書評「コミンテルンの謀略と日本の敗北」

最近、新刊本「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」(著者=江崎道朗、PHP新書)を読了した。著者の狙いは、ソ連コミンテルン(共産主義インターナショナル)が世界各国に「工作員」を送り込み、それぞれの国のマスコミや対外政策に大きな影響を与えたことを証明することだと考える。

例えば、第二次世界大戦前、アメリカの世論を反日親中に誘導した在米のロビー団体、国民運動団体の多くが、コミンテルンの「工作員」たちによって操れていた。また、日本に対し経済制裁を主張し、対米開戦のきっかけとなった「ハル・ノート」の原案を作成(財務省高官のハリー・ホワイト)したのも、ソ連北方領土などを明け渡すことを決定した「ヤルタ会談」に大きく関与したのも、みな、ルーズヴェルト民主党政権内部にいた、コミンテルンの「工作員」だった。このため、現在のアメリカでは、反共保守派のあいだでは、コミンテルンの「謀略」を前提に、ルーズヴェルト民主党政権旧ソ連の戦争責任を追及する声が高まってきている。そのような背景にして、共和党ドナルド・トランプ現大統領が当選したというのだ。

先ず最初に、コミンテルンの対日浸透工作を許してしまう土壌が、戦前の日本にあったことを紹介したい。

明治以降、日本は「エリートの日本」と「庶民の日本」の二つの世界があり、断然していた。庶民と異なり、エリートの多くは、自国の伝統を軽んじることを教えられ、精神的な空洞の中に追い込まれていた。富国強兵という名の近代化の背後で進行していた、エリートの「祖国・伝統喪失」状況を知らなければ、戦前の日本のことは理解できない。

しかも「祖国・伝統喪失」状況に置かれた「エリート」たちは大正時代以降、主として次の三つのグループに細分化していた。

第一は、世界恐慌を背景に「資本主義はもうダメだ」という不信感に基づいて、社会主義にのめり込んだ「左翼全体主義」グループだ。昭和初期以降、このグループがソ連コミンテルンの「秘密工作」に呼応するようになっていく。

第二は、同じく資本主義と議会制民主主義を批判し、内心では社会主義に共感しながらも、「左翼」を弾圧し、「官僚独裁」政治にすることが戦争遂行のために必要であり、国体を守ることだと信じた「右翼全体主義」のグループだ。いわゆる五・一五事件から二・ニ六事件、そして大政翼賛会に至る動きを主導したのが、このグループだ。

そして第三は、聖徳太子以来の政治的伝統を独学で学ぶ中で、不完全であっても資本主義、議会制民主主義を尊重し、統制経済に反対し、コミンテルンの「対日工作」に警戒心を抱き、皇室のもとで秩序ある自由を守ろうとした「保守自由主義」のグループだ。この「保守自由主義」シンボルは、小田村寅二郎グループだ。

上記の文章でも触れているが、当時の日本の現状を知らないと、コミンテルンの対日浸透工作の実態を理解出来ないと考え、多少長くなったが抜粋した。

そんな中、1941年(昭和16年)10月、コミンテルンのスパイだったリヒャルト・ゾルゲと、時の近衛内閣のブレーンだった尾崎秀実を中心とするグループがスパイ活動で逮捕されるという「ゾルゲ事件」が起きた。尾崎は、支那事変勃発直前の1937年4月に「昭和研究会」(主なメンバーは、蝋山政道、佐々弘雄、平貞蔵、風見章、有沢広巳、大河内一男賀屋興宣、後藤隆之介、三木清笠信太郎、尾崎秀実、和田耕作、大西齋、堀江邑一、橘樸(しらき)、大山岩雄、溝口岩夫、増田豊彦、牛場友彦)に参加し、同年6月に第一次近衛内閣が発足すると「支那問題研究部会長」、さらに翌38年7月からは内閣嘱託として、首相官邸内に部屋を持って執務するようになる。その中で、外務省や陸軍による度重なる和平交渉とは裏腹に、尾崎はコミンテルンのスパイが戦争を長期化すべく、戦線拡大一辺倒の主張を行った。それはまさしく、共産主義者として、コミンテルン第六回大会(28年2月)で提示した、自国政府の敗北を促し、「帝国主義」戦争を「内乱」へと転換させ、混乱を通じてプロレタリア革命を目指す「敗北革命」路線を受け入れた証拠である。いずれにせよ、尾崎が戦争の長期化に大きな役割を果たしたのは、否定しようのない事実である。

