栃木の偉人・荒井退造のその後

筆者は一昨年、沖縄戦時の沖縄県警察部長・荒井退造について、4〜5回にわたって紹介した。その後、沖縄県糸満市の「摩文任(まぶに)の丘」に所在する荒井退造の「終焉之地」碑には、栃木県知事や県会議長が参拝(2015年10月27日)したり、県内の高校生が研修旅行の際に訪れるようになった。さらに、退造の母校・宇都宮高校による、沖縄県高校野球連盟に対する「荒井杯」贈呈(16年3月26日)、野球部の沖縄遠征・親善試合、沖縄研修旅行の復活がある。また、宇都宮市の生家には、作家・田村洋三氏の揮毫で「たじろがず 沖縄に殉じた 荒井退造」と刻まれた顕彰碑と資料館が設置(16年11月27日)された。

そうした中、今年6月19日付け「下野新聞」は、「栃木県教育委員会が初めて作製(1万3千部)した県立高校向けの歴史(日本史、世界史)の「資料集」(105ページ)に、太平洋戦争末期に沖縄県警察部長を務めた宇都宮市出身の荒井退造(1900〜45)が取り上げられている。足尾銅山鉱毒事件の被害民救済などに尽力した田中正造(1841〜1913)に比肩する扱いで、家族に宛てた手紙を紹介するなど5ページを割き、3月に全県立高に配布した」と報道した。

そこで、筆者も「資料集」をみたいと考え、宇都宮市の友人に地元書店での購入依頼、栃木県教育委員会に対する電話依頼、地元図書館を通して栃木県立図書館からの入手依頼を行ったが、全て不調に終わった。最後の手段として、近くの栃木県立高校の訪問を考えたが、止めた。このような現状を、栃木県教育委員会はどのように考えているのか?

話を戻す。最近、都内神保町の古本屋で「沖縄の島守島田叡ー親しきものの追憶から」(1964年6月28日発行、約340ページ)という本を購入(3500円)した。この古本は、沖縄県知事・島田叡の母校・兵庫県立兵庫高校が中心なって発行したもので、箱入りの立派なものである。その中に、警察行政を担当した山川泰邦氏の著書「秘録、沖縄戦史」(1958年)から引用した、「島田知事を助けた人たち」という項目がある。そこには、知られざる荒井退造の一面も掲載されているので、全文紹介することにした。

<荒井退造>

栃木県出身、昭和18年7月、福井県官房長から転任。警察警備隊を解散した6月9日ごろは非衛生的な壕生活と栄養失調でひどく衰弱していた。なんとか脱出して戦闘の状況、官民の惨苦を内務省に報告したいと嘆いていたが、その体ではどうにもならなかった。そこでこの任務を伊野波盛和警防課長(国頭への脱出行で6月16日夜港川の海を泳いでいて鉄条網にかかり集中射撃を受け戦死)に命じ、島田知事と6月12日、巡査部長仲村兼考を同伴、摩文任岳の軍司令部の壕に移っていった。

部長は長参謀長に「軍と運命を共にしたい」と決意を述べたところ、長参謀長は「警察部長は行政官であるからそれには及ばない。最後まで体を大切にされる様に」としきりにとどめたと伝えられる。

住民が、いろいろのデマに迷されたり「どうせ死ぬなら海の上で死ぬより、郷里で死んだ方がよい」などの声の中で、敢然疎開を推進し、10万余の疎開の恩人とされている。

「沖縄の奴等は、目先が利かない。睫毛に火がついてからあわてても、わしは知らんぞ」とどなりながらどしどし計画をすすめ、軍と交渉を重ね、輸送計画を立てた。それでもはかばかしくないので警察官、県庁職員の家族を率先、疎開させて促進した。

本島北部の疎開受入地を管轄する塩屋警察署を名護町に設置、開庁式が沖縄作戦開始の3月23日であった。伊場内政部長は帰任せず、病気の牧経済部長も転地のため引揚げて、島田知事着任までは実質上の責任者であり、着任後は唯一の相談相手であった。

