元道知事が語る昭和20年代後半の遠軽高校

12月9日付「北海道新聞オホーツク版」に、見出し「みずなら/疾風に屈せずに」と題する記事が掲載された。

「北見北斗から、なんとワントライあげ(中略)大騒ぎで、まるで勝ったようなもんでした」。同校は1950年代から60年代にかけ、全国高校ラグビー大会で4度の準優勝を飾った有力校だった。

遠軽高OBの堀達也元知事(88)は約70年前の在学中、同校が強豪に一矢を報じた試合を今でも覚えているという(「北海道知事という仕事」寿郎社)

27日開幕の第103回大会に、遠軽高は北北海道代表として8年ぶり11回目の出場をする。1回戦で城東高(徳島)と戦う。勝ち進めば3回戦で連覇を狙う東福岡高(福岡)との対戦もありえる。

今秋のラグビーワールドカップ(W杯)では、ジャージーの色から「緑の壁」と呼ばれた南アフリカが堅守で優勝を果たした。猛攻を受けても、規律を保った防御を徹底。相手の隙を見逃さずに得点を重ねる。お手本とも言える試合運びだった。

堀さんは「疾風に勁草を知る」という言葉を好んだ。苦難に直面してこそ、人の打たれ強さが分かるという意味がある。遠軽ラガーマンも道外の有力校にひるまず、着実なプレーで観客らを魅了してほしい。

この記事を読んで、昭和20年代後半の遠軽高校ラグビー部(創部・昭和24年)のことを知りたくなり、さっそく地元の我孫子市中央図書館に赴いた。職員に「千葉県内の図書館から『北海道知事という仕事』という本を取り寄せてください」とお願いしたところ、パソコンで調べた職員が「千葉県の図書館には、どこにも置いていません」との事。そこで、取り寄せ料金が一番安く、近い所に所在する国立国会図書館には置いてあるとの事で、そこから取り寄せることになった。その後すぐに、図書館の職員から電話があり「国立国会図書館から『新品のまま保存したいので、大阪の図書館から取り寄せてください』との依頼であったが、どうしますか」との連絡があり、取り寄せ料金など諸々について検討・対話したが、あまりにも面倒であったので諦めて、改めて北海道滝上町の友人にお願いした。その後、友人から「取り寄せ無料で、北海道立図書館から入手した」という連絡があり、依頼していたページを12月20日にフアックスで送ってもらった。

遠軽高校の青春〉

こうして話していると、もう忘れたかと思っていても、あれこれ思い出すもんですね。まあ、青春ね。照れくさいけどな、話すの。もう戻らないとわかっていても、なんとも言えない懐かしさがこみ上げてくるもんですね。

青春時代って、誰にでも平等にあるわけだろ。なんでも話せる友がいて、恐いもの知らずで、硬派の方だったけど、ちょっと気になる女性もいたかな。手こずらせた先生の顔も浮かぶな。

遠軽高校なあ。ずいぶんと、あれこれやったさ。それこそ、泣いたり笑ったり。教頭先生を呼び出して抗議したりしたこともあったなあ。今で言う団体交渉かな(笑)。いや、それがね、僕たちは進学クラスだったんだけど、先生たちの教え方が生ぬるく、このままでは大学受験が心配だっていうんで、「もっとちゃんと教えろ」と学校を責めたんですよ。考えられないでしょう、そんなことで抗議するなんて。

先生方も怒ってね。担任の先生は、物理の先生で、「よし、それほど言うなら、俺がやってやる。今日から補習だ」って言ってね。でも、そうなると、みんな家に帰っちゃったりして、あんまり出ていくのがいなかったな。ハハハ。

その時の担任の先生、まだご健在なんですよ。お会いしてないけど。そして、結局、その年は、一一人北大に入ったんですよ。大したもんでしょう。

勉強だけじゃなかったですよ。遠軽高校はスポーツも盛んで、野球部も強かったし、ラグビー部も頑張ってました。ラグビーは、北見北斗が全国大会でも準優勝するくらい強かったんです。だから、うちの高校が戦っても五〇対〇とか六〇対〇とかで、全然歯が立たないわけ。それがね、僕らの時はちょっと違ったんですよ。いや、勝ったわけじゃないですが、そうじゃなくて、その強豪北見北斗から、なんとワントライあげたんですよ。その時はもう大騒ぎで、まるで勝ったようなもんでしたね。

「俺たちの時代には、北見北斗からワントライ奪ったんだぞ、すごいだろう」なんて、今でも自慢している人がいるからね。

(中略)

その(生徒会)書記をやっている時にブラスバンド部を作りました。たまたま、僕の中学時代の同級生にトランペットを吹く人がいて、その仲間が一生懸命ブラスバンド部を作りたいって言うから、じゃあ、やろうかということなって、生徒会で予算を組んで作ったんです。あのあたりじゃあ、うちが最初。七、八人いたのかなあ。それで、体育祭の最初の入場行進で、ブラスバンドが先頭で『草競馬』とか『錨を上げて』とかやってましたよ。当時としては、かなり斬新だったんだよね。いやー、こうして話していると、懐かしい思い出があれこれいっぱい浮かんでくるなあ。

それでは、当時の北見北斗高ラグビー部の強さを調べてみよう。堀さんは1935年(昭和10)11月生まれであるので、遠軽高校時代は51(昭和26)年度から53(昭和28)年度ということになり、北見北斗高は52年度と53年度に全国大会で準優勝(ともに決勝戦で秋田工業に敗退)している。まさに北見北斗高の「第1次黄金時代」であったので、ワントライしただけで大騒ぎしたことは頷ける。

我が遠軽ラグビー部のことを調べてみると、部員数は51年は28人、52年は28人、53年は34人と、それなりの部員を抱えていた。そして53年に初めて全道大会に出場し、1回戦で北海高に6ー0で敗退しているので、おそらく北見地区大会で北見北斗と対戦して、大敗したもののワントライして大騒ぎしたものと想像した。

さらにブラスバンドのことにも触れている。遠軽高校吹奏楽部(現・吹奏楽局)は、網走管内の高校で初めて昭和28年4月に創部されているので、堀さんが言われていることは間違いない。いやはや、堀さんの高校時代は、今に繋がる活発な部活動の創部時期に当たり、巡り合わせという面から非常に貴重な話であった。

なお、取り上げた本書「北海道知事という仕事」は、堀さんが知事職(在任期間95年4月23日~03年4月22日)の退任表明後の2003年3月15日に出版されたもので、当時の勉学やラグビーに関する様子がよくわかり、非常に参考になった。また、堀さんの〝口述″の文章が何とも飾らない親近感を感じさせ、全文を読みたくなった。