言論の自由をないがしろにするな!

日本オリンピック委員会(JОC)の臨時評議員会(2月3日)での森喜朗元首相(昔から批判的に見ていた人物)の「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」旨の発言が明らかになった以降、左翼メディアを中心に異常なバッシングが始まった。はっきり言って、この程度の「森発言」で女性の支持を得るためか、以前に不倫を“実行"したことで、週刊誌に散々叩かれた“スケベ野郎"の政治家や文化人までが、女性活動家と一緒になって恥ずかしくもなく「森辞めろ」とネットで叫びだした。

吾輩の認識は、昔から“女性を持ち上げる男"は、仕事ができない奴か、女にモテたいという下心がある男と見ていた。だから、今回のことは「○○は憎いので殺したい」と言いつつ、殺人を“実行"しない者に対して、“スケベ野郎"は、逆に口では女性を持ち上げて、陰で女性を侮辱の行為を“実行"する、軽薄な奴と見ている。要するに、口先が問題ではなく、その“何かしらの行動"の如何が最も重要であり、その点で“スケベ野郎"は、またまた女性を我がものにするために、森バッシングに同調したのだ。女性活動家の責任も重大である。

ということで、新聞や雑誌で「森発言」を庇う記事があれば、その記事を紹介すると共に、吾輩の見解を書くつもりであった。しかしながら、どのメディアも“読者に忖度"してか、紹介するほどの記事を見つけることが出来ないので、吾輩の見解だけを書くことにした。それでは、女性活動家と“スケベ野郎"から批判覚悟で色々と書いていきたい。

吾輩は、もう半世紀前から陸上競技のファンであるので、これまでも男女間の運動能力の違いを書いてきた。例えば、女子選手は男子選手に対して、走力は10%、跳躍は15%、投擲は30%以上劣ることが明らかであるが、陸上競技は生身の人間が記録を争う性質上、男女間の能力の違いがモロに解る。その違いは、もう半世紀前から日本の男子中学生記録と女子の世界記録が、ほとんどの種目で同じであるのだ。そして、記録の伸びも同じような感じで更新されてきた。だから、毎年開催される「全日本中学陸上競技大会」に、世界の女子選手トップスリーを招待すれば、大接戦の面白い競技が見られる思っていた。それくらい、女子の選手と日本の男子15歳の選手の記録が、同じであるのだ。

このほか、女子と男子では、肉体的な成長力が全然違う。女子は、18歳頃から記録がピークになる選手が多く、大学や実業団に進んでも高校3年生時の記録を破れずに悩む選手が多い。そのような背景には、女子選手はいくら練習を重ねても、18歳から25歳前後まで緩やかにしか記録が伸びず、また衰え方も緩やかという特徴がある。だから、18歳でピークを迎える選手がいても何ら不思議でないし、逆にピークからなだらかに下降するので、トップ級選手の“選手寿命"が男子よりも長くても何ら不思議ではない。そのほか、女性の長距離選手には、色々な支障が出ていることは、新聞などで報道されている通りである。

一方、男子選手は練習によって、徐々に確実に18歳から25歳前後まで記録が伸びる。そのような傾向があることから、陸上長距離界の名門・旭化成宗茂監督が以前「男子選手は練習によって、確実に強くなって行くので、教え甲斐がある」と発言していた。その発言の裏には、その昔旭化成にも有力な女子選手が在籍していたが、男子選手と違って練習を積んでも、計画通り記録が伸びないことから、ある時点から女子選手を採用していない。それだけ、女子選手の指導は難しいのだ。

次は、頭脳の中身を探っていきたいので、東京大学の入学者数は2割(現在19・5%)を超えたことがないし、司法試験は20%前半で推移している。それでも女子の割合が増加してきた背景としては、学力は暗記力が重視され、女子生徒は真面目であることから、机に向かう時間が長いことが挙げられる。だが、問題はその後の成長である。

昔、テレビ放送に出演した評論家・立花隆の話が忘れられない。立花氏は、文藝春秋入社後に再度、東京大学フランス学科に再入学したが、その卒業の際の首席は女性であったという。その女性は、毎日一番前の席に座って、先生の発言を真面目にメモ書きするので、試験では先生の発言を正確に書くことで、首席で卒業することになった。ところが卒論を提出する際に、先生に向かって「私、何を書いたらよいでしょうか」と尋ねたという。その様子を見ていた男子学生は「真面目に授業に出てきているので成績は良いが、何を勉強しているのか」と批判していたという。つまり、女性は真面目な人が多いので、学生時代の暗記の成績は良いが、生み出す想像力が劣るというのだ。ある一人の女性のことを取り上げて、女性全般として評価することは危険である。しかし男性では「大器晩成型」という人物評価はよく聞くが、女性では聞いたことがない。どうも、男は成長速度が遅めなのだ。

