荒井退造の記念討論会の開催状況

7月30日午後1時から5時半までの間、宇都宮市立南図書館で、荒井退造(元沖縄県警察部長)の功績を学ぶ「討論会」が開催された。討論会のテーマは「退造の生きざまから、何を学ぶべきか」で、退造と島田叡(元沖縄県知事)の二人の顕彰に取り組む沖縄、栃木と島田の故郷・兵庫の3県の関係者ら約450人が参加した。

最初に栃木県知事が「一昨年、沖縄県の『栃木の塔』と『島守の塔』を参拝した。これからは、沖縄、栃木、兵庫のトライアングルで“平和交流"を推進して欲しい」旨の挨拶があった。引き続き、ノンフィクション作家・田村洋三が基調講演を行った。

○この会場には、沖縄県から17人(うち3人が栃木県出身者)、兵庫県から7人が参加している。特に沖縄県からの参加者は、全て沖縄戦に関係した人たちの縁者で、このうち8人の縁者から取材した。2003年に「沖縄の島守ー内務官僚かく戦えり」という本を出したが、私は「二人の島守」というタイトルにしたかった。しかし、出版社の意向で「沖縄の島守」になった。

沖縄県は、戦後6年後に旧県庁の生存職員などから浄財を集めて、「島守の塔」と「終焉の地」碑を建立した。また、島田知事の母校・兵庫県立高校では、昭和39年に当時の姉崎校長が中心になり、三つの事業を行った。その一つが、高校野球の「島田杯」の制定である。

○ところが、栃木県での顕彰作業は2年前から始まった。この差はどこに原因があるのか。それは栃木県民の“謙虚"にある。しかしながら、実は私にも責任がある。退造の息子・紀雄さん(自治省官僚)と会って取材したが、紀雄さんが「沖縄であれだけ犠牲者を出しており、身内のことは何も喋りたくない。栃木の取材はしてくれるな」と言われた。この言葉で、新聞記者であるにも関わらず、従順にも取材を中止してしまった。その意味では、退造の顕彰作業が遅れた原因の一つに、私にも責任もある。つまり、“謙虚"の美徳と“従順"は正史の邪魔であるのだ。

○最近、退造の精神構造を知ろうとすると、どうしても退造の母校・宇都宮高校の教育理念「瀧の原主義」に行き着く。配布した資料の中に「瀧の原主義」(明治41年発行)の文章が掲載されている。その51行の文章の始めに、

<何をか瀧の原主義となす、曰く剛毅なるにあり、元気なるにあり、沈勇なるにあり、自重なるにあり、活躍的精神に富めるにあり、気概心あるにあり、高潔なるにあり、義来心あるにあり、天空海闊の襟度にあり、男子らしきにあり、…>

という部分がある。そこが、退造の精神的バックボーンと考える。

○海軍司令官・大田實少将の電文「沖縄県民斯ク戦ヘリ」(6月7日)は、退造の絶筆電報「六十万県民ただ暗黒なる壕内に生く」(5月25日)が下敷きなっている。

次いで、司会者・下野新聞社会部長の下、パネラー6人によるパネルディスカッションが行われた。

①嘉数昇明・元沖縄県副知事

○一昨年、初めて宇都宮高校を訪ねて、「瀧の原主義」を知った。退造の精神が、今も引き継がれていることを知り“これだ"と思った。

○私は昭和17年生まれで、2歳の時に大分県疎開した。その意味で、二人がいなければ、生きていないし、今日の沖縄もない。

②小林正美・兵庫県立兵庫高校武陽会副理事長

○島田の母校・兵庫高校は、昭和39年に当時の姉崎校長が、島田先輩の顕彰を行った。その結果、沖縄県の新人野球大会の優勝校に「島田杯」を贈ることになった。

○第三部のテレビドラマは、私の同級生の藤原デレクターが制作した。このドラマを通じて、今後の“平和活動"に繋げて欲しい。

○若い人や世界の人たちに、二人のことを知って欲しい。そこで、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界の記憶」に申請する準備をしている。

③太田周・前作新学院大学学長

○作新大学は、栃木県出身者が7割を占め、そのまま地元に住むことになるので、一昨年から地域のことを学ぶ「栃木学」を始めた。そんな中、退造を知ることは、まさに「栃木学」に繋がるものと考える。

○田村氏から“謙虚"と“従順"は良くないという話しがあった。私も長野県上田市の出身であるので、田村氏の話しには納得した。

④小柳真弓・栃木県立宇都宮南高校教諭

○会場に到着したところ、会場入口に行列が出来ていたので感動した。栃木県でも、やっと荒井退造のことを知る人が多くなった。

○私は社会科の教師で、一昨年、真岡工業高校に在籍した時、知り合いの漫画家に荒井退造の漫画本(ーまんがで学ぶー「疎開の恩人」荒井退造おきなわ奮闘記)の制作を依頼した。原案は私が作成したが、女性らしいタッチで、結構評判が良い出来上がりになった。定価は300円ですので、若い人の教育に利用して下さい。

