日本も中国並みに対ロシア脅威の意識を

昨日の「産経新聞」の記事「新聞に喝!」は、我が輩と同じ認識であるので、全文を紹介する。見出しは「中国並みに対ロシア脅威を」で、書いたのは神戸大学大学院法学研究科教授・蓑原俊洋(昭和46年米カリフォルニア州出身)である。

先日、米ワシントンを訪問した際の話しである。ドイツ政府主催のディナーに招かれ、駐米ドイツ大使による国際政治情勢を悲観する印象的なスピーチを聞いた。最大の懸念は中国とロシアだと言い切る。大使は両国を法の支配と自由主義に基づく国際秩序に対する挑戦者だと位置づけ、われわれが尊いとする価値観を擁護するため一致団結して行動に迫られる日は必ず到来するという。1930年代の自国の歴史が念頭にあるのか、大使の話しはすごみと説得力があった。

意外だったのは一外交官が公の場で、両国を民主主義に対する脅威として名指しし、明白に批判したことだ。私は日本の外交官がここまで(特にロシアに対して)厳しいスピーチを行うのを聞いたことがない。これは安倍晋三政権がロシアへの経済援助と引き換えに、北方領土問題について何らかの譲歩を期待していることと無関係ではなかろう。

ロシアによるウクライナ南部クリミア半島への侵略・併合が国際法に反した武力による国境変更の試みであるとの事実は忘れ去られ、同地の住民はロシアへの帰属を求めていたのだから致し方がないとの意見すら耳にする。こうした意見は、仮に沖縄の県民が中国への帰属を求めれば中国が同県に侵略・支配したとしても問題ないというような、暴論にもつながりかねない危ない考え方だ。

先月参加したある国際会議でも、欧州を筆頭に各国防大臣はロシアに対して厳しい言葉の放列を敷いた。ロシアは北大西洋条約機構(NATO)加盟国への偽情報拡散や各種のサイバー攻撃を行い、イギリスでは軍用レベルの神経剤を用いて元スパイの暗殺を試み、その二次被害も起きている。アメリカでも一昨年の大統領選にロシアが介入したことによる余波は続いており、マティス国防長官は今もロシアに対して厳しい言葉を向けている。

にもかかわらず、西洋自由主義社会の本流から隔絶されているのか、日本ではロシアに対する批判はあまり聞こえない。いつも中国を糾弾する右派勢力もロシアについては静かである。世論の全般的な無関心を反映してか、日本のメディアがロシアの脅威を語るのはまれで、言及しても中国と比較すれば雲泥の差がある。中国、ロシアともに自由主義をないがしろにする隣国であるにもかかわらず、扱いにここまで違いがあるのは摩訶不思議だ。

先週のこの欄で門田隆将氏は、「新聞はなぜ問題の本質を突かないのだろうか」と問うた。全く同感である。国際政治でも本質を突く報道は不可欠だ。日本を取り巻く国際情勢は今後厳しさが確実に増していくという現実を、国民に啓蒙するのもまた、新聞の重要な使命なのだから。

紹介した記事の内容は、我が輩の以前からの認識であるので、蓑原教授の文章には敬服した。つまり、いずれは自由主義国家群と、ロシアとの激しい戦いが始まるという見解は、一つの“歴史観"と思うのだ。

我が輩は、以前から日本の首相たるものは、それなりの“歴史観"を持たないとダメだと考えてきた。その意味で、安倍首相には多少不満を感じているが、元首相・中曽根は非常に歴史観を重要視する人物と思える。例えば、首相在任中(1982〜87)に訪中した際、元総書記・胡耀邦と会談後に記者団から「何を話したのですか」との問いに、本人は「ロシアに騙されるな、と言ってきた」と述べ、にやりと笑ったのだ。その時、中曽根氏なりの歴史観を披露してきたなぁと思った。そのほか、中曽根氏の言動を聞いていると、歴史観に立脚したと思われる話しが多いのだ。

