佐々淳行の4人の政治家に対する評価

最近、吾輩の好きな警察官僚・佐々淳行の著書「私を通りすぎた政治家たち」(2014年8月30日第1刷)を古本屋で購入した。読んでみると、吾輩と同じような“国家観"や“価値観"で、ますます好きになった。いやいや、貴重な経験談を聞かせてもらい、大変勉強になった。

さて、本書の中身は、多くの国内外政治家の批評であるが、初めて聞く話しが多かった。そこで、特に印象に残った政治家4人の批評を紹介することにした。

1.元内閣総理大臣田中角栄(1918年〜93年)

田中角栄は尊敬できない〉

部下の心を掴む人心収攬や、自分の決定を遂行する行政手腕において、田中角栄氏は第一級の内閣総理大臣だと思う。優れたリーダーであり、日本を経済的に盛り上げたことは間違いない。だだ、何ともノーブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)がないのである。

だから私は、田中氏をまったく尊敬していない。〜

警察庁で私と同期のK氏が総理秘書官になったのだが、彼は大きなアタッシュケースを常時持っていた。前任者からの申し送りだという。

前任者はたいへん優れた役人だったのだが、田中総理の秘書官になってねじ曲がってしまった。金銭的に汚くなって、ある地方の本部長のとき、汚職をしただのパチンコ屋や風俗営業から餞別をもらっただので地検に呼ばれる騒ぎになり、自殺してしまったのである。

そんな前任者からの申し送りを受けたというアタッシュケースがすごかった。

当時の役人は書類などを持ち運ぶのに風呂敷を使っていた時代である。普通、アタッシュケースは薄くてスマート、一流の商社マンが海外出張などで颯爽と持ち歩くイメージだが、彼が持っているのは違う。上がバチャンと開く大型のものだった。もちろん現金を入れやすいからだ。

100万円から5万円くらいが入ったいくつもの封筒が収納してあって、田中氏の指一本で金額が決まるのだそうだ。何かサインがあるらしく「この相手には100万出せ」と指示があると、バチャッと開けて100万円入りの封筒がでる。小者なら10万円とか、もっと少ない金額かもしれないが、領収書もなしにそんな単位のお金を配っていたのである。

2.元自民党民主党衆議院議員の石井一(1936年〜)

〈似非政治家の代表例、石井一〉

国を滅ぼす愛国心のない似非政治家、あるいは利益や享楽を追いかけるポリティシャン、そうしたおよそ尊敬できない人士の中で、つい最近まで現役だったのが民主党の石井一氏だ。

私がまず腹にすえかねたのは、警視庁警備局で外事課長だったときのこと。日本で最初のハイジャック、「よど号乗っ取り事件」(1970年3月)から3年ほど過ぎたころだ。

ある日、自民党訪朝団の一員として北朝鮮に行ってきたという石井氏(当時は自民党)がアポを取ってやってきた。何ごとかと応対すると、平壌よど号事件の犯人たちに会ってきたのだという。「彼らは望郷の念に駆られておる。日本の警察が、もう彼らを逮捕しないと約束をすれば、帰ってきてもいいと言っている。一生を棒に振らせるのはかわいそうじゃないか。事件の捜査担当官は警察庁外事課長だと聞いてやってきた。君が『逮捕しない』と約束するなら、私が連れてかえってくる」というのである。

私はしばし唖然としてから言った。

「失礼ですけど、あなたは国会議員で特別職公務員、しかも政権政党自民党衆議院議員でしょう。それなのに国の治安機関が、インターポールを通じて国際指名手配をしているのを、取り消せとおっしゃるのですか。外事課長の私が『逮捕しない』などと約束することはできません。あなたが国会議員であってこの問題を片づけたいと思うなら、なぜ彼らに『私が付き添っていくから警視庁に出頭しょう』と言わないんですか」

そう答えたら石井氏は激怒して血相を変えて、

「血も涙もない警察官僚め!」と罵って出ていった。白昼、本当にそう言ったのだ。〜

日朝関係に力を入れてみたり、日中友好に乗ったりとおかしい。やはり政治屋の代表的な人物だと思う。ところが、2014年(平成26年)の春の叙勲では、なんと勲一等まで授与された。呆然とするしかない。