ちなみに、アメリカのエドガー・フーヴァーFBI長官は、共産主義運動に関与する人物を、次の5つに分類している。

1、公然の党員=共産党に所属していることを世間に公にして活動している者を指す。

2、非公然の党員=共産主義を信奉していることや共産党に所属していることを隠し、公然の党員とも接触せず、共産党の極秘活動に従事する党員のことである。

3、フェロートラベラース(同伴者)=共産党に所属していないが自発的に共産党を支援する人。

4、オポチュニスト(機会主義者)=利益が目的で共産党に協力する人。

5、デュープス(騙されやすい人)=共産党やその関連組織の宣伝(「平和を守れ」「弱者を救え」など)に情緒的に共感して、知らず知らずのうちに共産党に利用される人を意味する。

まさに、尾崎は典型的な(3)のフェロートラベラースに該当する人物であった。

次に、ゾルゲの諜報活動であるが、大きな成果が二つある。一つは1941年の、独ソ戦勃発が近いという情報、もう一つは同年7月と9月の御前会議で“南進論"の方針が決まったという情報である。この情報によって、極東ソ連軍20個師団を移動させ対独戦争に投入することができた。つまり、尾崎の情報があったからこそ、ソ連は対独戦に勝利できたのである。これが、ゾルゲが64年に「大祖国戦争勝利の英雄」に祭り上げられる最大の根拠になった。

こうした時代の中で、「右翼全体主義者」の動きに「左翼全体主義者」がつけこんで、大政翼賛会などを作り、議会制民主主義と資本主義を敵視する者たちと戦った「保守自由主義」の流れの人々がいた。名前を挙げると、福沢諭吉犬養毅吉野作造、佐々木惣一、美濃部達吉、小田村寅二郎(吉田松陰の姻戚)、山本勝市、田所広泰などである。特に、小田村は、日本と中国が反資本主義の「国家的連合」を目指すべきだとする“東亜協同体論"が台頭してきた時、この議論の背後には、どう考えても共産主義者社会主義者がいると見た。つまり、スパイ事件の「ゾルゲ事件」を予見していたという。しかしながら、大日本帝国は“自滅"というような形で敗北した。

最後に、共産党に関する部分を紹介する。どこの国でも共産党は「民主主義を守れ」と叫んでいるが、共産党の指令塔であるコミンテルンは初期段階から、この議会制民主主義を破壊することを目的に掲げている。議会とは「資本家による労働者支配の道具」に他ならないからである。よってアメリカやドイツのように「民主主義を守るために」共産党だけ結党を禁じている。その意味では、我が国は共産主義者にとって“優しい国"と言える。

最後は、1997年に、フランスで「共産主義黒書<ソ連篇>)が出版されたが、その中に共産主義体制による犠牲者数が掲載されている。

ソ連…死者2000万

○中国…死者6500万

○ヴェトナム…死者100万

北朝鮮…死者200万

カンボジア…死者200万

○東欧…死者100万

ラテンアメリカ…死者15万

○アフリカ…死者170万

アフガニスタン…死者150万

など、総計で1億人近くが共産主義体制によって犠牲になったと見積もっている。

要するに、これだけ犠牲者を出した“主義主張"にも関わらず、依然として東アジアに、日本共産党中国共産党朝鮮労働党という共産主義者の“有力党"が生き残っている。我々は、この現状をどのように考えたら良いのか?人間とは、この程度の生き物なのかと、愕然とするのだ。

高英姫とその娘・与正のスウェーデン旅行を報道した産経新聞

北朝鮮朝鮮労働党は7日、金正恩党委員長らが出席して中央委員会総会を開催した。その際、正恩の妹で党宣伝扇動副部長とされる金与正(キム・ヨジョン)が党政治局候補に選ばれた。