そうだ、中曽根氏の首相時代の面白い話しがある。首相在任中、国会答弁で「ソ連」というべきところを「ロシア」と言うので、朝日新聞などは「中曽根首相は古い人間だ」と言って、批判めいた記事を掲載していた。しかしながら、今から考えると、旧ソ連のことを「ロシア人の国」という意味で使用した面も無きにしも非ずで、それを考えると、中曽根氏はなかなか先見性があるとは思いませんか(笑)。

最後は、17世紀フランスの天才学者・パスカルの言葉「正義なき力は暴力である。力なき正義は無効である」という名文句を紹介する。まさに、日本は自由主義国家群の一員である以上、この言葉を噛み締めて、今後の国際情勢を眺めて欲しいのだ。

オウム事件に対する朝日新聞の無責任さ

毎年、この季節になると、暑さのために気力が衰えて、物を書く気にもならない。どうも、北海道出身者というよりも、体質的に暑さに弱い感じを受けている。だが、一昨日の6日(金曜日)に、死刑が確定していたオウム真理教の教祖・松本智津夫ら7人の教団元幹部の死刑が執行されたので、改めてオウム事件を考えてみたい。

先ずは、何故にあれほど未曽有の凶悪犯罪が起きるまで、公安当局は動かなかったのか?それは、公安が宗教団体を調査することに抵抗があったからだ。例えば、某宗教団体などは1960年代、70年代、規模拡大のために全国各地で、今なら家宅捜索が入るような事態を起こしても、国民から「宗教弾圧だ」との反発を恐れて、見逃す時代があった。つまり、戦前の宗教団体弾圧の反省から、戦後は逆に宗教団体に対する対応が甘くなったという背景がある。

次に、当局は何故にオウム真理教の動向把握が不十分であったのか。これについても、戦後の憲法によって、宗教団体を過剰なくらい保護してきたという歴史がある。だから、当局のオウム真理教に対する情報収集も、後手後手に回ってきた面がある。また、当局も国民一般も「宗教団体があれほどの悪事を起こすハズがない」という性善説があった。つまり、宗教団体に対する“勝手な思い込み"が、あれほど悲惨な事件に繋がった。

我が輩も、自らのお粗末な宗教観をを記したい。地下鉄サリン事件が起きて、テレビ番組を見ていたところ、ある司会者が「宗教団体が、あれほどの事件を起こす理由がわからない」と述べたところ、某宗教学者が「宗教団体だからこそ、あのような重大事件を起こすのです」という発言をした。それを聞いて、我が輩は「そうか」と驚き、納得した瞬間であった。つまり、我が輩も司会者と同じように、宗教観を性善説で見つめていたのだ。

しかしながら、ここまで国民の宗教意識を低下させた背景には、メディアの責任もある。例えば、現在でも、これだけ朝鮮半島情勢が緊迫しているにも関わらず、日本の左翼系新聞は「憲法には一切手を触れるな」と主張している。つまり、他国は性善説で見て、我々が攻撃しなければ、戦争は起きないという“勝手な思い込み"で安全保障政策を見ている。

さて、今回の教団元幹部の死刑執行について、新聞各紙は多彩な有識者の意見を掲載している。その中で、有意義な意見を2つ紹介したい。

○元検事総長但木敬一

ーテロ組織を抑え込む制度の制度も十分とはいえない。事件後、団体を強制的に解散させられる「破壊活動防止法」が適用されず、教団が存続することになったのには違和感がある。テロを起こしかねない団体活動を監視するために創設された「オウム新法」はこれまで教団しか対象としておらず、別の団体が無差別テロを起こそうとしても有効に機能するとは限らない。

オウム事件が突き付けた課題を過去のものとせず、社会全体で教訓にしていく必要がある。ー

○元警視総監・池田克彦

ー教団は各地でトラブルを起こし、警察としても「怪しい宗教団体」という認識はあったが、大規模テロを起こす能力があるとは思っていなかった。宗教団体という看板に尻込みし、教団に対するインテリジェンス(情報)が欠け、危機感を持つことができなかった。