3.元防衛庁長官加藤紘一(1939年〜2016年)

加藤紘一における人間の研究〉

彼は1960年(昭和35年)の第一次安保のとき、国会に突入してきた全学連の指導者である。私はその頃、国会を警備する側で、国会議事堂の南通用門にいて、投石を浴びていた。

デモ隊は国会に突入をしたものの、はて、何にもすることないというので、加藤氏はお父さん(衆議院議員加藤精三氏)の控室に行ったという。〜

加藤氏の初入閣は防衛庁長官だった。1984年(昭和59年)12月、中曽根内閣のときだ。〜

加藤長官は、最初の参事官会議のときだったと思うが、その場で、

「若いころマルクスレーニンにかぶれないのは頭が悪い人です。それから60を超えてもまだマルクスレーニンという人はもっと頭の悪い人です」という発言をした。参事官会議といえば、統幕議長ほか、制服組トップも参加する防衛庁の最上級会議である。

当時、防衛施設庁長官だった私も出席していたが、そのころの統幕議長、陸海空幕長といった制服組はみんな陸軍士官学校海軍兵学校出身者である。背広組であっても、たとえば官房長だった西廣整輝氏のように、命からがら、戦後、朝鮮から逃れてきた反ソ反共の人たちが揃っている。若いころマルクスレーニンにかぶれた人間などいるわけもない。

米ソ東西冷戦のさなか、命をかけて国民と国土を守ろう、自由主義、民主主義を守ろうと覚悟している防衛庁自衛隊の幹部に向かって言うセリフではない。

会議の後、みんなで「私たちは若いころに頭が悪かったんですな」「彼にとっては問題外の外なんでしょうな」と顔を見合わせた。頭がいい悪いという問題と違うだろうという制服組の怒りは至極もっともであった。それこそ、マックス・ウェーバーが口喧しく諫めた「認識と価値判断の混同」である。〜

年が明けてすぐ、彼は陸上自衛隊習志野駐屯地第一空挺団の恒例の「降下初め」に列席した。

第一空挺団陸上自衛隊の最精鋭部隊で、毎年1月上旬に行われる「降下初め」では、大型ヘリコプターCH-47やC-1輸送機から空挺隊員が次々と落下傘降下したり、陸空での模擬戦が行われたりする。さらには上半身裸になった隊員が、防衛庁長官を担いで練り歩くのが恒例になっている。

加藤氏、庁舎に帰ってきてどんな感想を漏らすかと思っていたら、

「カルチャーショックだよ。日本にもまだあんな野蛮なのがいたんですか」

と開口一番、宣うたのである。有事にあっては、命をかけて適地に果敢に降下する精鋭たちである。厳しい訓練に明け暮れ、いざというときには死ぬ覚悟の隊員たちに囲まれたときの感想が「野蛮人」だの「カルチャーショック」だのと、防衛庁長官たるものが口にする言葉ではない。〜

私たちは、彼に「富士山」というニックネームをつけていた。富士山は遠く離れて見ると、白雪を頂いた山頂と青く秀麗に心を奪われる霊峰で非常に美しい。しかし近くへ行ってみるとゴロタ石とゴミばかりが目立つ。すなわち、近づけば近づくほど政治家として欠陥が顕わになる人物、それが加藤紘一氏だった。

ステーツマンとしてはまったく失格だと思っている。

4.元自民党民主党衆議院議員小沢一郎(1942年〜)

〈国際派を自認する小沢一郎の驚くべき非常識〉

付言すれば、彼は異常なくらい官僚嫌いで、官僚を敵視していた。

霞ヶ関・永田町界隈では彼が官僚を敵視した理由について、慶応大学を卒業して、日大大学院へ進んで司法試験を目指し2回不合格になったという経歴から、「司法試験の落第生で、検事にも裁判官にも官僚にもなり損ねたからだ」と、半ば公然と囁かれていた。

