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旧ソ連の原爆スパイ工作の実態

昨年11月、NHKスペシャル「盗まれた最高機密」という番組が放送された。非常に勉強になったので、姉妹品の新刊本「盗まれた最高機密ー原爆・スパイ戦の真実」(著者=山崎啓明・NHKディレクター)を購入したが、読了は最近になってしまった。

読了後、いろいろと考えてしまった。旧ソ連の原爆スパイ工作では、クラウス・フックスやローゼンバーク夫妻などが有名であるが、最も貢献度が高かったのは、セオドア・ホール(1925〜1999)であったという。ホールは、マンハッタン計画最年少の物理学者で、飛び級に飛び級を重ねて、18歳でハーバード大学を卒業後、軍にスカウトされてロスアラモス研究所に迎えられ、プルトニウム型原爆の開発に携わった。

ここで話しは少し横道に逸れて、原爆開発の経緯を紹介したい。先ずはイギリスで、発端は1940年2月1日に、バーミンガム大学の物理学者によってまとめられた「フリッシュ=パイエルスメモ」にあった。このメモでは、連鎖反応を起こすウラン235の必要量を極端に低く見積もるというミスを犯したことで、原爆開発が実現可能であるという印象を強めた。事実、イギリス政府は、核分裂の軍事利用について検討する最高機密委員会(モード委員会)を設け、2年以内に原爆の製造が可能になるという最終報告書をとりまとめて、時の首相・チャーチルに提出した。

マンハッタン計画のきっかけは、チャーチルがモード委員会の成果をアメリカに渡すと決断したことにある。それによってルーズベルトは重い腰を上げ、原爆開発を最優先課題に位置付けて、3年弱という超短期間での開発に成功した。

一方、ドイツと日本の原爆開発は、どうであったのか。先ずはドイツであるが、1942年6月に決定的な出来事が起こった。軍需大臣・シュペーアが、天才物理学者・ハイゼンベルクに「どのくらいの期間があれば、原爆が完成するか」と聞いたところ、天才は「開発には長い期間がかかる」と強調してしまった。もしも、半年か1年、または2年以内に必ず完成させると約束すれば、ナチスドイツが最初に原爆を完成させた可能性が大いにあった。

次ぎに日本である。1944年に首相、陸軍大臣、参謀総長を兼務した東条英機が、陸軍航空本部の幹部に「ウラン爆弾を知っているか。相当威力のある爆弾で、戦況にも大いに関係がある。とにかく作れ。予算も資材も優先して回せ」という命令を出した。その後、陸軍は理化学研究所仁科芳雄博士による「二号研究」、海軍は京都帝国大学を中心とした「F研究」と呼ばれる原爆開発計画が始動した。しかしながら日本の場合、ウラン鉱石の入手が最大の問題で、1945年3月25日には、560㌔のウラン鉱石を積んだUボート234号がキール軍港を出航している。しかし、この計画は航行中にナチスドイツが無条件降伏したことよって中止され、同乗していた友永中佐と庄司中佐は、遺書を残して艦内で服毒自殺した。

さて、旧ソ連が原爆実験に成功する上で、最大級の重要人物であったセオドア・ホールの話に戻す。ホールは、1944年10月23日、休暇の名目でニューヨークのマンハッタンに赴き、旧ソ連諜報機関のセルゲイ・クルナコフと面談した。その後、ホールはマンハッタン計画の最高機密を盗み出しては、旧ソ連の諜報機関に渡し続けた。1945年3月16日の報告書では、プルトニウム型原爆の起爆方法「爆縮」のメカニズムについて知った、旧ソ連の核開発を牽引したイーゴリ・クルチャートフが「爆縮が極めて興味深い方法であり、原理的に正しいことは疑問の余地がない」と手放しで賞賛している。

イギリスに持ち出された旧ソ連の諜報機関・KGBの機密文書には、ホールを「最重要の情報源」と位置付け、詳細なプロフィールやスパイとなった経緯がこと細かく記述されている。そして、本名が「セオドア・ホール」とはっきりと残っている。

戦後、ホールはFBIの追跡を振り切ったが、冷戦終了後にアメリカ政府の暗号解読プロジェクトの文書が公開され、ホールがスパイだったことが暴かれた。そして、晩年のホールは手記で、

「もしアメリカの核独占が破れれば、もっと世界は平和になるのではないだろか?唯一の核保有国であるアメリカは、超大国として突出した存在となり、保守反動化して手が着けられなくなるだろう」

「自分は、若き日の決断を恥じてはいない。核は世界に安定をもたらした」

と書き残して、74歳で亡くなった。著者は、戦後の米ソ関係を振り返る時、歴史の歩みが、わずか19歳の少年が描いたシナリオ通りに進んだことは、驚くべきことだ、と驚愕している。

最後の締めにしたい。それにしても、旧ソ連の原爆スパイ工作は、素晴らしい成果を残した。何せ、マンハッタン計画は、総額20億ドル、当時の日本の年間国家予算の35倍に相当するというが、その原爆開発をスパイ工作で完成(1949年8月)させてしまったのだ。そのため、戦後世界は、核兵器による「恐怖の中の平和」が保たれる状態になった。特に旧ソ連陣営が、共産圏という全体主義体制であったので、西側の人たちは、非常に不安な中での生活になった。そして現在は、核技術が次々と第三国に流出して、北朝鮮のような独裁国家まで核兵器を持ち、更にテロ組織まで核兵器を持たんとする時代になった。それを考えると、人類滅亡の悪夢とは言わないが、冷戦時代以上に空恐ろしい時代に突入した感じを受けるのだ。