新刊書「反日種族主義」を読了して

日韓関係が、こじれるだけこじれたことを背景に、韓国で刊行(7月)されて以来、ベストセラーという新刊書「反日種族主義ー日韓危機の根源」(編著者=李栄薫、350頁)を発売(11月15日)すぐに購入した。そこで、日韓関係で最も懸案事項になっている「慰安婦」問題を取り上げるが、その前に本書のプロローグ「嘘の国」から紹介する。◇

〈嘘をつく国民〉

韓国の嘘つき文化は国際的に広く知れ渡っています。2014年だけで偽証罪で起訴された人は1400人です。日本に比べ172倍だといいます。人口を考慮すれば、一人当たりの偽証罪は日本の430倍になります。虚偽に基づいた告訴、すなわち誣告の件数は500倍だといいます。一人当たりにすれば日本の1250倍です。保険詐欺が蔓延しているのは周知の事実です。2014年の自動車保険、生命保険、損害保険、医療保険などの保険詐欺などの保険詐欺の総額は、4兆5000億ウォンを超えると推定されています。ある経済新聞はアメリカの100倍だと報じています。民間に対する政府の各種支援金も、詐欺によって騙し取られています。2018年の国政監査のとき明らかにされたことですが、知的財産権に対する政府支援金の33%が詐欺にあっていました。

この文章を読んで、この事実は“本当かよ"と思ったが、誰も否定していないので本当のようだ。引き続き、日本人なら誰も触れたくない「従軍慰安婦」問題であるが、先ずは朝鮮半島の文化や“性の歴史"から紹介していきたい。

○韓国人が「民族」という言葉と概念を知るようになったのは、20世紀初期のことです。〜一言で言えば、朝鮮における民族は、親族の拡大形態として受容され、定着しました。

○韓国人の精神世界を長い間支配して来たシャーマニズムが、あますところなくその姿を現わしています。シャーマニズムの世界では、死者の霊は不滅です。仏教やキリスト教では、人が死ぬと渡って行くあの世があります。〜シャーマニズムの世界には、そのように渡って行くあの世がありません。この世とあの世を分ける確かな境界がないのです。死者の霊はあの世に行かず、この世の空中をさ迷います。

○日本軍が慰安所を設置し慰安婦を置いたのは、1937年から1945年までのことです。しかし、歴史を詳しく調べてみると、軍慰安婦は以前からずっと存在していたことが分かります。慰安婦という呼び方がなかっただけです。大きく見て、15世紀以来の朝鮮王朝時代からありました。〜『赴北日記』(朴就文)によると、1645年に鏡城府に属した妓生は100人にものぼりました。全国では、ほぼ1万人に達していたと推測できます。〜また、1945年に日帝が敗れ韓半島から撤退した後でも、慰安婦は、我が社会の中でずっと存在していました。繁盛したと言ってもいいでしょう。しかし既存の研究は、その長い歴史の中で1937〜45年の歴史だけを切り離し、日本軍の戦争犯罪だと責めています。

公娼制は、近代の西洋諸国で始まりました。公娼制は、娼婦登録制、性病検診義務制、営業区域の集中制を基本要件としました。娼婦登録制は、娼婦と抱え主の関係に国家が介入し、不当な契約条件や待遇を改善するためのものでした。〜日本は、1870年代にフランスとドイツから公娼制を導入しました。それ以前の江戸時代には、遊女屋という商業的売春業が成立していました。店主が貧しい家の娘を人身売買の形で購入し、売春に従事させたのが遊女屋です。欧州諸国から人身売買に対する非難が殺到したので、日本は遊女の人身売買を禁止し、遊女を娼妓、遊女屋を貸座敷に名前を変えて、貸座敷を一定区域に集めました。それが近代日本の公娼制です。1916年、朝鮮総督府が施行した公娼制は、若干の差異はあるものの、その公娼制を朝鮮に移植したものでした。