すぐさま、コリア・レポート編集長の辺真一氏は、ネットに「金正恩委員長が実妹を『影のNo.2』に抜擢した理由」という文章を掲載した。その中に、筆者が驚いた一文があった。

与正氏は幼い頃から母親に連れられ外国に旅行しているが、1991年5月には兄ともども来日し、ディズニーランドで遊んでいたことが確認されている。翌年の1992年にも7月20日から8月7日まで母親と一緒にスウェーデンでバカンスを過ごしたことも確認されている。当時、産経新聞スウェーデンで買い物している母子の写真を載せ「金日成主席の愛人とその子」ではないかと「スクープ」したが、実際には金総書記の夫人(高英姫)とその娘(与正氏)であった。

驚いたのは、当時の「産経新聞」(1992年8月9日付け、前田徹)を思い出したからだ。その時の「産経新聞」は切り抜いて手元にあり、長年“あの女性は誰なのか"“女の子は誰の子供なのか"と考えてきた。その女性が、金総書記の妻・高英姫(コ・ヨンヒ)とその娘・与正であるというのだから驚いたのだ。

その時の「産経新聞」の報道内容を一部紹介しよう。先ずは、写真であるが、1面にホテルから出た高英姫と与正、老女と男性(通訳兼ボディーガード)4人のカラー写真、社会面ではシュッピング街で買い物をする高英姫と男性通訳の白黒写真である。

記事の内容を紹介すると、

北朝鮮の指導者、金日成主席(80)の“隠された妻"と、二人の間に生まれたとされる5歳の女の子らの一行6人が、避暑客でにぎわう北欧の豪華ホテルに逗留していた。ドイツ及びスウェーデンなどの情報筋によると、金主席の愛人にあたる女性は「金松竹(キム・ソンジュク)」という30歳になる元ダンサー。金主席の子供を身ごもり、北朝鮮当局の手厚い配慮のもとに1987年5月、オーストリアのウィーンの病院で出産した。子供は女の子で「ペクヨン」と名付けられた。

産経新聞の調べによると、金松竹・ペクヨン母子は7月20日ごろ、「金ジョンス」という59歳になる祖母と3人の警護員とともにスウェーデンを訪れ、ストックホルムシェラトンホテルに泊まった。滞在中、イエーテボリなどの観光地を旅行した後、8月5日にストックホルムに戻り、7日にホテルをチェックアウトし、午後4時45分発の中国民航912便で北京経由で帰国した。

○ソンジュクさんはかつて舞踊家だったというだけあって、身長160㌢以上はあるスラリとした美人だ。室内でもサングラスをはずさない。

○ペクヨンちゃんは目がくりくりとして、母親よりもむしろ“父親似"の女の子。黒白の水玉模様のタイツにブルーのスエットシャツ姿。活発で、いつもワニの縫いぐるみを抱え、ロビーを走り回ろうとするため、二人のボディーガードはいさめるのに大変な様子。

○帰国の際には、ホテルからタクシー3台に分乗したが、そのうち1台は段ボール5個、大型旅行カバン8個という荷物の山を乗せている。大半は電化製品や衣類のようだ。食料品も含まれている。この大量の買い物の結果、空港でチェックインするのにゆうに30分以上はかかった。

以上が報道内容であるが、まさか高英姫一行の記事とは考えてもいなかった。確かに、よく写真を見ると、高英姫のような感じを受けるが…。

このほか、スウェーデン警察の監視活動の様子も書かれている。警備当局十数人は、旅行者姿に変装して、ロビーのあちこちで談笑していたが、高英姫一行が出掛けると、男5、6人がすぐにその後を追尾した。よく見ると無線機を隠し持っており、木陰で連絡を取りながら一行を囲むように歩いていた。

スウェーデンは北欧諸国であるが、昔から北朝鮮関係者の動向把握には努めてきた。つまり、北欧諸国であるので“平和主義国家"というイメージがあるが、日本の旧社会党朝日新聞のような、ただただ「憲法を守れ」というだけの“平和主義国家"ではない。昔から自由主義陣営の一角として、やることは、最低限やる国家なのである。