そのような違いは、長い人類の歴史が関係している。男性は何十万年前から動物を仕留めるために、何時間も息を凝らして静かに待つことが多かった。まさに一点集中である。それに対して、女性は日常的に周りに気を遺して暮らしているので、何人もの話しを聞き分ける必要がある。そのためか、女性の右脳と左脳を繋ぐ神経系統は、男性よりも身体が小さいのに、太さが二倍あるという。だから、音楽を聞きながら勉強ができるので、同時通訳はウッテツケの職業であるという。

そのほか、女性はおしゃべりが好きなので、女性には“吃音"が少ないという。つまり、女性は言語力に優れているためか、国語の成績も良い生徒が多かった感じを受けている。そのほか、女性は自分の周りに対する注意力が優れているが、遠い地点での出来事には関心がない。だが、それで良いのだ。なぜなら、子供にとって母親が最後の砦であるので、想像力が豊かで遠方まで行かれてしまうと、子供は困る事態になる。つまり、自分の周りの幸福だけ考える女性の思考は、社会にとって必要な能力であるのだ。

昔、中曽根氏が首相の時だから1980年代後半、NHK総合テレビ放送の「総理と語る」という番組に出演して「来年度の予算では、頭脳を研究する予算を初めて付けた」と自慢話を始めた。司会者がさらに質問すると「これからはコンピューターが普及するので、人間の頭脳を研究する。それから頭脳の病気、男女の頭脳の違いなども研究する」と言ったのだ。それから相当な年月を経ているので、日本の頭脳の研究は相当進んでいるハズだ。

ところが最近、新聞やテレビで、男女間の頭脳の構造や肉体的な違いを、メディアが取り上げることが少ない感じを受ける。例えば、吾輩は以前(2017年7月7日付け)、男女の肉体の衰えの違いについて、「男女とも30歳頃から身長の低下が始まり、その速度は加齢に伴って高まり、特に70歳以降に加速する。具体的には、男性だと30〜70歳までの間に平均3㌢、80歳までに平均5㌢、身長が縮んだ。女性は30〜70歳までの間に平均5㌢、80歳までに平均8㌢と、より大きく減少した」と女医の解説記事を紹介したが、読んでいれば街中で見掛ける小さな老婆の衰え方を知ることができる。そのほかの分野でも、相当研究が進んでいるハズであるが、一向にメディアが報道しない背景として「男女差別を助長する」という“忖度"であれば、それこそ“言論の自由"や“知る権利"はどうなるのか、ということになる。そう言えば、20年前に男性医師がテレビ番組で「優秀さは大脳の大きさと関係があるので、身体の大きな男性の方が頭がいいのは当然だ」旨発言していたが、もうこのような発言はできないのか?

それにしても、これだけ女性が社会進出し、つまらない「森発言」ての゛言葉狩り゛で日本社会が分断すると、ロシアや中国共産党は「我が国の方が国家システムは優れている」ということで、謀略機関は日本の弱点として、ますます“男女平等"という工作をふっかける可能性がある。その点は、自由主義陣営の欧米諸国も同じような問題(2019年発表の調査によると、ドイツで「女性が企業トップになるのは良いこと」と考える人の割合は33%にとどまり、日本と同率だった)を抱えているので、我々は十分に気をつけなければならない。

長々と医学的なことも含めて、色々と思うことを書いてきたが、これらは全てマスコミを通じて知ったことである。だが、これらの事柄に反発する人たちは昔からいた。しかし吾輩は、昔から常に国民の5〜10%は、いつもおかしなことをいう人物がいる、と考えているので気にしない。そのような発言を気にしていたら、“言論の自由"を守る意味がないではないか。そして、そのような思考の人たちに屈すると「自由・民主主義」「法の支配」「基本的人権の尊重」という、今日の自由社会での普遍的価値を維持するために命を懸けている人たちに申し訳ない。言論の自由は、自由と民主主義の中でも最も尊重されなければならない権利である以上、小さな冗談すら通用しないのであれば、何のための「言論の自由」なのか、と言わざる得ない。

あーあ、こんな文章を書くことになるとは、考えてもいなかった。そう言えば20年前か、宇都宮のある知識人に対して、吾輩が「最近の女性は鼻息が荒くなった。どうにかなりませんか」と言ったところ、その男性は「戦争で男が死ななくなったから、男の権威が無くなった。男の権威を復活させるには、戦争が起きないと無理だ」と言った。その時に“なるほど"と思ったことが、今でも忘れないで覚えている。