○1916年の公娼制施行を以て身分的性暴力の時代が去り、商業的売春の時代が始まった、と言ってもよいと思います。〜1930年代に入ると、娼妓と遊客の中心が朝鮮人に移り、大衆的売春に様変わりします。1930年代は、「大衆売春社会」が成立した時期と言うことができます。公娼制の施行と共に、全国の主要都市25カ所に遊廓区域が設定されました。1929年における貸座敷娼妓業の概況を見ると、娼妓は合わせて3285人で、うち1900人(朝鮮人1385人)という多数が日本人女性でした。年間遊客の総数は56万人余りで、うち45万人が日本人でした。

○仁川にあった敷島遊廓の例を紹介します。〜1924年、日本人楼は朝鮮人楼より繁盛していました。朝鮮人の娼妓が95人であるのに対し、日本人楼の娼妓は115人でした。遊客の人数も1万84人対2万2972人という差がありました。遊客一人当たりの消費額にも約2倍の差がありました。ところが1937年になると、朝鮮人楼のほうが、娼妓の人数や遊客人数において日本人楼を凌駕しました。

慰安婦は、おおよそ兵士150人当たり一人の比率で充当されました。〜「慰安婦」という言葉は、1937年以降、慰安所が公式に設置されてから生まれたと言われています。〜朝鮮人慰安婦の総数は、おおよそ3600人でした。1941年、国内で活動した娼妓、芸妓、酌婦は9500人でした。満州、台湾、日本、中国で活動した娼妓などもその程度で、全て合わせて1万9000人でした。そのうちの3600人が日本軍慰安婦でした。〜慰安婦たちの民族別構成は、日本人40%、現地人30%、朝鮮人20%、その他10%と推算するのが一般的です。

○1946年、日帝が移植した公娼制が廃止されました。民間の売買業は私娼制に変わりました。性売買に従事する女性たちが韓国戦争の破壊と混乱により激増さました。その総数は、なんと日帝期の10倍でした。〜1959年、ダンサー、慰安婦、接待婦、密娼の性病感染率は、なんと26%でした。日帝期の娼妓たちの感染率は5%前後でした。〜1964年、群山市保健所に民間慰安婦(188人)と米軍慰安婦(132人)が登録されたが、米国の軍人がほとんどコンドームを着用しなかったので、132人の慰安婦のうち68人が人工中絶を経験しました。韓国人相手の慰安婦は、188人中31人が人工中絶を経験した。

○2002年、女性省は刑事政策研究会に性売買の実態を調査させました。このとき全国の68カ所の集娼村で、9092人の女性が専業で性売買に従事していました。1960年代までの公式呼称は慰安婦でした。調査結果によると、その慰安婦が一日に迎える客は平均7人でした。これ以外に、喫茶店などの性売買を兼ねている六種の業所の女性たちの総数は、24万人に達しました。このような調査結果を基に合理的に推測した性売買従事者の総数は、最小33万人とされました。20〜30代の女性の就業人口の8%にも達する数値です。

以上、元ソウル大学経済学部教授・李栄薫ら6人の学者が書いた本書を紹介した。それにしても、よくもこれだけ韓国人の感情を“刺激"する本書を書いたものだ。

我が国にも、現代史家・秦郁彦の著書「慰安婦と戦場の性」(新潮選書)という名著が出版されている。しかしながら、吾輩は購入も読了もしていない。その理由は、分厚いし、余り「慰安婦」問題を知りたいと思わないからだ。だが、韓国人が韓国の通説に反証を加え、韓国人の反日主義を生み出す精神文化にも迫っている、というので読んでみた。

○それにしても、戦前の女性は可哀想なものだ。戦前は、日本も韓国も世界の国々では、売春は公娼制度といって合法であり、貧しい家の女性が売春婦になった。その女性たちは、親孝行な娘であるので、なおさら気の毒に思えてくるのだ。

最後は、日本男児の名誉のために、他国の男児の話しをしたい。

○韓国はベトナム戦争に参戦し、7千人〜2万人の私生児を残してきた。

ソ連軍は第二次世界大戦直後、ドイツ占領時に2百万人ものドイツ女性を強姦した。

アメリカは日本を占領した時に、東京都に対してアメリカの兵隊のための吉原みたいなものを作れと命令した。

ということで、吾輩としては、そろそろ「慰安婦」問題からおさらばしたい心境である。この心境は、吾輩だけではないと考えるのだ。