ちょっと専門的なテーマであるが、検事総長・稲田伸夫(昭和31年8月生)は来年2月に退任し、後任に東京高検検事長・黒川弘務(昭和32年2月生)が就任するのか。そう思うのは、以前の本命だった名古屋高検検事長・林真琴(昭和32年7月生)が検事総長に就任するには、今夏の人事異動で黒川が退任し、林が後任になることが最低条件であると考えていたからだ。ところが、9月2日付け人事異動には、このような発令はない。
黒川が検事総長に就任する場合、検事長以下の定年が63歳であるので、同人の誕生日である来年2月までに就任しなければならない。その場合、検事総長・稲田は、黒川と同学年であるので、就任1年半で退任することになる。
ここで思い出すのが、約25年前の検事総長・吉永祐介(昭和7年2月生)の後任人事だ。検事総長・吉永は、法務・検察幹部から「禅譲」を求められた際、就任1年半ということで「過去の検事総長は2年以上務めている」と言って、退官要請を拒否したという。この結果、次期検事総長と言われていた東京高検検事長・根来泰周(昭和7年7月生)は、定年で退官することになった。
実は、昨年発売の月刊誌「文藝春秋」(5月号)で、ジャーナリスト・村山治が寄稿文「検事総長人事暗闘史『根来泰周メモ』公開」の中で、法務・検察の人事構想を巡る対応を書いている。
ー根来は、検察人事に対する政治の介入を許さない立場を明言する。
〈検察の人事が大臣の意向で左右されることは絶対にない。あってはいけないことだ。大臣に口を挟ませないために、人事担当者が工夫し、もし反対的なことがあっても説得する気持ちでいるのだ。(略)後藤田氏の鶴の一声など絶対ない〉
吉永は93年12月、東京高検検事長から検事総長になり、同じ異動で根来(10期)は、法務事務次官から東京高検検事長になった。ー
というわけで、吉永からの「禅譲」話しには多少触れているが、法務・検察幹部の人事に関しては、絶対に“政治家を絡ませない"と書いている。その意味で、次期検事総長の人事に関して、この3年間にわたる混乱は、最近では例を見ない出来事と言える。
以上の経緯を考えると、もしも稲田が、法務・検察の人事構想を押し通すために、吉永と同じような行動に出たらどうなるのか。つまり、建て前の「政治からの独立」を縦にして、退任を拒否することだ。だが、法務・検察も行政組織の一部である以上、国民主権に基づく内閣の要請を拒否できるのか、という問題はある。
そもそも、法務・検察の人事構想では、林が次期検事総長であったが、黒川が元検事総長・担木敬一(昭和18年7月生)以来の法務省「大官房長」(約5年)という立場で官邸を支えたことからおかしくなった。つまり、官邸筋は検事総長の人事に口出し始めたのだ。要は、官邸側に立って考えると“使い易い"黒川検事、一方、黒川検事側に立って考えると、出世するために“政治家に媚を売る"という構図が見えくる。まさに人間社会の縮図と言える現状が今起きているのだ。
吾輩が問題にしたいのは、政治・権力に対する中立性の問題だ。つまり、異常なくらい誇り高い検事たちの「検察は政治から独立していなければならない。これが検察という組織の論理であり、法務省はそれを支える立場でなければならない」という正統派検事の立場だ。だからこそ、東京地検特捜部は田中角栄元首相という大物政治家を逮捕できたのだ。
要するに、誇り高い法務・検察の人事は、財務省などの官庁以上に、厳格な序列によって決まる。それを考えると、彼らがプライドを持って職務に励んでもらう意味からは、彼らなりの人事システムは尊重されるべきだ。さらに言うと、国会議員の代名詞である「選良」はもはや死語になっている中で、尊敬されない政治家が国のために働くという志を持った官僚の人事を行うことは、それ自体が問題とも言える。
いずれにしても、来年2月の検事総長人事に注目したい。