サリンがテロに使われることも想定していなかった。爆弾や銃器などには、神経をとがらせていたが、科学兵器を現実的な脅威とはとらえていなかった。ー

以上の新聞記事は、読売新聞(7月7日付け)から引用したが、有力紙の朝日新聞からは参考になる意見は見いだせなかった。つまり、朝日新聞は、当時から「破壊活動防止法」の適用に反対しているが、未だに何を読者に訴えたいのか、さっぱりわからない。新聞に掲載された有識者も、それなりの人物であるが、具体性がなく、何を伝えたいのか、全く解らなかった。問われているのは、オウム犯罪の動機ではなく、犯罪行為に対する応報刑である。これが、一流大学を卒業してきた記者たちの紙面作り方なのか、と言いたい。

こんな調子であるので、先週月曜日発売の週刊ポストの新聞広告には「英オックスフォード大発表『信頼度ランキング』の衝撃ー朝日は最下位!この現実を直視しないのは朝日記者だけー1位・日経、2位・地方紙、そして読、産、毎」という文字が掲載されていた。この「週刊ポスト」掲載記事について、7月7日付け産経新聞の「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」は、

ー「週刊ポスト」(7・13)のタイトルにはギョッとした(快哉を叫んだ)。

「英オックスフォード大「新聞の信頼度ランキング」の衝撃 朝日は最下位6位!」

同大ロイター・ジャーナリズム研究所が毎年行っている国際的なメディア調査レポートによるものだがそうだが、〈朝日新聞の信頼度は日本の有力紙の中で最下位〉。

ちなみに1位は日経、産経は4位。ー

オウム事件のことを記すつもりであったが、何故か最後は「朝日新聞」批判になった。その理由は、若い人にはわからないが、「破壊活動防止法」の適用に一番反対したのは「朝日新聞」である。そして教団は現在、オウム後継団体として「アレフ」(信者数約1500人)と分派「ひかりの輪」(信者数約150人)など3団体といった形で残存し、勢力維持・拡大に努めているという現実がある。何だか、まとまりのない文章になったが、我が輩には「破壊活動防止法」適用に一番反対したのが「朝日新聞」という怒りが大きいのだ。

興部(おこっぺ)、イントネーションが面白いようだ

本日の「朝日新聞」を読んで、面白い記事を見つけた。その記事は「声の欄」の投書であるので、先ずはその投書を紹介する。

〈50年忘れなかった「おこっぺ」へ(北海道・59歳)〉

道北の興部へ行く機会に恵まれた。「え、どこ?なんて読むの」という声が聞こえてきそうだ。

広島県に住んでいた小学4年生の時のこと。社会科で北海道の地図を開いた際、担任の女の先生に「おこっぺを探しなさい」と言われた。「おこっぺ?」。給食のコッペパンのような名前ゆえ親しみがわく。私はおこっぺを探した。夢中になって。地図を見るのが好きになった瞬間だった。

そして50年近く経った今でも、おこっぺを忘れてはいなかった。

興部(おこっぺ)町はオホーツク海沿岸にあった。先日近くを旅した折、足を延ばしてみた。紋別空港に近く、流氷の観光船が出る紋別市の北に位置する。天気がよければ朝日も夕日も眺められる海辺の町だ。主な産業は漁業と牧畜であろうか。

強い風が吹く中「先生、やっと来たよ。探しなさいと言われた『おこっぺ』へ」とつぶやく。先生にお会いして報告したいが、すでに他界されている。

小学校の授業で一生忘れられない地名を知ることもある。若い先生方にお伝えしたいなと思った、私のささやかな体験である。

この記事を読んで、すぐに思い出したのは、友人の発言である。昔、この友人の職場に、興部高校を卒業した職員がおり、出身地を「おこっぺ」と言って笑うのだ。どうも、内地の者には、「おこっぺ」というイントネーションが面白いようだ。

