子どもは親を選べない

千葉県野田市で、小学四年女児が両親の虐待により、自宅浴室で死亡(1月24日)する事件が起きた。その後、テレビなどのメディアは、いろいろと報道していたが、この事件があまりにも悲惨な出来事であるので、多少背を向けていた面がある。しかし、3月1日に郵送されてきた情報誌「選択」(3月号)「子どもは親を選べない」(河谷史夫)という記事を読み、心にすーとんと落ちる感じがしたので、この記事を紹介することにした。

〜広岡知彦という人がいた。「親から愛情をもらえない子は、他人からもらえばいいのです」と言い、1991年に東京で「子どもの虐待防止センター」を開いた。

41年の生まれ。東京大学理学部在学中に福祉に関心を抱き、無料奉仕で「少年非行」と関わる。助手になって研究生活に入る一方、家庭崩壊で傷ついた子たちと「家族」になり寝食を共にした。

44歳のとき、東大助手を辞めた。科学者の道を捨てるに際し、「学校には、頭のいい人はたくさんいる。しかし社会に必要な分野で、人材は乏しいんだ。ぼくがやるべき仕事は、そういう分野にある」と言った。「やらないで後悔するくらいなら、ぼくはやる方を選ぶ」というのが信条だった。

体中に傷があり、ひどい火傷をした三歳男児がいた。継父がお灸で火傷を負わせた。静かにしろと言っても動き回り、遊び回ったのだという。ただそれだけのことなのに、「言うことを聞かないので、しつけのためにやった」と継父は正当化する。母親も同調した。「子どもが何をしたというのだろう」と広岡は訝るのである。

言うことをきかせるために暴力をふるう▽感情にまかせて言葉で子どもの心を傷つける▽期待を勝手に押し付け、無理強いする▽成長に必要な世話や愛情を与えない▽性的欲求の対象にするー虐待とは、大人の問題なのだ。

広岡によれば、叩いたり殴ったりする行為は教育的ではない。理屈がつけば暴力をふるってもよいと教えているようなもので、暴力に遭った子は、言い分が通らないと暴力に訴える。虐待された子は、虐待する親になりがちだ。連鎖を断ち切るには、まず大人が暴力を封じなければならない。「愛の鞭」とか「しつけ」といった親の言い訳を、彼は認めなかった。

「隔離」の必要不可欠なことを強く唱えた。虐待された子どもを親から引き離さなけばいけない。なぜなら、虐待とは家族病理の問題であり、病理状態の中へ子どもを戻すと、また虐待が起こるのは必至だからである。

「子どもの虐待防止センター」代表として4年。突如病を得た広岡は95年、54歳を一期として逝った。思い残すことは多かったはずだが、しかし死を覚悟したとき「ぼくはもう、やることはやった」と言ったという。その清々しい一生は友人知人によって編まれた文集『静かなたたかい』にたどれる。こんな言葉がある。

「日本では親権が強すぎて、被害者である子どもを守ることは容易ではない。私達は、虐待を受けた子どもを守ることに、毅然としなければならない」

子どもは親を選べないのである。だが広岡の「遺言」は生かされなかった。「先生、どうにかできませんか」と呻いた女児の周囲に、広岡の奮闘を知る者がいたら、どうにかしてやれたかも知れない。少なくとも「ぼう力お父さん」のもとへ返されることはなかったであろう。無知は罪悪である。〜

どうですか、名も知られていない人が、過去に素晴らしい業績を残して亡くなっているのだ。この事件に対する受け止め方は、それぞれ違うが、悲しさ、虚しさ、怒りは共通していると思う。問題は今後、このような事件を起こさせないことで、そのためには政府や自治体の対応のほかに、地域住民の気配りも大事なのだ。つまり、このような事件を防止するためには、地域住民の責任もあることを自覚するべきと思う。今後の政府及び自治体の対応に注目したい。