同著は10月空襲に鉄カブト姿で陣頭指揮の様子など伝えているが、山川氏は1946年(昭和21年)の日誌に「疎開者帰る。この朗報に、妻子と離れていた夫や、明け暮れ九州の空を仰いで、肉親の帰る日を待ち焦がれていた人々の、歓喜のどよめきが聞こえる。それにつけても思い出すのは、荒井氏のことだ。彼は疎開を強引に行った。若し、疎開をただなりゆきにまかせていたら、一体どうなったであろう。

島尻で砲弾や機銃に撃たれて、あえない最後をとげた幾万の人々。あるいは手を、足をもぎとられ、血まみれになりながら、親は子を、子は親を呼びつづけていた悲惨な姿…。または国頭の山で栄養失調と、マラリアのために死んでいった人々を思いうかべて、慄然とする。10万余の疎開者よ。荒井さんは皆さんの帰りを草葉の陰で、どんなにか喜んでいることだろう」と記したとのことである。

それにしても、兵庫県立兵庫高校は、大した高校だ!1964年というと、東京五輪開催の年であるし、戦後20年しか経っていない。それなのに、こんな“立派な書籍"を発行したことには、ただただ驚くばかりだ。

さて、荒井退造であるが、どうか映画化出来ないものか。なんといっても、退造は昭和18年7月に沖縄県に赴任し、疎開政策では一番苦労した人物である。その意味で、退造を映画化すれば、必然的に戦時中の沖縄県の苦悩が解る。いつの日にか、映画化されることを楽しみにして、ひとまず“荒井退造のその後"を終わりにします。

数値から見えた老化現象の速度

今月も定期購読の情報誌「選択」を読み終えた。その中で、「小さくなっていく日本人」(著者=米国在住内科医・大西睦子)が勉強になったので、紹介することにした。先ずは、少し長くなるが、一部を抜粋したい。

○日本人の平均身長は、1960年代初期に生まれた世代で頭打ちになった。栄養状態が改善されて、遺伝的な潜在能力の上限に達した可能性がある。ただし、気がかりなのは、男性は79年、女性は77年に生まれた世代をピークに、毎年平均身長が少しずつ小さくなっていることだ。

○男女とも30歳頃から身長の低下が始まり、その速度は加齢に伴って高まり、特に70歳以降に加速する。具体的には、男性だと30〜70歳までの間に平均3㌢、80歳までに平均5㌢、身長が縮んだ。女性は30〜70歳までの間に平均5㌢、80歳までに平均8㌢と、より大きく減少した。

○顔の骨も加齢に伴い縮小し、周りの筋肉や皮膚がシワとなり老け顔になる。…筋肉組織の量と質の低下は、40歳代より前に始まるとも言われ、そして徐々に減少していく。以前の研究報告では、40歳以降、一般的には10年代ごとに、8%以上の筋肉量を失い、さらに70歳以降に加速するということだった。

○そして脳。脳の重さは出世時に約400㌘で、青年期までに約1・2〜1・4㌔まで大きくなるが、20歳を超えると発育が止まり少しずつ小さくなる。特に、脳の重さは、40歳以降、10年ごとに約5%の割合で減少し、70歳を超えると加速する可能性が広く知られている。

○生活の質の高い自立した人生を送るためには、痩せるより、痩せないように努力することの方がよっぽど重要だ。…米国所得トップ1%の平均寿命は男性87・3歳、女性88・9歳だ。米国人は太って不健康なイメージがあるかもしれないが、裕福な人たちはバランスのいい食事をしっかり取って体の機能を維持し、自立した生活を楽しんでいる。日本人も、そろそろ痩せ信仰はやめて、もっとしっかり食べるべきだ。

筆者も、年をとると身長が縮むことは理解していたが、これほどはっきりした数値を初めて知った。筆者の友人の一人も、身長が2㌢以上縮んだと嘆いていたが、何ら不思議なことではなかった。また、痩せるだけが、健康の秘訣ではないことも理解できたと思う。

このほか、気になる記事が3本あったので、紹介する。

○米国の「学生ローン」が大変な状況にあるという。既に学生ローン利用者が4420万人に達し、その債務総額は1・34兆ドルで、自動車やクレジットカードのそれを上回っている。学生ローン残高20万ドル以上は40万人で、60歳以上が急増して今や280万人にもなり、全体の6・4%を占めている。その債務総額は660億ドルと、60歳以上だけで日本学生支援機構の年間貸与総額1兆円の6倍という。