そう言えば、平昌五輪のカーリング女子日本代表「LS北見」の選手たちが口にして話題になった「そだねー」も、北海道なまりということで、テレビ観戦する人たちの間で人気になった。我が輩などは、昔から語尾を上げる北海道なまりの言葉を数多く聞いているので、なんで人気になるのかよくわからなかった。

そこで、「そだねー」を図書館で調べてみた。増補改定版「北海道方言辞典」(著者=石垣福雄、北海道新聞社、1991年7月25日発行)には、「そだねー」という言葉はなかったが、「ソーダモナモ」という言葉があった。その意味は、「そうですとも(相手の言葉を肯定して自分の話を続ける)。」と解説し、さらに連語(いくつかの単語の連なったもの)と解説していた。つまり、「ソーダ」と「モナモ」という言葉でできているので、「ソーダ」という断定的な言葉に、「ねー」という言葉を付け加えて、相手の見解を尊重する言葉に変化させたようだ。まさに、団体競技であるカーリングには、ぴったりの言葉になった。

というわけで、聞き慣れない語尾を上げる北海道独特の“イントネーション"、“なまり言葉"、“方言"などを紹介したが、それらの言葉の背景には、アイヌ語の影響もあるのではないか?だが、我が輩は言葉の専門家ではないので、自分なりの主観で記しており、関心のある人は自分なりに勉強して下さい。

最後は、興部町の特産品を紹介したい。昔、友人の自宅で、パンに塗って食べたチーズが大変美味しかった。そこで、興部町を通った際に「道の駅」に赴き、このチーズを見つけたが、このチーズは「ある程度冷凍しないとダメ」ということで購入を諦めた記憶がある。絶品であるので、関心のある人は興部町に連絡してみては如何ですか。

スポーツ選手のタトゥー( 入れ墨)を考える

現在、ロシアでサッカー・ワールドカップ(W杯)が開催されているが、日頃サッカーに関心のない人でもW杯はテレビ観戦する。そうした中で、優勝候補(前回準優勝)のアルゼンチン代表が、クロアチアに負けてグループリーグ敗退の危機にあることで、昨日の各紙は同代表のエース・メッシ選手のカラー写真を大きく掲載した。その写真を見て、我が輩は驚いた。つまり、メッシ選手の右手の半袖から出ている部分が、タトゥー(入れ墨)に覆われていたからだ。

我が輩が驚いたには理由がある。昔、在日韓国人のパチンコ社長(五十代前半)と知り合ったが、この社長は毎週2〜3日ゴルフ場に行っていた。あまりにもゴルフ場に行くので、「こんなにゴルフ場に行って、会社の方は大丈夫ですか」と尋ねたこともある。ある時、この社長がこんなことを言った。

「たまには、ヤクザの人と一緒にゴルフをする。だが、奴らはすぐに息を切らしてしまう。なぜかというと、奴らは身体の多くに入れ墨があるので持久力がない。つまり、皮膚呼吸が出来ないので、すぐに『ハー、ハー』と言い出して、仲間から遅れ出すのだ」

この話しを聞いていたので、今まで「入れ墨があると、皮膚呼吸が出来ないので持久力がない」と考えていた。そこで、昨夜ネットで調べると、「両生類でもあるまいし、そんなのウソだ」という意見が投稿されていた。さらに、医学関係者も「はっきりと運動量に影響あるとは証明されていない」と投稿していた。だから、今では良くわからないという心境になっている。

しかしながら、ネットには、タトゥーがプレーのパフォーマンス低下を招く可能性があるとの研究結果が、ドイツで報告されているという投稿があった。もう少し詳しく記すと、

ーケルン体育大学のインゴ・フロベーゼ教授がタトゥーとサッカー選手との関係を研究。タトゥーに使用されるインクの60〜70%は皮膚から血管にまで達して、体内の血液循環に影響を与えることや、範囲の大きなタトゥーが皮膚の発汗機能や体温調節機能を阻害することを指摘したという。一つのタトゥーを身体に入れると、しばらくはフィジカル面で3%から5%ほどパフォーマンスが低下する。ー

