「週刊文春」と「週刊新潮」に未来はあるか

日本で一番話題を提供している週刊誌は、「週刊新潮」と「週刊文春」であろう。この両誌の元編集者が、語り合った新刊書「『週刊文春』と『週刊新潮』闘うメディアの全内幕」(著書=花田紀凱/門田隆将、PHP新書)を読了した。そこで、いつもは最初に、著書の要旨を紹介するが、今回は週刊誌の歴史と現状から始めたい。

○創刊年月日の古い順から並べると、大正11年2月「週刊朝日」、同年4月「サンデー毎日」、昭和31年2月「週刊新潮」、同34年3月「週刊現代」、同年4月「週刊文春」、同44年8月「週刊ポスト」、同63年5月「AERA」。

○平成29年上期実販部数(ABC)は、週刊文春:37万2千(十年前52万)、週刊現代:26万4千、週刊新潮:24万7千(十年前47万3千)、週刊ポスト:21万7千、週刊朝日:8万2千、サンデー毎日:5万、AERA:4万7千。

○“告発型ジャーナリズム"の「週刊文春」と「週刊新潮」は、常に訴訟リスクを抱えている。つまり、講談社八百長を告発して相撲協会に訴えられて負けたケースでは、賠償額が計4300万円に達したので、編集は慎重にならざるを得ない。その背景には、「名誉毀損賠償額の安さ」を問題にした政治家(主に与党の自民党公明党)たちが、週刊誌の言論活動を規制しようという挙に出て、それを裁判所が受け入れたからだ。

実は、著書を読んで一番驚いたことは、門田氏が「十年後に残っている週刊誌は、『週刊文春』ぐらいかもしれませんよ」とか、「十年後、『週刊新潮』と『週刊文春』の両方とも残っているかというと、私は疑問です」と述べていることだ。そして、花田氏も、その意見に同意している。

この発言の背景には、実販部数が大幅に減少し、利益が余り出ていないことが考えられる。花田氏は「『週刊文春』も赤字ではないでしょうが、そんなに儲かってはいないと思います」と述べている。そのため、我が輩なりに「週刊文春」の利益を計算してみた。基本的な数字は、花田氏の「一部当たり200円の儲け」という発言である。

○売上高=37万2千×400円×50(年間発行)で、計74億4千万円。

○儲け=37万2千×200円×50で、計37億2千万円。

○人件費=1000万円(一人当たりの年俸)×60人(編集部員50人とフリー10人)で、計6億円。

○取材・調査費=1000万円(一人当たり)×60人で、計6億円。

○その他=管理費や幹部職員の人件費などで、5億円。

以上の結果、ざっと20億円の儲けになるハズだ。

さらに、ネットで文藝春秋社を見ると、市場情報・非公開会社ということであるが、売上高256億円(2012年3月期)、純利益6億2800万円(13年3月期)、従業員374名(17年7月1日現在)とある。それを見ると、計算上では「週刊文春」の売上高や利益額は、それなりのパーセンテージを占めていると考えるが、本当のところは良く解らなかった。

このほか、花田氏は「最近、不動産売買で好成績を上げた社員が“社長賞"を受賞した。どうやら文藝春秋はマンションの売買にも手を出す不動産屋みたいなことをやっている。でも、編集をしていた人間が、不動産売買で社長賞をもらって嬉しいのかなぁ」という発言もある。この発言を知って、以前ある雑誌の中に、「朝日新聞社は、不動産をたくさん持っているので、新聞部門が赤字でも、不動産部門が補填する。将来的には『朝日新聞社』ではなく『朝日不動産』と名前を変えて、生き残って行くのではないか」との笑えない記事を思い出した。文藝春秋社も、同じような状況にあるようだ。

いずれにしても、出版不況が続く中というものの、“告発型ジャーナリズム"が日本から消え去ることは許されない。何故なら、あらゆる分野の正義が、偽善者に敗北することを意味するからだ。だから、門田氏も「新聞メディアがここまで堕ちた以上、そのジャーナリズムの“芯"を、『週刊文春』と『週刊新潮』が今までより一層、担わなければなりません。だからこそ両誌には、かつての見識を取り戻してほしいんですよ」と述べている。その意味で、“建前"ばかりの新聞社系の週刊誌ではなく、“本音"で勝負する出版社系の週刊誌が、絶対に必要なのである。

最後は余話であるが、気になる発言を紹介したい。

門田「最近は、『あなたは活動家なのかい?それで、たまたま新聞記者をしているわけかい?』と聞きたくなるような新聞記者が散見されます。政治活動や社会活動にのめり込んで、そのうえメシを食えて、給料もいい職業にはなかなかつけるものではありません。その点、活動家をやりたい人にとって、新聞記者などは願ってもない職業なのです。『君は政治的な活動をやりたいの主で、新聞記者というのは、食うための選択肢の一つなんだろう』と言わざるを得ない新聞記者が多すぎます」

花田「活動家なら、それでいいんですよ。だけど、新聞記者の仮面をかぶった活動家だから始末が悪い」

という訳で、今後も日本のジャーナリズムが、健全に発展することを願います、という“建前"を書いて終わりにします。