自衛隊の中に、中国人の「親・妻」を持つ隊員が増加中という。13年に報じられたデータによれば、外国人と結婚した者は14万人の陸上自衛隊員のうち約500人、4万2000人の海上自衛隊員の中で200人、4万3000人の航空自衛隊員のうち100人。総計で800人の配偶者が外国人で、このうち7割弱を中国人が占めた。

福島第一原発廃炉計画、「技術戦略プラン」の策定が大詰めを迎えているという。ところが、原子力専門家の中には「3基合わせて、約880トンの燃料デブリのうち、回収できるのはせいぜい半分」と発言している者がいる。また、別の原子力関係者は「おそらくチェルノブイリ方式しなないだろう」とつぶやいているという。

以上、気になる記事を紹介したが、コメントは致しません。聡明な皆さんが、自分なりにこの情報を消化して下さい。それにしても、我々の周りには、北朝鮮の核脅威、世界的な格差社会、AI(人工知能)の脅威的な進化がある。でも、私たち国民は、しっかりと現状を把握して、世界の動きについて行きたいと考えている。

旭川市をもっと重視したい

6月27日の深夜、NHKBS1の番組・北海道スペシャル「“鉄路縮小"の衝撃〜どう守る北海道の公共交通〜」(昨年12月末、北海道で放送された1時間15分間番組)を観た。番組では、昨年11月、JR北海道が「当社単独では維持困難」とする路線を取り上げ、廃止すると「街の衰退に繋がる」「人口減少に発射がかかる」との道民の声を紹介していた。また、番組に出演した遠軽町長が「札幌周辺だけ鉄路を残して、北海道はどうなるのか」との意見を述べていた。まさに、JR北海道の維持・再建は、北海道最大の問題であることを改めて感じた。

というわけで、今回は以前から気になっていたことを取り上げる。それは、多くの鉄道アナリストが「網走・北見〜札幌間は、石北本線ではなく、廃止された池北線(池田〜北見)を利用するべきであった。返す返すも残念」との見方である。つまり、トンネルの多い石北本線よりも、トンネルが少ない池北線の方が、少ない投資でスピードアップできたという見方である。その意味するところは、“石北本線の廃止はやむを得ない"と同意語で、まさに“土地勘"のない者の見方と思う。そこには、旭川市の重要性や、オホーツク管内との結びつきを無視した見方で、とてもでないが賛同できない。

そこで筆者は、北海道に置ける旭川市の重要性と、石北本線沿線に対する影響力を説明したい。旭川市は、札幌市に次ぐ第2の人口規模(34万人)で、北海道のほぼ中央部に位置している。そのため、明治時代の初期には、北海道開発のために、道庁を札幌市から旭川市に移すべきとの意見もあったようだ。そのくらい、旭川市の位置は重要である。

現在、石北本線宗谷本線の列車は、旭川市を通って、北見・網走や稚内に向かう。ところが、石北本線が廃止されると、稚内に向かう列車しか通らない。必然的に旭川市は活気がなくなるし、オホーツク管内北部(遠紋地方)は不便になる。この点を考慮すれば、そう簡単に“石北本線の廃止"に繋がる意見には賛同できない。

さらに、オホーツク管内の人たちは、長年旭川市を通って札幌に行くので、旭川市には親近感を持っている。一方、旭川市も、近隣の市町村に対しては、それなりの影響力がある。例えば、

○旭川裁判所の管轄区域には、オホーツク管内北部が入っている。

旭川市は、稚内市やオホーツク管内北部の患者の高度医療を担っている。

高校野球の北・北海道大会は、毎年、旭川市スタルヒン球場で開催している。

補足すると、稚内市やその近郊の高度医療が必要な患者は、旭川医科大学が担っていると聴く。また、筆者の同級生が60歳前後で亡くなったが、その際には遠軽町から旭川市まで、救急患者のドクターヘリで搬送されたと聴く。つまり旭川市は、高度専門医療機関が過疎地の患者を受け入れたり、道北や道東のスポーツ大会を開催する“拠点都市"でもある。また、旭川市は観光都市としても魅力的であるが、そのほかに道北や道東の観光地への出入口という側面もある。