それにしても、産経新聞は大した新聞だ。昔は、裏付けの取れない記事を掲載したことで、他の新聞から軽く見られていた面がある。しかしながら、今から思い返すと、1980年1月7日付けの産経新聞が「アベック3組ナゾの蒸発」という見出しで、拉致の存在を初めて報じるなど、これまで“北朝鮮報道をリード"してきたと思う。今回紹介した記事も、今から振り返ると、それなりに価値がある記事と考えるのだ。

改めて新幹線札幌駅のホーム問題

昨年4月に、「あきれた札幌駅新幹線ホーム問題」という文章を作成した。その後の一年半、ますますあきれた動きを示しているので、時間を追って紹介したい。

先ずは、北海道新幹線の札幌駅ホームをめぐっては、今の札幌駅の1、2番線に新幹線が乗り入れる案と、駅の東側に新たなホームを造る案の2つの案があり、建設主体の「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」(鉄道・運輸機構)とJR北海道が検討してきた。しかし、1、2番線への乗り入れ案は、在来線の運行への影響を抑えるための追加工事が長期化することと、また、東側にホームを造る案はJRタワーなどの施設の改修費用が膨らむことなど、工期やコスト面で課題が多いとことで最終的な結論は出なかった。

こうした中、当初、小樽市から札幌市街地区間については、手稲トンネル(1万8750㍍)を出た後は発寒駅付近から札幌駅まで函館本線沿いに新幹線の高架線(約8・4キロ)を造る計画であった。ところが、鉄道・運輸機構は6月30日、上記の高架線区間をトンネルに計画を変更して、トンネルの出入口を桑園駅付近に移し、名称も「手稲トンネル」から「札樽トンネル」(2万6230㍍)に変わることを発表した。その結果、札樽トンネルの出入口から札幌駅までは、約1キロの高架線区間になった。

ところがである、新幹線札幌駅のホーム位置問題でゴタゴタしている間に、今度は「札樽トンネル」をそのまま札幌駅の地下まで延伸する案が急浮上してきた。それも、ビルや商業施設の基礎部分などがなく、工事が比較的容易ということで、駅南側の「北5条・手稲通」の地下周辺が浮上してきた。もしも、この案で建設すると、小樽市朝里川温泉付近から「札樽トンネル」に入ると、札幌駅まで一度も地上に出ることなく到着する。

我が輩は、ネットでこの案を知った時、二つの不満・不安を感じた。一つは、これで札幌から旭川や帯広・釧路へのミニ新幹線(標準軌改築)の夢が消えたことである。その理由は、地下の新幹線札幌駅から地上の在来線に出るために、新たに苗穂駅付近までトンネルを造らなけならない。この建設計画が浮上するのは、札幌駅開業後の20〜30年後になるが、その時には建設費の“何百億円"は誰が負担するのかという問題にぶつかる。

もう一つは、テロ事件などで車両が炎上した時の対処だ。何せ、JR北海道では最近、特急列車がトンネル内で火災事件を起こしたという前例がある。そのような状況下で、地下の札幌駅から新幹線車両が地上に出るためには、遠く約27キロ先のトンネル出口まで行かなければならない。こんなことで、車両火災などに対処できるのか?

確かに、国内には千歳空港駅や成田空港駅、さらには建設中のリニア中央新幹線の品川駅や名古屋駅が、地下の終着駅になる。しかしながら、これらの駅は、都市化や地形のために地下駅にしたのであって、ある面致し方ない。だが、新幹線札幌駅の場合には、鉄道関係者の先見性や無計画が、このような事態に陥ったのだ。それを考えると、もしも将来、新幹線札幌駅で人命が失われるような事態になれば、世間は“人災"と見るであろう。

ここに至っては、この文章があと20〜30年後、先見性のある文章ということで、脚光を浴びることがないことを願うだけである。

「毎月分配型」投信の実態を知っていますか

以前から薄々感じていたことであるが、これほど「毎月分配型」投信が酷い商品とは知らなかった。先ずは、最近発売の週刊誌「週刊ダイヤモンド」(9月23日号)の記事から紹介する。