我が輩は、以前からラグビーの大学やトップリーグの試合を観戦しているので、タトゥーには多少不感症になっている。その背景には、試合に出場する多くの南太平洋諸国出身の選手が、タトゥーがあるからだ。そこで、ラグビー評論家・藤島大氏のタトゥーについての解説を聞こう。

ータトゥー。ポリネシアでは「タァタウ」と呼ばれる。もともとはタヒチ語だ。

J SPORTS」の解説をしていて、選手のそれが大写しになると、つい「これはサモアやトンガやマオリの人たちにとっては家系や宗教儀式とも密接な伝統文化なのです」と説明してしまう。どこかに「視聴者に誤解されないように」という心理がひそんでいる。日本の入れ墨は、かつて刑罰として用いられた(職人などが自分の意思で施すのは彫り物)。どうしても印象はよくない。ー

ということであるが、このタトゥーが今や世界のサッカー界まで広がっている。例えば、ブラジル代表のエース・ネイマール選手も、身体にタトゥーを入れている。我が輩は、イチロー選手のように“一流選手はパフォーマンス維持のために摂生に努めている"と思っていたので、余計に驚いたのだ。

詰まるところ、入れ墨は健康に悪くないのか、一流運動選手のパフォーマンスに影響を与えないのか、さらに青少年に悪影響を与えないのか、等々と考えるのだ。サッカーやラグビーなどは、一部と言っても、半袖からタトゥーを大衆の前にさらすことになる。現代社会におけるスポーツ選手の影響力を考えると、世界のスーパー選手のタトゥー増加傾向は、多少心配している。特に日本社会では、入れ墨は裏社会の象徴で、犯罪社会と根強く繋がっている以上、入れ墨に対する拒否反応は非常に強い。だから、なおさらスポーツ選手のタトゥーの増加傾向に、心配しているのだ。

遠軽高等女学生たちの学徒動員解明に向けて

我が輩は母親(昭和4年生まれ)から、戦時中に北海道滝上町の木材工場で戦闘機の合板作りに動員されていた、という話しは昔から聞いていた。もう少し詳しく記すと、

○木材工場には、遠軽高等女学校の生徒1クラス(60人)のほか、旧制の遠軽中学校(父親が在籍)と稚内中学校の生徒各1クラス(昭和4年生まれ)が参加していた。主体は昭和4年生まれであったが、遠軽中学生の場合には、1学年上の生徒15人ほども参加していた。また、同学年の他の女子クラスは、下湧別の何かの工場に行ったが、埃が凄くて多くが肺病になり、途中で引き上げて来た。

○動員期間は1年くらいで、頭に「女子勤労挺身隊」と書かれた鉢巻きをした。それは、女工さんと区別するためでもある。生活の場所は寮で、食事は皆と一緒であったが、食事内容はダイコンメシなどが多く、ひもじかった。

○動員前には、将校が女学校を訪れて、「滝上町濁川の木工場で合板作業をしてもらう」という説明があった。

我が輩もトシを取ると共に、当時の学徒動員の実情を知りたくなった。そうした中、5月31日に滝上中学校の同級生と後輩が上京して来たので、前述の内容を伝えたところ、後輩がすぐに地元と連絡を取り、「当時、北見総合木材という工場があり、約200人くらいが働いていた。近所の人とは、隔離されていた」と説明してくれた。

帰宅後、ネットで調べると、下記のような文章を発見した。

ー昭和11〜17年に、北見市に馬場昌久という人物が、馬場酒造店を経営していた。17年廃業後「工場はベニア工場になって、戦争末期には国民学校高学年になった私も勤労動員で搬出などの手伝いにいったことがあります。」

この馬場酒造店廃業後の工場は、ベニア工場に転用され、「北見航空木材」という会社になったようですが、詳しい資料がありません。ただ「北見市史」年表編の昭和18年7月の項には「北見地方の合板工場、このころ航空機のプロペラ、舟艇用材の製作に忙殺される。」とあります。なお、戦後は「北見総合木材株式会社」となりました。ー