以上、旭川市石北本線沿線との関係を説明した。要するに、札幌までの時間短縮を考えるのでなく、北海道全体のことを考えて欲しい。時間短縮を実現するならば、新たに石北トンネルを建設すれば解決する問題である。札幌だけ繁栄しても、地方が衰退するならば、北海道全体のためにならない。その点を考慮して、今後の交通体系を考えて欲しい。

今後のことを考えると、道庁機能の一部を旭川市に移すことも必要ではないのか。JR北海道の経営が厳しくなった背景には、札幌市への人口流入の多さもある。今や札幌市の人口は195万人で、道内人口の5分の2に達している。だからこそ、道庁職員を全道に配置する政策も“あり"と考えるのだ。

それにしても、2030年度の北海道新幹線幌延伸が待たれる。札幌延伸後には、豪華観光列車を「札幌〜帯広〜釧路〜網走〜旭川〜札幌」間に走らすという“夢物語"が現実化する。その“夢物語"を断念させないために、速やかに“道と国"が関わるべきだ。沿線自治体と話し合っても、根本的な解決策に至らないのだから…。

JR北海道の“夢ある" 将来ビジョン

今回、再びJR北海道を取り上げる。なぜなら、昨日発売の「鉄道ジャーナル」(8月号)に、注目すべき記事が掲載されていたからだ。

今月号は、JR北海道の“特集"ということで、昨年11月に「当社単独では維持することが困難」と公表した根室本線(根室〜釧路)、釧網本線石北本線宗谷本線(名寄稚内)の旅行記(一泊二日)が掲載されていた。だが、面白い記事であったものの、改善策などが全く指摘されておらず、多少不満な内容であった。ところが、国鉄改革30年その3「新幹線物流が動き出すーJR貨物JR北海道の明日につながる」(九州旅客鉄道株式会社初代代表取締役社長・石井幸考) という記事には驚いてしまった。驚いた理由は、JR北海道の目指す方向性として4つ挙げ、その二番目に「②北海道新幹線を上手に物流に使って貨物輸送基盤提供企業の立場を重要視する。将来的には札幌以遠稚内、網走、釧路方面を標準軌改築して、コンテナ新幹線の乗り入れも視野に入れる」と提案していたからだ。

石井氏の提案には、北海道の鉄道は“旅客輸送よりも貨物輸送の方が圧倒的に比重が大きい"という背景がある。例えば、「青函トンネル北海道新幹線開業以前、列車本数81本(往復)のうち51本が20両(+機関車)編成のコンテナ列車であり、30本が3〜7両の旅客列車(特急「白鳥」とローカル)であったから、通過車両数で数えるとなんと85%の貨物大動脈なのである。この事情は、北海道新幹線も同じで、コンテナ新幹線が走れば、旅客列車よりはるかに多い貨物列車が走る新幹線であることを認識するべきである」と解説している。さらに、数年前から提唱してきた“新幹線物流の動き出す時がきた"という時代分析も行っている。

このほか、石井氏は「北海道新幹線も含め青函トンネル通過列車について、旅客輸送需要が少なく、貨物輸送のほうが圧倒的に多いという視点が欠落している」と指摘して、将来的には「フル新幹線とミニ新幹線(標準軌改築)の組み合わせによって、比較的廉価な投資で標準軌化・新幹線化ができる」と説明をしている。石井氏の改革案に対しては、筆者も簡単なことではないと重々承知しているが、将来ビジョンが新幹線の札幌延伸以降である以上、今から準備できることは、今から準備するべきと思う。石井氏の改革案は、鉄道好きの者に夢を与えるし、鉄道本来の大量輸送、定時性、安全性という優れた特徴を十分に発揮するものである。

そこで筆者は、もしも30年後に札幌以遠が標準軌化した時、北海道の特急列車はどのくらい時間短縮するのかを予想してみた。その際には、さらに石北本線の石北・常紋両トンネルの建設、遠軽駅スイッチバック解消、宗谷本線の音威子府駅幌延駅間の直線化、根室本線の新・新狩勝トンネルの建設、池田駅〜白糠駅間の直線化が実現したとして予想した。まさにミニ新幹線の完成で、旅客列車の最高速度は160㌔になり、札幌から旭川間は1時間、遠軽間は2時間、北見間は2時間半、網走間は3時間、名寄間は1時間半、稚内間は2時間半、帯広間は1時間半、釧路間は2時間半になる。現在よりも、大幅な時間短縮が実現する。