<森長官の逆鱗に触れて撃沈ー資金流出に転じた毎月分配型>

運用収益の一部を毎月受け取れる「毎月分配型」投信。20年前に日本に登場して以降、毎月お金が振り込まれる安心感や生活費への充当など退職者たちのニーズに合致したことで、絶大な人気を誇ってきた。

だがその実態は、純資産から分配金を取り崩しているだけの「たこ足」状態のファンドばかりで、資産形成には不向きな投信だ。にもかかわらず、金融機関のもうけが大きく、売れ筋のテーマを冠した毎月分配型投信が続々と投入されてきた。

そんな毎月分配型偏重の販売姿勢にメスを入れたのが、森信親・金融庁長官だ。森長官が「顧客本位」の姿勢を求め、毎月分配型投信がやり玉に挙げられとみた各社は一斉に販売を自粛。下図(10年下期から17年上期の棒グラフ)のように、半期ごとの資金流出入を見ると、直近の1〜6月(上期)は2010年以降で初の流出に転じることとなった。

毎月分配型が長期の資産形成に不向きなのは確かだが、ファイナンシャルリサーチの深野康彦代表は「年金は偶数月しか入ってこないため、高齢者がストレスなく資産を取り崩す仕組みを買う商品としては有用」と説く。かつての不健全なブームが過ぎ去った今こそ、目的をよく自覚した上で活用したい。

さらに、新刊本「投資なんか、おやめなさい」(著者=荻原博子新潮新書)も読んだ。その中にも、項目「こんなクズ商品には手を出すな」で、「毎月分配型」投信の酷い実態を説明していた。

<QUICK資産運用研究所が、2016年10月に、1484本の「毎月分配型投信」について調べたところ、買って1年間保有し続けたとすると、8割の投信が分配金の半分以上を元本から削って支払う状況になっているということでした。全額を元本から出しているものも2割(286本)あったそうです。タコが自らの足を食べる、いわゆる「タコ足」配当状態になっているということです。そして驚くことに、この中で運用益だけで分配金をまかなえるのはたった2%(37本)。>

長々と「毎月分配型」投信の実態を紹介したが、実は、我が輩はこれまでに10本近くの「毎月分配型」投信を購入した。このうちの2本(米リート)は大成功であるが、その外は失敗と言える。つまり、我が輩は証券会社の営業マンにとって、“いいカモ"であった。

しかしながら、人気ナンバーワンの「毎月分配型」投信に投資された金額35兆円を考えると、我が輩だけではなく、多くの個人投資家が“いいカモ"になっていたのだ。つまり、金融機関は“お客様の利益"よりも、“自社の利益"を考えていたことが明らかになった。

最後は、荻原氏からの忠告を紹介したい。

<多くの方は、今まで「投資」のことなど考えずに、朝から晩まで働き続けてきたのではないでしょうか。商店や中小企業の経営者などは、お金のことで頭を悩ませながら切った張ったの商売をしてきた方が多いので、リスクに敏感で「投資」には向いているかもしれません。けれどサラリーマンだと、仕事ではいろいろなリスクがあったかもしれませんが、経済的な面では毎月一定額の給料を振り込まれるのでより多くお金を稼ぐということをあまり考えない生活をずっと続けてきたという人も多いでしょう。

こうした、金銭的には守られた生活を40年近くしてきた人が、いきなり「投資」をしようと思うと、よくわからないので専門家に聞こうとします。中には、退職金を手に銀行に行って、「投資には、どれが良いの?」と金融商品についてたずねる人もいます。

だだ、これは、カモにネギを背負って鍋に飛び込むようなもの。銀行の窓口の人の肩書きは「ファイナンシャルプランナー」かもしれませんが、実は相手はセールスマン。友達や、親子、親戚なら別かもしれませんが、あなたのことをよく知らない相手に、大切な財産を託すなどというのは愚の骨頂です。>

まことに的を得たアドバイスと思う。つまり、収益の悪化に苦しむ金融機関は、個人をターゲットに“手数料ビジネス"に生き残りをかけているからだ。だが、我が輩は、損失を抱えて撤退するつもりはない。何故なら、第2次安倍内閣発足時(12年12月26日)の日経平均株価1万230円から、現在は2万円を超える水準まで回復した結果、金融資産も少しずつ投資額に近づき、いつの日にか損失を解消出来ると考えているからだ。