さらに6月13日、遠軽町教育委員会に電話を入れ、戦時中の学徒動員について問い合わせたところ、電話に出た男性が「本町の郷土館に在籍している職員は、昨年春に遠軽高校を定年退職した人なので、私より詳しいと思う」との返答があった。すぐに、郷土館に電話をしたところ、元教員(社会科教諭)の職員が「戦時中、旧制遠軽中学生が、学徒動員されていたことは知っています。遠軽高校に在職中、図書館の資料の中に、学徒動員された人たちが作成した小冊子を見たからです。作成したのは、25年前くらいであるので、書いた時には皆さん65歳前後になっていた」という返答であった。

続いて、当日の夜に、滝上町の同級生に前述の話しを伝えたところ、翌日の昼頃に、前日対話した職員から「今日の午前中、遠軽町滝上町の幹部から連絡があった。さっそく、遠軽高校に出掛けて資料を借り受け、滝上町の関係部分30ページをコピーして送付した」との連絡があった。それに対し、我が輩が資料のページ数を聞くと、「百ページ以上ある」とのことであったので、改めて「全ての資料を見たいので、コピーして置いて欲しい」と要望した。

ということが一連の経緯であるが、滝上町遠軽町などの関係者が関心を持ったことで、今後更なる調査が進むと期待している。そこで、遠紋地区の学徒動員の実情を書籍化出来ないものかと考え、文章力と取材力に優れた元新聞記者の友人に伝えたところ、当人も非常に関心を持ってくれた。

だが、書籍にするとなると、学徒動員に至る背景や、北海道軍部の動き、さらに稚内高校まで取材しなければならず、それはそれは大変な作業になる。我が輩も友人と一緒に動くつもりであるが、地元の資料や協力がないと無理な作業であるので、どんな事になるのやらという心境でもある。でも、是非とも書籍化したいとは考えている。

共産主義思想の何が人々を熱狂させたのか

先月末、都内の映画館でヨーロッパ映画マルクス・エンゲルス」を観たことは記した。この際、映画館ではパンフレットと一緒に、マルクスエンゲルスが起草した本「共産党宣言」(岩波文庫)を販売していたので購入した。久しぶりに読んでみたが、共産主義思想の何が魅力で、多くの人々が熱狂して命を掛けたのか、と考えてしまうのだ。そこで最初は、この本の重要な部分(74〜76P)と思われるところから紹介する。

…労働者革命の第一歩は、プロレタリア階級を支配階級にまで高めること、民主主義を闘いとることである。

プロレタリア階級は、その政治的支配を利用して、ブルジョア階級から次第にすべての資本を奪い、すべての生産用具を国家の手に、すなわち支配階級として組織されたプロレタリア階級の手に集中し、そして生産諸力の量をできるだけ急速に増大させるであろう。

このことは、もちろんなによりも、所有権への、またブルジョア的生産諸関係への専制的干渉なくしてはできようがない。したがって、その方策は、経済的には不充分で不安定に見えるが、運動が進行するにつれて、自分自身を乗り越えてすすみ、全生産様式の変革への手段として不可避なものとなる。

この方策は、もちろん、それぞれ国が異なるにしたがって異なるであろう。

とはいえ、もっとも進歩した国々にとっては、次の諸方策はかなり一般的に適用されうるであろう。

1、土地所有を収奪し、地代を国家支出に振り向ける。

2、強度の累進税。

3、相続権の廃止。

4、すべての亡命者および反逆者の財産の没収。

5、国家資本および排他的独占をもつ国立銀行によって、信用を国家の手に集中する。

6、すべての運輸機関を国家の手に集中する。

7、国有工場、生産用具の増加、共同計画による土地の耕地化と改良。

8、すべての人々に対する平等な労働強制、産業軍の編成、特に農業のために。

9、農業と工業の経営を結合し、都市と農村との対立を次第に除くことを目ざす。

10、すべての児童の公共的無償教育。今日の形態における児童の工場労働の撤廃。教育と部質的生産との結合、等々、等々。

発展の進行につれて、階級差別が消滅し、すべての生産が結合された個人の手に集中されると、公的権力は政治的性格を失う。本来の意味の政治的権力とは、他の階級を抑圧するための1階級の組織された権力である。プロレタリア階級が、ブルジョア階級との闘争のうちに必然的に階級にまで結集し、革命によって支配階級となり、支配階級として強力的に古い生産諸関係を廃止するならば、この生産諸関係の廃止とともに、プロレタリア階級は、階級対立の、階級一般の存在条件を、したがって階級としての自分自身の支配を廃止する。

