていた。

営業時間は、午前10時半〜午後2時(そばが無くなり次第終了)。5月は水曜日のみ定休(1日は営業)。6月以降は水、木曜日が定休。

実は昨年10月中旬、北海道を旅行した際、この「駅そば」を食べる予定にしていた。ところが、音威子府村に到着した時間が正午前であり、見学する施設もあると考え、最初に村役場に立ち寄った。その際、観光窓口の役場職員が「あのそば店は、夏から店主の都合で休業しています。地元のそばを食べるなら、国道40号を少し南に下った『天塩川温泉』施設まで行って下さい」というではないか。結局、村役場に置いてある「音威子府」と地元の「高校」を紹介したパンフレットを貰い、案内された温泉施設で昼食をとるハメになった。

吾輩は鉄道好きで、よく鉄道旅行のテレビ番組を見る。その中で、宗谷本線を取り上げた番組では、ほとんどが「駅そば」を紹介する。これまで5回前後は見たが、そばが“真っ黒"で、いつかは食べてみたいと長年思っていた。だから、今でも残念な気持ちがあるし、もう廃業するとばかり思っていた。

音威子府村で印象に残っていることは、トイレ休憩で立ち寄った「道の駅」だ。正午前であるにも関わらず、接客する職員が一人も見かけず、売店も食堂も長年にわたって“休業"している感じであった。これまで多くの「道の駅」を訪ねたが、潰れかけた「道の駅」を見たのは初めてだ。ネットで調べると、レストランは平成29年12月10日より、売店は平成30年1月1日より、それぞれ休業と記されていた。

折角、音威子府村を取り上げたので、同村を流れている「天塩川」(石狩川に次ぐ道内第2位の長さ256㌔)を紹介したい。吾輩は、北海道の河川の中で、天塩川が一番好きだ。天塩川下流部は蛇行し、高低差も少なく、その影響で流れが緩やかで、川幅一杯に流れている。あの緩やかな流れであれば、江戸時代のアイヌや探検家・松浦武四郎の調査(1857年、24日間)も、丸木舟で河口から上流の名寄付近まで、楽に川を遡ったことが想像出来る。さらに、その川沿いには「北海道命名の地」があるし、河口付近には世界三大珍味キャビアで知られる「チョウザメ」が生息しているようだ。観光資源の少ない地域であるが、天塩川の緩やかな流れは、見る価値があると思う。

最後は、それなりに有名な村立「北海道おといねっぷ美術工芸高等学校」を紹介する。この学校は、北海道で唯一の「工芸科」の高校で、全国各地から生徒が入学している。そのため寄宿舎(寮費月2万4700円)が整備されているし、クロスカントリースキーでインターハイ優勝者を出すくらい部活動も盛んである。ということで帰宅後、村役場で貰った「高校」のパンフレットを、我が街の“洋服"チェーン店に勤務する卒業生(札幌出身で15年以上勤務)に差し上げた。大変喜んでくれたが、世の中は広いようで、狭いという一端でした。