桐生選手の日本新記録「9秒98 」を考える

陸上競技ファンであるので、昨日の桐生祥秀選手の「9秒98」には驚いた。何故なら、前日の準決勝の記録も悪く、世界陸上以後の体調も万全ではないと伝えられていたからだ。だから、陸上男子百㍍で日本勢初の9秒台である「9秒98」を樹立したことに驚いたのだ。

それにしても、焦らせに焦らせてくれたものだ。その理由は、桐生選手が2015年3月28日の競技会で、3・3㍍の追い風参考記録ながら9秒87の快記録で走っているからだ。国際陸上競技統計者協会会員の野口純正氏の研究によると、追い風3・3㍍での9秒87は、追い風2・0なら9秒96に相当し、追い風1・5㍍でも9秒99が出た計算になるという。それを考えると、既に一昨年から9秒台の記録を出す力があった。

それでは、この「9秒98」は、どのような意味があるのか、新聞記事から説明したい。

○世界では、過去に125人が10秒の壁を破っているが、ほとんどがアフリカにルーツをもつ選手。例外は10年に20歳で9秒98、9秒97を出した「白人初」のクリストフ・ルメートル(仏)、15年にアジア出身選手として初めて9秒99を出した蘇炳添(中国)ら数人しかいない。

○9秒台をマークした選手の国・地域別では、米国が最多の50人で、続いてジャマイカ16人、英国9人、ナイジェリア8人、トリニダード・トバコ6人、南アフリカ5人、カナダ4人、フランス3人である。

○アジアでは、ナイジェリアからカタールに国籍変更した2人とジャマイカから国籍を変えたバーレーンの2人、そして蘇炳添の計5人であるので、桐生選手は黄色人種としては2人目となる。

という訳で、今回の「9秒98」は驚くような記録ではない。過去の日本短距離界を振り返ると、1935年には吉岡隆徳が当時の世界記録に並ぶ10秒3を出し、64年には飯島秀雄が当時世界トップクラスの10秒1の日本記録を樹立している。また、98年12月に樹立された伊東浩二の10秒00は、当時世界歴代27位の記録だった。

現在の日本短距離界を見ると、五輪や世界陸上の四百㍍リレーでは、メダルを獲得するなど、常に上位入賞している。それを考えると、既に十年前に一人くらい9秒台の記録を出していても不思議ではなかった。つまり、遅すぎた9秒台と言える。

その背景には、以前から指摘している日本の陸上競技場の欠陥がある。つまり、多くの陸上競技場のホームストレートが向かい風になる。そのために「9秒台」を目指す選手たちは、トラックや風の条件が良い大会や海外のレースに積極的に参加した。この動きに対して、一部専門家が批判しているが、致し方ないと思う。

新聞紙上では、桐生選手の9秒台樹立を受けて、堰を切ったように9秒台が相次ぐのではないかと期待しているが、やはり黄色人種の日本人にとっては、9秒台の記録は大変な記録と思う。水を差すようだが、これからも9秒台が続出とはいかないと思う。それだけに、今回の桐生選手の9秒台は価値があると考えている。

最後は、桐生選手の肉体面や精神面を紹介したい。桐生選手には、他のスプリンターと異なる特徴があるという。一つは臀部上部の筋肉がかなり盛り上がっている。もう一つは、足首の硬さで、両足のかかとを地面につけて、しゃがめない。つまり、和式トイレの時のような(足首を曲げて)かがむ姿勢がきついという。硬い足首を強靭なバネのように使い、一瞬で地面にパワーを伝える。アフリカ系選手と共通する技術という。精神面では、「重圧に弱い」。つまり、今回の大会では、重圧がなく、無心で、何かのために走ったので実力を出したようだ。土江コーチも「無欲に走れたかな」とコメントしている。その意味では、もう少し精神面を鍛える必要があるようだ。

いずれにしても、短距離選手のピークは二十代前半であるので、21歳の桐生選手は、東京五輪の20年までには、もう少し記録を短縮できると思う。個人的には、「9秒90」まで短縮できると見ているが、どうか。

