一向に進まない「対外情報機関」創設

我が国を取り巻く国際情勢は、北朝鮮の問題に始まり、中国の軍事大国化によって、一層緊迫を増している。そうした中、昨日の「産経新聞」(8月10日付け)の正論欄に、評論家・江崎道朗氏のタイトル「緒方竹虎が目指した対外情報機関」が掲載された。

〈情報機関に言及した安倍氏

「情報機関の設置が必要だ」

4月27日、ネットの動画番組に出演した安倍晋三前首相は、首相在任中の平成25(2013)年に成立した特定秘密保護法によって米国やオーストラリアなどとの情報のやりとりが可能になったとしたうえで、対外情報機関の必要性をこう訴えた。

実は1950年代にも対外情報機関を作ろうとした政治家がいた。吉田茂首相と、吉田首相のあとを継いで自由党の総裁に就任し、昭和30(1955)年の保守合同を成し遂げ、現在の自由民主党をつくった中心メンバーの緒方竹虎だ。

私はこれまで著書『日本外務省はソ連の対米工作を知っていた』『米国共産党調書』(共に育鵬社)などを通じて戦前の日本外務省のインテリジェンス(情報)能力が世界でもトップクラスであったにもかかわらず、その情報が国策に活かされなかった悲劇を描いてきた。それは、いくら優秀な対外情報機関をつくろうとも、その情報と国策が連動されなければ、役に立たないことを知ってほしかったからだ。

この「国策と情報」という課題に正面から取り組んだのが、緒方だった。戦時中の昭和19(1944)年7月に、情報部門を統括する「情報局」総裁として小磯国昭内閣に入閣した緒方が痛感したことは「政府に生きた情報がほとんど入ってこない」ということであった。その理由は、それ以前の政権、つまり近衛文麿東條英機両内閣における情報機関の運用の失敗があった。

〈情報軽視した戦争指導の悲劇〉

昭和15(1940)年12月、第2次近衛内閣によって内閣情報部は情報局に格上げされた。だが情報局は、情報を広く収集・分析する機関としてはあまり役に立たなかった。建前上は各省の所管に属していた情報・宣伝に関する事務が情報局に吸収されたが、実際はこれら事務・権限の統合がきわめて不十分だったのだ。それは官僚特有の省庁縦割り意識からであったが、それだけではなかった。

近衛、東條首相らは情報局を本来の「情報収集分析機関」としてではなく、「言論統制機関」として使ったのだ。政府と軍が情報局を使って言論統制を強めた結果、政府と軍にとって不都合な「海外」の情報も集まらなくなり、省庁縦割りの弊害は悪化することになった。

東條内閣崩壊の一因となったサイパン失陥について組閣大命拝受直前の小磯が東條とこんな会話を交わしている。

《「サイパンの失陥は実に遺憾なことだが、又余りにも脆く敗れたものだ」

「その通りです。統帥部は十分の防備を施しているものとのみ信じていたのだが、防備らしい防備はなかったのです。兎も角もサイパンの失陥に伴い作戦態勢の建て直しをせねばならぬでしょう」》(小磯国昭『葛山鴻爪』小磯国昭自叙伝刊行会)

報道機関を弾圧していたため、日本にとって不都合な「海外」情報を入手できなくなっていた東條内閣は、海軍情報の真為をチェックする力を失っていたのだ。

東條首相が政権末期に参謀総長を兼任したのは海軍の戦況や作戦の情報を得るためだったが、その試みも失敗した。情報局次長を務めた村田五郎は、総辞職から間もないころの東條に確かめている。

《東條の返事は「できなかった」という意外なものであった。さらに、「自分は野に下ってから後に、海軍が開戦以来相当手痛い被害を受けているという話を聞くようになったのだが、もしも自分が在任中にそうした話を聞いていたら、恐らく自分はインパール作戦などは絶対にやらなかっただろう」と言ったのである》(村田光義『海鳴りー内務官僚村田五郎と昭和の群像(下)』芦書房)

東條のこの発言が事実であるならば、インパール作戦で命を落とした日本軍将兵は浮かばれまい。

省庁縦割りの弊害と、政府にとって不都合な言論を弾圧した指導者のもとで情報機関はまともに機能しなくなり、多くの国民が死に追いやられたのだ。

〈「日本版CIA」構想〉

こうした戦時中の痛苦な反省に基づいて緒方は敗戦直後、東久邇宮内閣のもと書記官長兼情報局総裁として「言論の自由」を取り戻そうと奮闘する。

そして講和独立後、吉田内閣のもとで官房長官に就任し、ソ連や中国の脅威に対応すべく、「自由と民主主義」を基調とする政治体制のもとで海外の情報も広く集め、国策と連動する「日本版CIA」の創設を目指したのだ。

日本が敗戦に追い込まれたのは言論の自由を抑圧し、インテリジェンスを軽視したからだ。そうした痛苦な反省のもと、戦後、「日本版CIA」をつくろうとした緒方竹虎のような政治家が今の自民党をつくったことを、終戦の日を前に思い起こしたいものである。

吾輩は、2018年2月8日に、題名「今こそ、日本にも情報機関を!」という文章を作成したが、その後も一向に「対外情報機関」創設の動きがない。そういうことで、“インテリジェンス機関"に関心を持つ人たちに、最低限の知識を持ってもらうために取り上げた次第である。

それにしても、戦後75年間にわたって、その道の専門家が「対外情報機関」の必要性を訴えているにも関わらず、一向に創設の動きが起きないことを、どう考えれば良いのか。考えられることは、米国に対する遠慮、外務省と警察庁との主導権争い、国際情勢に疎い政治家、左翼勢力と現状維持派の結託、国民の情報活動に対するダーティーなイメージ、等々が挙げられる。だが、もうそんなことを理由に「対外情報機関」の創設を後回しにしてはならないし、そんな悠長なことを言っていられる国際情勢ではないのだ。一刻も早く、安全保障の観点と共に、国際社会に日本の存在感を示さなければならない。

現在の東アジアの激変に対して、世界規模の対中包囲網が張りめぐらされつつあるが、英国は「スパイこそ最高の愛国者が選ぶ勇気ある騎士道」として、知識人が進んで志願する国柄である。また、我が国も戦時中の「陸軍中野学校」のことだが、欧米に情報戦で出遅れた日本はカネをばら撒く工作活動をあえて避け、「謀略は誠なり(協力者の良心と日本の国益がかみ合うような関係をつくる)」という独特の哲学をもとに、短期間で世界最高水準のインテリジェンス能力を構築した国家である。つまり、英国や我が国には、情報収集や分析能力に優れた国民性があることを忘れてはならない。

それでは、どこが主導権を握って「対外情報機関」を創設するのか。まずは、人材の確保であるが、それは「インテリジェンス・コミュニティ」の一員である外務省、警察庁防衛省、そして公安調査庁から選べばよい。そして、主導権は外務省が握れば良いのだ。

と同時に、国内での情報収集体制も忘れてはならない。つまり、ターゲット国家の影響下にある団体や個人の動きから、ターゲット国家の狙いがある程度分析できるからである。

いずれにしても、日本に少なからぬ国際的期待が寄せられている以上、それに応える意味からも早く「対外情報機関」の創設を実現しなければならないのだ。