石井氏は、最後に「今や必要なのはスピードである」、「世界は『鉄道は国家なり』『鉄道は国力なり』の時代に、再び来ている」と解説して終了している。その意味で、北海道の公共事業に携わる者は、多少の“夢物語"を持ち、先見性のある将来ビジョンを打ち出して欲しいのだ。

JR北海道の現状と改革案

筆者は、大の鉄道好きかもしれない。だからこそ、都内の書店で「全国鉄道事情大研究ー北海道篇」(著者・川島令三、2017年4月19日発行)という新刊を見つけると、迷わず購入してしまう。川島氏の著書は、以前に数冊読んでいるが、その知識の豊富さと、鉄道路線の改革案に対しては、大変驚いたものである。そのような経験から、川島氏がJR北海道に対して、どのような提案をするのか、期待と楽しみを持って熟読した。

筆者は以前、絶対に廃止してはならない路線として、札幌〜網走間、札幌〜稚内間、札幌〜根室間を挙げた。ところが、昨年11月、JR北海道が「当社単独では維持困難」とする10路線13線区を正式発表した中に、石北本線宗谷本線(名寄稚内間)、根室線(釧路〜根室間)、釧網線が入っていた。という訳で、上記4路線を取り上げて紹介することにした。

1.石北本線

◇高速バスの札幌〜網走間の所要時間は6時間、札幌IC〜丸瀬布IC間で高速道路を使うクルマの場合は4時間45分である。特急「オホーツク」は5時間20分程度だから、バスよりも速いが、クルマには完全に負けている。また、高速バスの運賃は6390円、特急「オホーツク」の運賃と料金の合計は通常期で9910円なので、時間がかかっても高速バスを選ぶ人は多い。今後、丸瀬布から北見に向けて高速道路が延びていく。高速バスよりも所要時間を圧倒的に短くしないと、特急「オホーツク」は利用されなくなってしまう。そのためにはスピードアップが必要である。

…上川〜白滝間の石北峠を一気に単線トンネルで貫通させ、160㌔運転をすれば35分は短縮する。新形気動車を走らせるのだから他の区間でも短縮することから札幌〜網走間の所要時間は4時間30分をきることは可能である。これで一気に利用者は増える。相当な費用が必要になるが、道路整備費に比べれば安いものである。◇

誠に、ごもっともな指摘・提案である。例えば、特急「オホーツク」が石北トンネルを越える際、上下線とも時速30〜40㌔くらいの速度でトンネルに向かって行く。そのため、筆者は若い頃に利用した際には、“走った方が速いのではないか"と思ったものである。多分、全国の特急列車の中で、“最も遅い区間がある"特急列車だと思う。

そこで筆者も提案したい。石北トンネルは、長さ4356㍍で、完成は1932年(昭和7年)である。当時としては、長大トンネルであったが、現在ではそれほど長いトンネルではない。ここは、15〜20㌔のトンネルを新たに建設するべきだ。更に、常紋トンネル(507㍍)は、完成が1914年(大正3年)であることで、構造物の老朽化が問題になっており、新たに5㌔前後のトンネルを建設するべきである。このほか、遠軽駅スイッチバックの解消も考えるべきだ。廃止されるくらいなら、地元は何でも協力するハズだ。

2.宗谷本線

◇クルマで札幌から稚内まで行くには道央自動車道と西海岸経由のオロロンラインを通ると5時間ほどかかる。スピードダウン前の「スーパー宗谷」も5時間弱と同じだが、クルマよりも列車が便利だと感じるためには4時間半以下にする必要がある。そのためには別ルートの高速線を建設しなくてはならない。これは大変な経費がかかり、現在のJR北海道では無理であり、その株主の鉄道運輸機構も、そんな予算を出せる余裕はまったくない。…結局、究極的には名寄稚内間の廃止か、一歩譲って冬期運休の観光鉄道にするしかない。その場合、JR北海道単独で運行する方法と、大手ツアー会社とのタイアップ、または大手ツアー会社が運営する第二種鉄道事業者の参入かである。◇