過激派の内ゲバ犠牲者数は113人

筆者は、以前から過激派の内ゲバで亡くなった人数に関心があった。そんな中、古本屋で「検証 内ゲバ〔PART2]」(発行=2003年1月31日、著書=いいだもも、藏田計成ほか、発行=社会批評社)という本を見つけ購入した。先ずは、内ゲバの犠牲者数を解説した文章から紹介する。

(1)党派内・分派闘争

①ブント内分派闘争(69年)……1名

中核派内ゲバルト(69年)……1名

京浜安保共闘内粛清(70年)……2名

連合赤軍内粛清(71〜72年)……12名

革労協(社青同解放派)内分派闘争(80〜90年代)……9名

(2)党派間・党派闘争

①民青による対革マル派の死亡者(71年)……1名

②マル青同の襲撃による死亡者(75年)……1名

中核派による対革マル派の死亡者(70〜90年代)……48名

革労協派による対革マル派の死亡者(70〜90年代)……23名

革マル派による対中核派、対革労協派の死亡者(70〜80年代)……15名

計113名(『検証 内ゲバPART1』小西誠論文)

この数字が意味する特徴点や問題点を要約しょう。

革共同中核派革共同革マル派内ゲバによる犠牲者が際立っていること。

革マル派革労協派の内ゲバがそれに続いていること。

革労協派内部の内ゲバでも多くの犠牲者を出していること。

連合赤軍の場合は、指導部による組織内粛清であること。

連合赤軍を含めた上記四党派以外の他の新左翼諸党派は、数字でみる限り「肉体的抹殺」を前提とした内ゲバを基本的には回避していること。但し、すぐ後で述べるようにその思想的政治的な内ゲバ体質はすべて同根・同質であること。

内ゲバによる重軽傷者延べ数は、上の数字を数十倍、数百倍の規模で上回るだろうということ。

新左翼諸党派の内ゲバが全面化した時期は、60年代後期から開始された「70年安保・沖縄・全共闘運動」とその後の「三里塚闘争」の激闘の中で、階級闘争史上未曽有の街頭武装闘争の高揚期を背景としていたこと。しかし、中核派革マル派内ゲバは70年代初期〜90年代前期にかけて、また、革労協派対革マル派内ゲバは70年代前期〜90年代前期にかけて、実に20〜30年の超長期にわたる死闘として展開されたこと。

やはり、百人以上の活動家が、尊い命を失っていた。以前、過激派関係の本を読んだ際、「犠牲者数は105人」という数字を見た記憶があるが、正確な数字を把握出来ないでいた。それが「総計113人」ということがわかった。

昔、公安機関の知人が「内ゲバの現場写真を見たことがあるが、それは酷いものだ。確実に殺すために、頭を集中的に襲っているので、脳みそや目の玉が飛び出し、それは悲惨なものだ」と説明した。また、内ゲバで重傷を負った活動家については、「暑い夏場に、内ゲバで重傷を負った活動家の自宅を訪ねたことがある。母親が出てきたが、本人は寝たきりの状態で、玄関口から布団が見えた。あの暑さの中で、つつきりで看病していることを考えると、母親が気の毒になった」と話してくれた。

いつも疑問に思うのは、何故に二十世紀になって、多数の人たちが「マルクス・レーニン主義」という“カルト"に引き寄せられたのかということである。筆者から見れば、旧ソ連、中国、北朝鮮の政治や経済を勉強すれば、共産主義体制が理想の国家でないことは理解できたハズだ。例えば、共産党一党独裁、唯一前衛党という考え方、そして政敵を「スパイ」「敵の手先」として粛清する人権無視の政治体制をだ。ところが、田舎者で多少利口ぶっている人や、想像力が欠如している人が、引き寄せられたようだ。

最後に、著書の結合として「内ゲバ廃絶のための私たちの提案」が掲載されているので紹介したい。

内ゲバが激しかった70年代から、すでに30年余が経過しつつある。その間に、おびただしい血が流された。死んだ人たち、傷ついた人たち、「廃人」となった人たち、心身「障害者」となった人たち、自殺した人たち。その数は、ある種の「戦争」ともいえる数である。

