新刊の書名「安倍・菅政権VS検察庁ー暗闘のクロニクル」(著者=村山治〈元毎日・朝日両新聞記者〉、㈱文芸春秋)を読了したが、著者は法務・検察の調査報道では第一人者であるので、面白く読むことができた。しかしながら、法務・検察人事に関して、それなりの知識がないと理解できないので、ある面では専門的な内容である。
そのような内容であるが、著者は2020年前半、検察を揺るがした検事総長人事をめぐる混乱は、のちの検察史では「黒川・林騒動」と呼ばれるだろうといい、その本質を、
ー結局、今回の人事騒動の本質は、安倍政権の、安倍政権による、安倍政権のための人事劇であり、黒川(弘務、昭和32年2月生まれ)や林(真琴、昭和32年7月生まれ)、そして稲田(伸夫、昭和31年8月生まれ)や法務事務次官の辻(裕教)らも、それに振り回された「被害者」だったといえるのではないか。ー
と記している。その一方で、法務・検察の落ち度も指摘しているので、その部分を紹介する。
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第2節 法務省の失敗
〈検事総長候補を絞り込まなかった怠慢〉
従来、法務・検察は、政治の側による検事総長人事への介入を防ぐため、検事総長候補を早くから1人に絞り込み、官房人事課長ー法務省官房長ー刑事局長ー法務事務次官ー東京高検検事長という出世のゴールデンコースを歩ませることで「彼こそが検事総長候補のプリンス」と政官界を含む検察内外に周知してきた。
そうしておけば、いざ政権が、「プリンス」以外のお気に入りの検察幹部を検事総長にしたい、と考えても、要所の関係者から不自然な人事と受け取られるため、無理押ししにくくなる。もし、政権がその幹部を総長にしたいと希望を伝えてきても、法務省は「(絞り込んだ)彼しかいません。無理すると、大騒ぎになりますよ」といなせるのだ。
本来、林を検事総長にするのなら、2008年1月に林を人事課長に就任させたころから黒川と徐々に人事で差をつけるのが従来の手法だった。しかし、黒川の政界に対するロビーイング能力は図抜けており、当時の法務・検察首脳は、黒川を人事課長と「同格」の官房審議官に起用。予算や法案の根回しなどに縦横に使った。
先にも触れたが、10年に発覚した大阪地検特捜部の証拠改竄事件では、後処理と刑事手続き改革のため、松山地検検事正に出したばかりの黒川を、わずか2ヵ月で東京に呼び戻した。目先の懸案解決のため、黒川を便利使いしたのだ。
11年8月には、さらに黒川による政界ロビーイングを本格化させるため、普通は人事課長から地方の検事正を経て昇格するのがコースになっている法務省事務方ナンバー3の官房長に抜擢。黒川は以後16年9月まで5年以上も、その職にとどまった。5年も在職すれば「政界と近い」との風評が立つのは目に見えていた。
その間、林は、人事課長から最高検総務部長、仙台地検検事正を歴任。14年1月、法務省事務方ナンバー2の刑事局長に就任した。これは、法務・検察が、林を黒川より序列上位の刑事局長に据えることで検事総長の最右翼候補と考えていることを示すものだ。
しかし、政官界で黒川は実力官房長として名を馳せ、「法務省に黒川あり」と認知されていた。そのため、本来、格上ポストである刑事局長の林と格下の官房長の黒川が、法務・検察部内でも政界でも同格と見られるようになったのだ。
〈検察が見せた隙〉
これは、人事権を持つ政権に、検察のリーダーを「どっちにするか選んでください」といっているのに等しい。政権は、検察に対して人事権を行使できるめったにないチャンスと受け止めたのではないか。
2016年9月の法務事務次官人事は、法務・検察として、検事総長候補を林に絞り込む最後のチャンスだった。官邸側から「黒川で」と注文がついたとき、折衝に当たった法務事務次官の稲田は次官の職を賭して、要求をはねつけ、林の次官昇格を求めるべきだった。最初が肝心なのだ。そこで間違うと、どんどん押し込まれる。
当時の検察首脳らも、稲田から「官邸は1年後には間違いなく林を次官にする」との感触を伝えられて「なら、いいか」と納得するのではなく、「検察の総意」として「林で」と押し返すべきだった。そうしていれば、今回のような顛末にはいたらなかっただろう。
先にも触れたが、元検察首脳の証言では、稲田は19年暮れ、官邸の意を受けた事務次官の辻から、黒川に検事総長の椅子を譲るため20年1月中に勇退する人事構想を提案され、それに異議を唱えなかった。その構想は法相にも伝えられたという。つまり、稲田はその時点では、検事総長人事で官邸の意向を受け入れたということだ。
後継総長と考えてきた林は名古屋高検に飛ばされたうえ、官邸から「総長は黒川で」と厳しい注文がつき、稲田自身、孤立感を深めていたと思われる。その点では同情の余地はあるが、本来は、検察の総帥として、意に沿わない後継人事であれば明確に拒絶すべきだった。
その後の稲田は、辻らに勇退の「履行」を求められても、応じず、どうみても中途半端な黒川の次期総長含みの勤務延長に同意しつつ、自身の勇退は拒んだ。引くと見せては粘り、汚いやり方と批判されても粘った。まるでゲリラ戦である。
検察庁法改正案に対するオンラインデモ、黒川の想定外の辞職もあって結果的に、官邸の検察人事グリップの「野望」は砕かれた。「政権VS検察庁」の構図でいえば、その間、ゲリラ的戦い方で頑張った稲田が検察の「勝利」に貢献したと言えなくもない。
ただ、望むらくは、ゲリラではなく、正面から政治権力と戦ってほしかった。それが検事総長に国民が期待していることだと思うからだ。「政治介入」だと確信したなら、その事実を公表し、真摯に検察の立場を訴えれば、国民は検察側を支持したはずだ。
稲田が正面から戦っていれば、総長になりたくない黒川は政治の手先と見なされて悪者になることはなく、林も振り回されることはなかった。法務事務次官の辻も、官邸と稲田の間で右往左往し、法務・検察内外からリーダーシップに疑問符をつけられることもなかった。
ギリギリのところで、「検察の独立」は守られたが、法務・検察の威信は大きく傷ついた。
検察は、政治の側に隙を見せてはいけなかった。一連の騒動は法務・検察には苦い教訓となった。
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長年、法務・検察を取材してきたベテラン司法記者の解説には、納得する部分が多い。そして、最後の最後に著者は、次のように法務・検察を激励している。
ー検察人事の独立を守ることが、結果として、国民の利益につながることは、戦後の歴史が証明している。林を含めた検察首脳たちは、今回のような政治の人事介入を招く事態を二度と繰り返させないようにするために新たな「結界」の構築に取り組まねばならない。
これまで述べてきたように、その結界を成立させてきたのは、法律だけではない。検察に対する国民の信頼である。国民は、政治腐敗の摘発を検察に期待している。期待すればこそ、検察に対する政治の介入を掣肘する。検察が政治腐敗の摘発に消極的になれば、検察に対する国民の期待は薄れ、関心もなくなる。
国民の信頼を確かなものにする方法はある意味、簡単だ。政治腐敗を厳しく監視し権力犯罪を法と証拠に基づき積極的に摘発することである。特捜検察を強化して、アグレッシブに捜査に取り組めばいいのだー