多少、悲観的な見方であるが、著書を読んでいると、名寄以北の路線は、天塩川に沿って建設されているので、カーブ・蛇行の連続である。例えば、筬島駅〜佐久駅間では、北に向かっている列車が、2回ほど南向きに走るという。そこで筆者は、音威子府駅幌延駅間は、新たに路線を建設するべきと提案したい。新路線であれば、確実に30分は時間短縮出来る。

3.根室線

根室本線が大きく変わる可能性が考えられる。北方四島のうちの歯舞、色丹島根室に近い。日本が何らかの形で、これらの島の開発にかかわるとすれば、その資材輸送の基地として根室港が使われる可能性がある。そうなると札幌貨物ターミナルから根室駅にはかっての貨物ヤードが空地のまま残っている。すぐに貨物ヤードは復活できる。◇

要するに、北方領土問題が解決した後の可能性を述べている。しかしながら、現実は無法国家・ロシアが相手である以上、簡単なことではない。

4.釧網線

釧網線は石勝・根室本線と函館・石北本線を結んで周遊ルートを形成している。釧網本線がなくなるとクルーズトレインを走らせても、石勝・根室本線あるいは函館・石北本線を往復するだけのつまらない観光クルーズになってしまう。

JR北海道が赤字のため、このようなクルーズトレインは運行できないというのならば、ツアー会社などが運営して、豪華な、あるいは大衆的な観光列車を走らせればいい。◇

多少、夢のある話しであるが、その通りと思う。補足するならば、釧路湿原と釧北トンネル(549㍍)付近は、釧網線に沿って道路が通っていないことを考慮するべきである。

以上、4路線の現状を紹介すると共に、廃止を避けるための提案をした。要は、いかにスピードアップするかなのだ。そうであるならば、新たに“直線的な新路線を建設する"ことは、避けて通れない問題と言える。また、北海道の鉄道の橋やトンネルの約1割が、築100年以上という現実を考えると、思い切った路線変更のチャンスと考える。

というものの、新たな路線建設や維持には、莫大な資金が必要である。だから、筆者は以前から「北海道開発費」を投入することを訴えている。多い時には、1兆円を超す「北海道開発費」は、どこに投入して消えてしまったのか。先見性のない人物が、北海道開発庁や道庁の幹部に就任していたから、今日のJR北海道の現状を招いた面もあるのではないのか。その意味で、現代を生きる者は、未来人から批判される“愚策"は避けなければならない。

ラグビー合宿の聖地・網走市

今回は、ラグビー合宿の聖地・網走市を取り上げる。網走市は1987年、地域経済の活性化策としてラグビー合宿を本格化、89年に当時は珍しかった天然芝グランド(7面)を造成したことを機に、日本代表を含む国内一線級のチームらが毎年、合宿するようになった。

5月末、ネットで北見・網走オホーツクのフリーペーパー「伝書鳩」(5月24日付け)を見たところ、網走市ラグビー合宿をテーマにした“漫画本"が完成したという。さっそく、網走市教育委員会に電話を入れたところ、40代と思われる男性が「こちらには、販売する部数がない。スポーツ庁が出版したので、そちらに連絡して欲しい」とのこと。スポーツ庁に電話を入れたところ、何やら“ネットで購入する"というので、知人に頼んで漫画本を入手した。

漫画本のタイトルは「ラグビー合宿の聖地へ〜北のスポーツ基地網走〜」(500円、60ページ)で、作画は公募で選ばれた札幌放送芸術専門学校・なつき凛という。漫画本の中身を紹介すると、

○最初の合宿は、1988年6月のソウル五輪日本代表の直前合宿。ボート、バドミントン、女子体操、陸上(長距離)の4競技の合宿。

○88年7月、法政大学ラグビー部が網走で初めて合宿。法政大学に勤務する網走出身の先生を頼り、交渉を行った結果。

○97年夏、東芝府中ラグビー部監督・向井昭吾が「ここの芝は素晴らしい」と絶賛したことで、その後、社会人チームが増加。

○15年度のスポーツ合宿実績は、実人員は1735人、延べ1万5677泊。経済効果は5億7800万円。

実は5年前の5月、友人二人を誘って北海道旅行を敢行した際、網走市の素晴らしいグランドを、国道上から多少把握した。漫画本の中でも「日本一の芝」と自慢しているが、まさしく青い芝が広々と広がっていた。また、グランドの近辺には、網走湖網走川があるので、ロケーションがいい。更に、食事が美味しい。我々一行は、昼食として、網走市呼人に所在する「松尾ジンギスカン店」に入った。店は古びていたが、ジンギスカンの味は絶品であった。また、追加の野菜として、アイヌネギ(ギョウジャニンニク)を注文したが、それが旨いことと言ったらなかった。冷凍されたアイヌネギであったが、店の女性は「ラグビー選手が合宿の時には、選手たちが食事の間に、アイヌネギを食べに来る。選手が言うには『疲労回復やスタミナがつく』と言っていた」と教えてくれた。