内ゲバは、これら人々の未来を断ち、その時間を、言葉を、日常を奪い、その心と身体を壊してしまった。のみならず、内ゲバはその家族、その地域の人間関係を同じように奪い、壊してしまった。

それは、新左翼の全党派を巻き込んでいたばかりか、日本共産党をも含む日本の左翼運動を覆ってきた「悪業」ともいうべき問題である。その意味で内ゲバは、人間の解放をめざすはずの左翼運動のモラルの崩壊であり、その思想的破綻と退廃・荒廃のあらわれである。この結果、民衆の中に、左翼への絶望と離反を生み、これを忌避する心を育て、今日にいたる左翼運動・社会運動の崩壊的危機の主体的要因となってきた。

見事な説明、分析である。それにしても、多数の尊い命が失われてしまった。合掌!

全国紙の発行部数は想像以上の水増し

先月発売の月刊誌「文芸春秋」(8月号)に、「新聞は『対読売一強』で大再編せよ」という記事が掲載されている。本稿を記すのは、現役の新聞社幹部とOBで構成される有志集団「プロジェクトP」で、販売店、ネット時代、新聞経営者、不動産経営などの問題点を解説している。その中で、全国紙の“実売部数"には驚いた。そこで、先ずは新聞発行部数に関する解説から紹介したい。

○日本新聞協会は、2016年の総発行部数(朝刊夕刊セット、朝刊単独、夕刊単独を合算)を4327万部としている。ピーク時は1997年で、5377万部と比較すると、約2割減っている。

○「朝刊夕刊セット」の部数は2000年の1818万部から、2016年には1041万部にまで急落。4割以上も減らしている。

○日本ABC協会が発表した2016上半期平均の朝刊合計部数(カッコ内は、そのうち「夕刊合計部数」の数)は、▼読売=901万(275万)▼朝日=658万(212万)▼毎日=309万(90万)▼日経=273万(138万)▼産経=157万(46万)である。

○「押し紙」(新聞社が販売店に押し付ける「在庫」のこと)は、朝刊単独で売られている部数の「4割から5割」が含まれている。それを考慮すると、全国紙の発行部数は次のように推定出来る。▼読売=588万〜651万▼朝日=435万〜480万▼日経=205万〜219万▼毎日=199万〜219万▼産経=102〜113万である。

要するに、全国紙5紙の“実売部数"は、最大700万部も水増しされている可能性があるという。これが真実であるならば、日本の統計数字は、全く信じられないと世界が見ると思う。

筆者は、以前から世界の新聞発行部数のランキングを見て、日本の根強い民主主義に誇りを感じた。そのランキングでは、全国紙が欧米の民主主義諸国の上位にある。例えば、ドイツのビルト/B.Z.265万、アメリカのウォール・ストリート・ジャーナル237万、ニューヨーク・タイムズ186万、イギリスのザ・サン217万などよりも上位で、各国別発行部数でも、日本4424万に対して、アメリカ4042万、ドイツ1578万、イギリス862万、フランス616万、イタリア299万部である。ところが、全国紙の発行部数は“印刷した部数"で、個人宅や駅売りで“販売した部数ではない"というのであれば、北朝鮮、中国、ロシアの経済統計を笑えなくなる。

さらに、日本の新聞業界の厳しい現状も解説している。例えば、販売店の場合、販売部数の減少と「織り込みチラシ」の減少で苦境にある。1999年には全国に2万2311店あった新聞販売店は、14年には1万7609店。つまり、15年間で約4700店、2割以上が消滅した。従業員数もピーク時の96年(約48万人)に比べ、14万人も減っているという。

このほか、ニュースを伝える「媒体」としての新聞のライバルは、今はネットメディアという。この分野のことは詳しくないのでコメントしないが、メディアは国民の判断材料を提供する以上、何らかの打開策を打ち出して欲しいものだ。

話を戻すと、全国紙の発行部数が、これほど水増しされているとは、想像もしていなかった。もしかしたら、多くの新聞記者も知らない可能性がある。そうであるならば、新聞経営者も隠しておきたい数字であるのかもしれない。それを考えると、新聞業界の経営状況は、世間が考えている以上に、厳しい現状にあるのかもしれない。