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大関稀勢の里と地元紙「茨城新聞」

筆者は、2013年7月7日付けで「大関稀勢の里の綱取り」という題名で、文章を作成したが、その後も当然のごとく、稀勢の里の相撲には注目してきた。今場所の中日くらいか、友人に対して「稀勢の里は、今場所優勝するのではないか」と尋ねたところ、友人も感じていたようで、ともに「全勝か14勝の優勝であれば、横綱に推薦しても良いのではないか」との意見になった。そのため、14日目に横綱白鵬が負けて優勝の決まった夜に、一部メディアが“稀勢の里横綱推薦が決定"という報道には大変驚いた。つまり、白鵬との対戦を無視して、稀勢の里横綱昇進を決めたことに多少疑問を感じたからだ。だから、千秋楽に白鵬を破って、花を添えた時には、本当に嬉しくなった。

そして、茨城県では、稀勢の里の優勝を地元紙「茨城新聞」は、どのように報道しているかが知りたくなった。そこで、昨日と本日、利根川を渡って「茨城新聞」を購入してきた。当然のごとく、一面トップで、昨日は「稀勢の里 初優勝」、本日は「稀勢の里 横綱確実」という見出しであった。

茨城新聞を読んで、相撲好きの人にも読んで欲しい記事があった。そこで、本日付けの記事を紹介することにした。

<いばらき春秋>

嗚呼…。大相撲初場所の表彰式で賜杯を抱く稀勢の里をテレビで見ながら、結果的に稀勢の里に翻弄され続けた、県南地域での記者生活、運動部デスク生活を思い起こした。優勝のチャンスのたびに肩透かしを食らい、本欄でも叱咤激励し続けた。

一年前に本欄で、稀勢の里が母校の竜ヶ崎市立長山中学校を訪れたことに触れ、「努力することは大切だとという大前提で、稀勢の里は後輩たちにどんな『教訓』を残すだろう。『頑張ればいずれ花開く』『頑張っても報われない事もある』」と書いた。花は開いた。

先月は「一度賜杯を抱けば、綱への“電車道"が一気に開けるような気がする」と書いた。道は開けた。

優勝を決めた夜に筑西市内で出身大学の校友会があり、稀勢の里の話題で大いに盛り上がった。多くの県民が初優勝を待ち望んでいた。

好角家の中には慎重論もあるが、安定感ピカイチ。場所後の横綱昇進が確定的だ。ただし、綱を張ることはゴールではない。これから優勝を重ね、名横綱、大横綱になることが求められる。

来場所は地位にふさわしい成績を残して、昇進が上げ底でなかったことを証明しなければならない。そして、もっともっと花を咲かせ、県民に勇気と元気を与えてほしい。

<論説>ー角界背負う強さをー

…県民としてはやはり郷土力士としての期待が一層高まるだろう。武双山雅山などこれまでも実力者を輩出してきたが、残念ながら横綱には届かなかった。本県出身の横綱は江戸期の稲妻雷五郎(第7代横綱、現稲敷市出身)、明治・大正期の常陸山谷右衛門(第19代横綱水戸市出身)、昭和期の男女ノ川登三(第34代横綱、現つくば市出身)の3人。男女ノ川横綱を務めたのは1936年から42年までで、以来、本県出身の横綱は出ていない。

稀勢の里が大相撲界に身を置いて15年目となる。遅咲きでも大輪の花を咲かせることはできる。郷土が誇る一層の飛躍を願う。

このほか、社会面には、竜ヶ崎市役所に「祝優勝 稀勢の里 松葉小・長山中出身」と記された懸垂幕(縦約7㍍、横約80㌢)が飾られたという。読んでいくと、「懸垂幕は、2013年5月の夏場所稀勢の里関が横綱白鵬関と優勝争いを繰り広げた際に作ったが、その時は残念ながら飾る機会がなかった。それ以来、庁舎内の倉庫に保管されており、4年越しでのお披露目となった」という。本当に、使用出来て良かったと思った。

どうですか。茨城県民の興奮度や期待度が伝わりましたか。うーん、あなたの興奮度が伝わってきた。これは、失礼しました(笑)。