という訳で、素晴らしい合宿地であることは間違いないが、残念なこともある。それは、筆者の高校時代から、網走市の高校(当時は3校か)にラグビー部がないのだ。特に、網走南が丘高校は、1922年(大正11年)に旧制網走中学校として開校したので、当然のごとく“エリートスポーツ"であるラグビー部が設立されてもいいと考えるが、どうしたことか昔からラグビー部がない。そのため、合宿中の選手たちが、網走市の子供たちにラグビーの楽しさを教えても、高校の部活動でラグビーをしたい生徒は、美幌町北見市の高校に進学せざる得ない。これでは、末長く網走市ラグビーが定着するのか、心配になる。

前述の網走市教育委員会の男性と対話した際、筆者が「私の高校時代には、網走市の高校にラグビー部が存在しなかった。それ以後もラグビー部が設立されなかったのか」と尋ねたところ、同人は「そうです。指導する先生が来てくれないのです」と答えた。そこで筆者は「それは違うと思う。10年前には、常呂高校という小さな高校に、熱心な先生が赴任した。網走市が、熱心にラグビーを指導する先生を招請しないからだ」と述べたが、相手方からはこれ以上の説明はなかった。

このほか、決定的な理由として、網走市出身者の中から、ラグビーを指導する教諭が現れなかったという背景もあるかもしれない。例えば、北見北斗高校の場合、全国大会準優勝4回だけあって人材は多士済々。遠軽高校の場合には、旧制遠軽中学卒、日体大卒のOB・有働先生(昭3年生、保健体育)が、母校に赴任してラグビーを普及させたという経緯がある。その意味で、網走市出身者の中に、ラグビー好きの先生が現れなかったことは寂しいことである。

もしも今後、網走南が丘高校にラグビー部を設立するとしても、余りにも遅過ぎる。何故なら、網走南が丘高校は、20年度から1学年5クラスから1クラス減らすという。これでは、大人数でプレーするラグビー部設立は無理かもしれない。それを考えると、ラグビー環境は素晴らしいが、ラグビーに親しんだ人材を欠いたラグビー合宿地と言えるかもしれない。

今こそ「宇都宮アリーナ」の新築を!

バスケットボール男子のプロリーグ「Bリーグ」の決勝が5月27日、東京・国立代々木競技場で開催(入場者1万144人)され、栃木ブレックス川崎ブレイブサンダースを85-79で破り、初代王者に輝いた。この事実を知って、筆者は「今こそ、『宇都宮アリーナ』を建設する時だ。絶好の追い風が吹いている。この機を逃す手はない」と思った。

以前にも書いたが、筆者は15年前から数年間、栃木県のアイスホッケーチーム「日光アイスバックス」の経営に関わった。その際、栃木県の有力者に対して、「アイスバックスを強化するため、宇都宮市内に1万人規模のアリーナを建設して欲しい」旨のお願いをした。しかしながら、趣旨は理解してくれたものの、「宇都宮市に1万人の観客を呼べる競技種目があるのか」という反応が多く、賛同を得なかった。だが、栃木ブレックスのファンを見ていると、今や“夢物語が夢物語でなくなった"との感じを受けた。

「Bリーグ」初代チェアマン・川淵三郎氏は、昨年末に発売された週刊誌「東洋経済」(16.12.31)で、日本の室内競技場の現状を説明している。“なるほど"という内容であるので、その一部を引用する。

(バスケットボール会場に行って)初めに思ったのは日本にあるのは体育館で、アリーナじゃないってこと。アリーナというのは、やっぱり選手だけでなく観客のことも考えた施設で、居住性に優れ、リピーターになりたいだとか、ホームの雰囲気だとか、そういったものを感じられる所。プロは、「アリーナ」を造らないかぎり、発展するわけない。