以上の文章は、多少具体的に経済政策を明示しているので、重要な部分として転載させてもらった。どうですか、転載した文章が、世界中の思想、哲学、経済分析に大きな影響を与えたことが理解できますか。さらに、二十世紀に入ってからは、マルクス・レーニン主義という思想に発展して、多くの人々が熱狂した背景が理解できますか。

フランスの専門家、ステファヌ・クルトワらが「共産主義黒書〈ソ連篇〉」で示した控えめな推計でも、共産主義体制により命を奪われた人は、世界中で9436万人にも及ぶという。つまり、共産主義思想は、人類史上、これほど多くの人々を非業の死に追いやった思想であるのだ。それにもかかわらず、これだけ多くの人々が熱狂したとは…。

ところがである、日本でも戦後、一流大学を卒業した人たちの中から、大勢のマルキストが生まれた。その例を、我が輩の経験から記したい。

昭和55年頃、我が輩の職場で幹部の引き継ぎがあった。幹部2人は、共に東大卒の警察官僚で、生まれも共に大正末であった。昼休みか、幹部2人が幹部室から出て、我が輩などがいた大部屋に入るなり、後任の幹部が「私は学生時代、マルクスボーイでね。まさか、ここにくるとは思わなかった」と言ったのだ。すかさず、古手の課長補佐(昭和4年生)が、「これだから、困るんだよなぁ」と述べておちょくった。そして、我が輩に対して、視線を向けたのだ。その後、前任者は後任者に対して、「君は、日本が敗戦しなければ、今頃“陸軍大将"になっていたのではないか」というのだ。確かに、体格ががっしりしているので、それに相応しい雰囲気ではあったが…。

そのほか、昨年春に北朝鮮情勢がひっ迫してきたので、ある北朝鮮問題の講演会に参加した。講演終了後、二次会ということで、近くの飲食店に移動した。会が始まって1時間半後、遠来の参加者が多数、列車時刻に合わせて店を出て行った。そこで、我が輩は参加していた東大名誉教授(昭和15年頃生)の隣りの席に座った。この際、教授との間で下記のような対話をした。

私「先生、良い仕事をしていますね」

教授「いや、活動が遅すぎたくらいだ」

私「なぜ、北朝鮮の○○○のために、このような素晴らしい活動をしょうと考えたのですか」

教授「単純だよ。可哀想と思ったからだ。実は私は、この活動をする前まで、マルキストだったのだ」

私「えー。それでは、五十歳過ぎまでマルキストだったのですか」

教授「そう言うことになる」

私「先生の専門は、なんですか」

教授「○○○○です」

私「考え方という部分では、同じような学問ですね。それにしても先生、気がつくのが、遅すぎますよ。共産主義思想は、遅くても二十代で捨てなければ…」

教授「だから、教え子たちから『先生も、生まれるのがもう少し遅ければ、マルキストになることもなかった』と言われている」

私「なぜ故に、共産主義を捨てたのですか」

教授「うーん。共産主義には“人権がない"ことを知ったからだ」

私「頭の良い先生が、なぜ気がつかなかったのですか。遅すぎますよ。例えば、戦前の日本では、特高によって、百人くらいの人たちが殺された」

教授「うーん。まあいいや」

私「しかしながら、旧ソ連では何千万という人々が、銃殺、拷問、栄養失調で亡くなっている。勉強すれば、共産主義体制の悲惨さは、解ることではないですか。殺すということで、百人も、何千万人も一緒と言うのであれば別ですが…」