たしかに見た目にも体質的にも慶応ボーイではない。旧自民党体質を持った田舎金権政治家の後継者、派閥政治家の代表の一人だったし、その後もそうあり続けたのである。到底、国益を想う政治家(ステーツマン)と呼べる存在ではなかった。

以上、有力な政治家4人を取り上げたが、いずれも真っ当な人物評である。田中氏のカネに関しては、評論家・立花隆も同じように批判しているので、別段驚く内容ではない。それよりも、警察庁のエリート官僚「総理秘書官」が、こんな“仕事"を担っていたことには驚いた。これでは、警察官僚も形無しだ!

石井氏に関しては、北朝鮮朝鮮総聯の応援者で、態度がデカく“生意気"という印象しか残っていない。つまり、確固とした政治理念がないから、ふらふらした政治行動に至るのだ。

小沢氏に関しては、本書に書かれている通りで、官僚制度を知っている者にとっては常識の範疇である。それにしても、期待が大きかっただけに、“権力とカネ"を掌中に置くことだけを目的にした政治家人生には、多くの国民ががっかりしていると思う。

さて、かつては「宏池会のプリンス」と呼ばれた加藤氏については、4人の中で最も多い15ページも割いている。その意味では、加藤氏には相当わだかまりがあるようで、その理由は本人の人事に関係がある。つまり、多くの人たちが「防衛施設庁長官の次は防衛庁事務次官だ」と言っていたが、当時の防衛庁長官・加藤によって退官に追い込まれたからだ。

吾輩は以前から、佐々氏がなぜ故に、中途半端な防衛施設庁長官で退官したのかと疑問に思っていた。その疑問が溶解した。あるエピソードを紹介すると、かつて香港領事館で加藤氏が部下だったということで、防衛関係者の意向を受けて、加藤長官に私用を諫めたところ、相当“激怒"したという。

最後は、政治家と政治屋の違いを説明してもらう。

ー日本語では、ポリティシャンを「政治屋」、ステーツマンは「政治家」と区別しているが、その違いはどこにあるのだろうか。

私の定義する政治家、ステーツマンとは、権力に付随する責任を自覚している人。権力に付随する利益や享楽を追い求めてしまう人は政治屋、ポリティシャンと呼ぶことにしている。

ニーチェは『ツァラトゥストラはかく語りき』でいみじくも「権力意思の持ち主」と「権力欲の持ち主」という表現をしている。権力意思(ヴィレ・ツァ・マハト)とは、強烈な責任感を持って、公益・国益のために身を挺して実行すること。これをニーチェは超人(イヴァメンシュツ)と呼んでいる。

それが本当の政治家であって、権力に付随する利益や享楽を追い求める者は権力欲の持ち主に過ぎないのだ。我々が望む、あらまほしき首相、政治リーダーとは、権力意志を持っている人物でなくてはならない。

これが私の政治家観の根底にある。ー

勉強になる解説であるが、現在の政治家たちについては、次のように記している。

テロリズムが跋扈した凄まじい昭和の時代、国士もいたし、本当の政治家がいた。保守派の政治家にも井戸塀政治家が多かった。先の牧野伸顕氏(吉田茂の岳父)など、係累を書き記せばきらびやかだが、死後に財産と呼べるものはほとんど残っていなかったという。

しかし敗戦後、そうしたステーツマンは顕著に減って、権力欲剥き出しの人間、地位や権力を利用して蓄財に励むような、さもしい人間が蔓延るようになった。これははっきり言ってよいと思う。ー

そろそろ締めたい。本書の後書きで、著者は「これが私の最後の著作となるかもしれないが〜」と記しているが、本当にそうなった。なぜなら、著者は昨年10月10日に亡くなったからである。それを考えると、この本は佐々淳行の“遺言"のように思えてならない。そう言えば、8月2日にも佐藤勝巳氏の“遺言"と思えてならない著書を紹介したが、共に昭和ヒトケタ生まれである。貴重な人材がどんどん亡くなっていることを考えると、吾輩の“行為"は意味があるものと考える。