陸上競技ファンであるので、昨日の桐生祥秀選手の「9秒98」には驚いた。何故なら、前日の準決勝の記録も悪く、世界陸上以後の体調も万全ではないと伝えられていたからだ。だから、陸上男子百㍍で日本勢初の9秒台である「9秒98」を樹立したことに驚いたのだ。
それにしても、焦らせに焦らせてくれたものだ。その理由は、桐生選手が2015年3月28日の競技会で、3・3㍍の追い風参考記録ながら9秒87の快記録で走っているからだ。国際陸上競技統計者協会会員の野口純正氏の研究によると、追い風3・3㍍での9秒87は、追い風2・0なら9秒96に相当し、追い風1・5㍍でも9秒99が出た計算になるという。それを考えると、既に一昨年から9秒台の記録を出す力があった。
それでは、この「9秒98」は、どのような意味があるのか、新聞記事から説明したい。
○世界では、過去に125人が10秒の壁を破っているが、ほとんどがアフリカにルーツをもつ選手。例外は10年に20歳で9秒98、9秒97を出した「白人初」のクリストフ・ルメートル(仏)、15年にアジア出身選手として初めて9秒99を出した蘇炳添(中国)ら数人しかいない。
○9秒台をマークした選手の国・地域別では、米国が最多の50人で、続いてジャマイカ16人、英国9人、ナイジェリア8人、トリニダード・トバコ6人、南アフリカ5人、カナダ4人、フランス3人である。
○アジアでは、ナイジェリアからカタールに国籍変更した2人とジャマイカから国籍を変えたバーレーンの2人、そして蘇炳添の計5人であるので、桐生選手は黄色人種としては2人目となる。
という訳で、今回の「9秒98」は驚くような記録ではない。過去の日本短距離界を振り返ると、1935年には吉岡隆徳が当時の世界記録に並ぶ10秒3を出し、64年には飯島秀雄が当時世界トップクラスの10秒1の日本記録を樹立している。また、98年12月に樹立された伊東浩二の10秒00は、当時世界歴代27位の記録だった。
現在の日本短距離界を見ると、五輪や世界陸上の四百㍍リレーでは、メダルを獲得するなど、常に上位入賞している。それを考えると、既に十年前に一人くらい9秒台の記録を出していても不思議ではなかった。つまり、遅すぎた9秒台と言える。
その背景には、以前から指摘している日本の陸上競技場の欠陥がある。つまり、多くの陸上競技場のホームストレートが向かい風になる。そのために「9秒台」を目指す選手たちは、トラックや風の条件が良い大会や海外のレースに積極的に参加した。この動きに対して、一部専門家が批判しているが、致し方ないと思う。
新聞紙上では、桐生選手の9秒台樹立を受けて、堰を切ったように9秒台が相次ぐのではないかと期待しているが、やはり黄色人種の日本人にとっては、9秒台の記録は大変な記録と思う。水を差すようだが、これからも9秒台が続出とはいかないと思う。それだけに、今回の桐生選手の9秒台は価値があると考えている。
最後は、桐生選手の肉体面や精神面を紹介したい。桐生選手には、他のスプリンターと異なる特徴があるという。一つは臀部上部の筋肉がかなり盛り上がっている。もう一つは、足首の硬さで、両足のかかとを地面につけて、しゃがめない。つまり、和式トイレの時のような(足首を曲げて)かがむ姿勢がきついという。硬い足首を強靭なバネのように使い、一瞬で地面にパワーを伝える。アフリカ系選手と共通する技術という。精神面では、「重圧に弱い」。つまり、今回の大会では、重圧がなく、無心で、何かのために走ったので実力を出したようだ。土江コーチも「無欲に走れたかな」とコメントしている。その意味では、もう少し精神面を鍛える必要があるようだ。
いずれにしても、短距離選手のピークは二十代前半であるので、21歳の桐生選手は、東京五輪の20年までには、もう少し記録を短縮できると思う。個人的には、「9秒90」まで短縮できると見ているが、どうか。