元横綱・双羽黒こと北尾の壮絶な死について

今週、地元の図書館で、1週間前に発売された週刊誌「サンデー毎日」(7・21)を見たところ、元横綱双羽黒こと北尾の死亡に関する記事が掲載されていた。吾輩は以前(平成25年7月7日と同30年1月5日)に書いた通り、当時19歳の北尾と二次会まで飲酒した経験があるので、当然のように目が止まった。そこで、まずはこの記事を紹介する。

第151回 重度の糖尿病で亡くなった北尾の最後の二年間の映像が流れたー坪内祐三(1958年生)ー

私は時々北尾のことを思い出す(彼の四股名双羽黒だが北尾の方が私にとってなじみだ)。

大相撲の大ファンである私は両国で場所がある時、四回は足を運び、そのあと一度いや時には二度、駅のすぐ近くにあるビルの一・二階にある居酒屋に顔を出す。

実はそのスペースは北尾の所属していた立浪部屋があった場所だ。

酒を飲みながら、私は、そうかこの場所で昭和六十二年の年末、北尾が、こんなまずいチャンコが食べられるか、という捨て台詞を残して部屋を飛び出したのかと思った。

北尾に対してのイメージは世間並みだった私がオヤッと思ったことがある。

北尾は付け人イジメが激しく、六名が集団脱走したこともあると報じられていた。

ところがあれは十五〜十六年前だろうか。北尾がアドバイザーとして立浪部屋を手伝うようになった。

しかもその道を引いてくれたのがその部屋の世話人でかつて脱走した羽黒海だというので驚いた。別のアングルがあるのではないか。

北尾の死が報じられた直後の五月場所初日、NHKの相撲中継で、正面解説の北の富士勝昭が、彼が現役時代よく私の部屋(九重部屋)にも出稽古にやって来て、そのあとでチャンコを一緒に食べている時、うまいうまい、この部屋のチャンコは本当においしいですね、と言ったのをよく憶えている、と語っていた。

となると、かつての立浪部屋のチャンコのまずさがリアリティーを帯びてくる。

その北尾が倒れて死に至るまでの映像が六月二十八日七時からの『爆報! THEフライデー』スペシャルで放映された。

凄いものを見た。

北尾の死は糖尿病によるものだと報じられたから、私は彼が暴飲暴食していたのだろうと思っていた。

しかし、少し違っていた。

ある日ベランダで日曜大工をしていた時、右足首をケガする。そのケガが広がり、腐敗し始め、キズをおっていない左足首も同じ症状になる。

引退後の暴飲暴食により糖尿病となり、いつの間にかそれが悪化していたのだ。

発症から三年後の写真が残されているが、北尾とはまったくわからないほど激変していた。

このあとがさらに凄い。

亡くなる二年前、北尾は妻に、「今のうちに俺を撮っておけよ」、「自分は骨にならないと家に戻れない」という言葉をかける。

そして亡くなる二年二カ月前、つまり二〇一六年十二月からの映像が流れる。その映像の中で北尾は、「愛している」、「死んでも愛している」と妻に呼びかける。しかしだんだん衰え、死の二カ月前には言葉を、そして三週間前には視力を失う。思わず涙が出た。

とは言うものの、北尾は良い妻と出会えて幸福な人生を送れたと思う。

この記事を読んで、引退後に暴飲暴食により糖尿病を患い、こんな壮絶な闘病生活を経た後に亡くなったのか、と思った。そして、改めて双羽黒の早すぎる引退を惜しんだ。というのは、双羽黒(昭和38年生)は、元横綱千代の富士(昭和30年生)と元横綱貴乃花(昭和47年生)との狭間の横綱で、まさに両主役の橋渡し世代であるからだ。つまり、大相撲界を追放されなければ、双方の世代を代表する大横綱との“大一番"を、何番もテレビ観戦できたのだ。特に、貴乃花との“世代交代"の相撲は、歴史に残る好勝負であった可能性が高い。それを考えると、再び双羽黒のような横綱を出してはならないと固く思うのだ。

そこで、考えて欲しいことがある。それは、一般のスポーツ指導者は、それなりの教育を受けたり、資格を取ったり、最新医学の勉強をしたり、さらに“人間性"も多くの人たちにさらしている。ところが大相撲の指導者である親方は、依然としてただ単なる元幕内力士が、何の教育も受けず、何の資格も得ず、自分の相撲体験だけで指導している。こんな実態は、他のスポーツでは、考えられないことだ。ましてや、中学生時代を振り返った時に“劣等生"“悪さぶり"を誇るような親方に、果たして“人間指導"ができるのか、と考えるのだ。だから、今でも師匠に値しない“部屋持ち親方"が存在する感じを受けており、再び同じような事件が起きるのではないかと危惧している。

双羽黒の立浪親方(元関脇・安念山〈後に二代目・羽黒山〉)は、親方(元横綱羽黒山)の娘婿として立浪部屋を継いだ人物だ。吾輩も相撲好きであるので、安念山(昭和9年生、北海道下川町出身、昭和40年3月引退)の引退間近の相撲をテレビ観戦した記憶があるが、人間的には“神経質な人物"という印象を受けている。定年退職後、長女と結婚した娘婿の親方(元旭豊)に部屋を継承させたが、カネ(1億7500万円)を巡って裁判沙汰になり、最終的には最高裁での上告も棄却された。つまり、今では“親方失格"という見方をしている人が多いようだ。だからこそ、北尾が“気の毒"で仕方がないのだ。

もう一度話しを戻すが、育ての親ということで、親方と力士との関係が悪化した場合、力士だけを一方的に「廃業」にするべきではない。もう、二度と双羽黒のような逸材を、大相撲界から追放する事態は避けなければならない。その場合には、日本相撲協会が一時的に身元を引き受け、転籍先を探すべきだ。今から考えると、立浪親方を“親方失格"として、立浪部屋の方を消滅させるべきであったと思っている。

そうだ、北尾と一緒に撮った写真があることを思い出した。さっそく探して見たら、2枚あった。1枚は一次会で4人が写っている写真、2枚目は2人だけの写真である。2年後に上梓する予定の4冊目には、2人だけの写真を掲載するべきか、今から悩んでいる。

最後は北尾に合掌である。