教授「君、どこに勤めていたの…」

私「○○○○○です」

教授「そうか。君ね、これを読みたまえ」(紙に書名を書く〈すみません、買わずに紙をなくしてしまった〉)

私「著者は名前から、フランス人ですね」

教授「そうだ。これを読むと、色々と考えてしまう」

などと対話をしていると、二次会は終了してしまった。

要するに、頭の良い東大卒の中にも、戦後まもなく卒業して警察官僚、そして最近までマルキストを名乗る東大教授がいたのだ。つまり、ヨーロッパでは共産主義思想は克服されたが、東アジア(特に漢民族朝鮮民族)では未だに克服されていない感じを受ける。だから、最後は「アジア人よ、目を覚ませ!共産主義思想から…」と訴えたいのだ。

千葉県西部の道路事情を一変させる外環道開通

6月2日午後4時に、東京外郭環状道路(外環道)の三郷南インターチェンジ(IC、埼玉県三郷市)と高谷ジャンクション(JCT、市川市)間の15・5㌔が開通した。我が輩も千葉県民として、以前からこの道路の建設状況には関心を持ってきた。その意味では、非常に喜ばしい開通になった。

そこで、開通日の夜遅く、ネットで開通状況をチェックしたところ、既に開通の10分後の映像が流れてきた。つまり、車体カメラで撮影された映像が、今回開通した区間を約17分間にわたって走行・撮影し、ネットに流していたのだ。まさに、自分が開通した区間を走っている感じで、誠に素晴らしい高速道路であることが確認できた。

さらに、外環道に並行する形で、国道298号の国道6号から国道357号間の11・4㌔も同日開通したが、これまたネットに走行映像が約30分間にわたって流れていた。この国道も、また素晴らしい4車線道路で、途中の市川市には初めて建設された「道の駅」の存在も確認出来た。これでは、沿道に居住する千葉県民が大喜びするのは、当然のことである。

ところで、皆さんは選挙時などで「千葉都民」という言葉を聴いたことがあるでしょう。我が輩の認識では、特にJR常磐線沿線に居住している人たちが、それに該当すると考えている。つまり、東京駅へ行くには電車一本で、一方の県庁所在地の千葉駅には、2〜3回電車を乗り換えないと行けないので、千葉市の中心部に行くのが非常に不便なのだ。そのため、よほどのことがない限り、千葉市方面には行くことはない。だから、住民の目は常に東京に向かい、天気予報も千葉県ではなく、東京の画面を見てしまう。それほどに、千葉市は縁遠い地域であるので、松戸近辺の住民が喜んでいることは良く理解出来るのだ。

また、ネット上には、国道298号の松戸〜高谷区間を走ってみたら、これまで約1時間掛かっていたが約20分で到着した、という喜びの文章が投稿されていた。これほど、地域住民や地域経済に貢献する道路が、今後日本の中で開通することがあるのか、と考えるくらい貢献度の高い道路であるのだ。

我が輩は、以前から首都圏の人口が多い割には、道路事情が悪く、特に千葉県がひどいと感じてきた。例えば、県北西部を南北に貫く主要地方道路の県道船橋我孫子線は、重要な道路であるが、片側一車線の区間が多い。また、我が輩の居住地近くの「手賀沼ふれあいライン」(市道)であるが、交通量はおそらく旭川市深川市間と同じくらいと思う。だが、道路事情は片側一車線で、ある区間では乗用車がやっとすれ違い出来る状況である。そのため、道路幅を広げる計画があるが、工事規模が小規模で、いつ完成するのやら、という感じである。

というわけで、土地勘のない人には、良く理解できない部分もあったと思う。要は、千葉県西部の交通量の多い地域に、一気に片側四車線の道路が開通したということだ。また、行政側も十分に認識していることであるが、もう少しスピードアップして道路整備を行わないと、いつまでも「千葉都民」という言葉はなくならないということ。そして、最後は、あの「手賀沼ふれあいライン」の道幅工事は、いつ完成するのやらと思うのだ。