…ポイントはアリーナ。盛岡市長が「5000人収容のアリーナを造る」と言ってくれた。沖縄は1万人のアリーナ。東京にもいずれできる。有明アリーナができれば、東京五輪がエポックメーキングになると思う。マディソン・スクエア・ガーデンを超えるようなアリーナが東京にないことのほうがおかしいんだ。

今、青山学院大学が施設を改修してBリーグのチームのホームとして使わせてくれたりしているが、今度東大もアリーナを造ってくれると。スポーツをめぐる環境は本当に変わってきたんだと思うよ。

また、川淵氏は、「Bリーグ」決勝後、報道陣の取材に応じているが、その話の内容は、

ー満員となった観衆にも触れ「(チケットが)すぐに売れ切れたと聞いている。1万五千席でも完売したと思う。やる人のための体育館はいっぱいある。見る人が非日常を体験できる画期的なアリーナをもっとつくってほしい」と訴えた。(産経新聞より)ー

ー「1万人入れば御の字じゃなく、1万五千人のアリーナをつくるのが常識だよ。今日なら1万五千人でも完売していた」と新アリーナの必要性を訴えていた。(スポーツニッポンより)ー

即ち、筆者が15年前に訴えたことを、現在、日本のスポーツ界に最も影響力のある川淵氏が、“さすが"という内容で訴えている。ある面、やっと理解してもらえる時代になったのかもしれない。そうであるならば、栃木県のバスケットボールとアイスホッケーのファンは、ともに手を携えて「宇都宮市にアリーナを」と訴えて欲しい。ファンのリーダーシップによるとこが大きいし、変化の兆しがはっきりと表れているからである。

だが現実は、栃木県が22年の国体開催を見据えて、「新スタジアム」(工期=19年9月30日、入札額=133億円)の新築。また、宇都宮市は、次世代型路面電車(LRT)の建設(事業費=383億円)という難題を抱えている。そのため、行政側から「それどころの話ではない」と言われそうだが…。

しかし、栃木県にはアリーナを建設する余地がある。それは、栃木ブレックスの本拠地「宇都宮市体育館」(1979年開館)の収容人数が2,900人。また、アイスバックスの本拠地「霧降アリーナ」は、固定席1604席、立見席392席である。さらに、栃木県体育館は、1965年オープンで、固定席は1920席であるからだ。行政側は、トップアスリートに対する最高の支援策が、アリーナ新築であることを忘れないで欲しい。その意味で、栃木県のアリーナ新築事業の可否は、栃木県の“スポーツ文化の進度"を試す試金石と思う。

アイスホッケーに関しては、栃木県は非常に重要な地域である。何故なら、宇都宮市の盛り上がりが、今後のアイスホッケー界の盛況に直結しているからだ。現状を報告すると、日本は長野五輪以来5大会連続で出場を果たせず、世界ランキングも23位と下落基調が止まらない。2020年東京五輪のバレーボール会場として、「有明アリーナ」(観客数1万五千、建設費約340億円)が建設される。このアリーナは、全てのボールゲームと、アイスホッケーやフィギュアスケートなど、冬季の大会もできる施設という。その冬季の大会が開催できる施設が、北関東の最大都市・宇都宮市にもう一つ存在しても良いと思う。何と言っても、栃木県は関東地方で、ウインター・スポーツの理解度がナンバーワンという背景があるからだ。それだけに、栃木県の責任は重いのだ。

思い返すと、宇都宮市は、羨ましい都市である。その理由は、程良い距離(約100㌔)に東京があるので、そほど努力しなくても大企業が進出する。その結果、14年度の県民一人あたりの所得は全国4位(13年度3位)。つまり、豊かな県民が多いのである。このほか、宇都宮市近辺を掘削すると、どこからも良質な温泉が湧き出てくる。そのため、宇都宮市の周辺市町村には、それはそれは立派な「公共温泉施設」が存在する。

以上、宇都宮市の現状などを説明したが、そこには“五十万都市宇都宮"に期待する部分がある。多くの地方都市は、都市計画の中で「何を目標にすべきか」「何が出来るのか」「どうあるべきか」などを模索している。そんな中で、地域的に恵まれた宇都宮市が、将来的には“模範都市"として存在感を示すと考えている。