斎藤一郎・栃木県立宇都宮高校同窓会長

○昨年3月、校長を務めていた宇都宮高校の野球部員と共に、沖縄県を訪れた。この際、沖縄県高校野球連盟に対して、兵庫県立高校が贈った「島田杯」と同じ趣旨で「荒井杯」を贈呈した。試合は、二試合とも地元高校に惨敗した(笑)。

○先ほど、田村氏から「瀧の原主義」の紹介があった。私は、次の文章が重要だと思います。

<人物たるへしと云へるは敢て歴史上の人たるへしと云ふにあらす、是を大にして天下国家の人物たるへし、是を小にしては一村一郷の人物たるへし、歴史上に名を陳ねたるか故に人物なりとは称すへからす、瀧の原主義を具體的に現はすの人たれよと云ふなり、此主義を他に鼓吹し他を感化する偉大なる力ある人たれよと云ふなり、生命は限りあり、歴史も亡ふることあり、濁り人間の感化力に至りては永遠に渉りて渝らす亡ひす滅せさるなり、…>

⑥長谷川薫・明治大学校友会栃木県支部

○2年前、荒井退造を顕彰している人から「退造は夜学の明治大学を卒業している」との話しがあり、さっそく調べてみた。確かに、退造は大正13年に入学して、昭和2年に卒業していることがわかった。

○明大交友会は、全国に約34万人の会員、栃木県にも約5300人の会員がいる。そこで、偉大な先輩を慰霊するために、今年の「交友会総会」を11月28日に沖縄県で開催することにした。その前日の27日には、退造の慰霊祭を行う。

☆ゲスト・田村洋三

○私は2003年に「沖縄の島守」という本を出したが、そのきっかけは、大阪読売新聞記者時代に、沖縄戦を取材した時の古老の言葉にある。沖縄県の南部に、村民の40〜50%が亡くなった村を訪ねた際、ある古老が「大阪の人だから、島田知事のことも書くのだろう」と言われた。何もわからずに取材していたが、いつもあの言葉が気になっていた。

最後は、ドキュメンタリードラマ「生きろ〜戦場に残って伝言〜」(制作TBS、2013年作品)を上映(約90分)して終了した。

今回の討論会のキーポイントは、沖縄の言葉で「命こそ宝」という意味の「命(ぬち)どぅ宝」ではなかったか。複数のパネラーも触れた言葉で、退造も島田も現地の人々に呼び掛けていたという。

それにしても、こんなにも早く沖縄、兵庫、栃木のトライアングルが実現するとは考えていなかった。そこには、三県の人たちの底流に“今の平和を維持したい"という願いがあると思う。いつまでも、平和が持続することを願って、討論会の報告を終わります。

劉暁波の魂は永遠に生き続ける

連日の暑さで、文章を作成する気力も失せている。東京では、7月の31日間のうち、最高気温が30度を超える日が29日との予報があり、これから本番の暑さに心配になってきた。しかしながら、7月13日に中国の偉大な人物・劉暁波(61歳)が、中国共産党に殺されたので、追悼をかねて文章を作成することにした。

思い返すと、劉暁波が懲役11年の実刑判決を受けた理由は、旧ソ連時代にチェコスロバキアの反体制派が人権擁護を求める「憲章77」を下地に、「08憲章」(人権派弁護士ら303人が署名し、同年12月にネットで公表)を起草したことにある。この憲章の内容を紹介すると、

○1949年建国の「新中国」は、名義上は「人民共和国」だが、実際は「党の天下」だ。

○自由は普遍的価値の核心である。言論、出版、信仰、集会、結社、移動、ストライキ・デモなどの権利は自由の具体的体現である。自由が盛んでなければ現代文明とは言えない。

○軍隊の国家化を実現する。(中略)人権を保証し、何人も不法な逮捕、拘禁、召喚、尋問、処罰を受けない。労働矯正制度を廃止する。

憲章の中身を吟味すると、民主主義国家では当然の権利だけだ。しかしながら、中国共産党による独裁国家では、当然の権利が当然の権利にならない。そこが、共産党独裁国家の恐ろしさである。

要するに、中国共産党憲法や法よりも優位な存在であるので、中国共産党の行いに何の歯止めもない。つまり、中国には憲法、法律、規則はあるが、「法の支配」が確立されていないので、中国共産党が法に違反しても何ら問題にならない。中国の憲法や法律は、ただただ“空念仏"になっているので、劉暁波ら真っ当な人たちが、改めて「法の支配」の実現などを訴えた。

筆者にとって、劉暁波の獄中死は、70年代と80年代の旧ソ連時代のことを思い出す。当時は、ソルジェニーツィンとサハロフ博士が有名で、ソルジェニーツィンは74年に逮捕・国外追放され、サハロフ博士は国内に軟禁された。それを考えると、文明国は人権を重視する時代になっているが、依然として中国は旧ソ連と同じような状況に置かれていることがわかる。こんな前近代的な国家が、これからの世界をリード出来るのかと思ってしまう。

先週発売された週刊誌の中で、「ニューズウィーク日本版」(7・25)が唯一、劉暁波が亡くなったことを大きく取り上げた。この現状に対して、元週刊文春の編集長・花田紀凱が「今週くらい日本の週刊誌の国際性の無さを痛感したことはない」と産経新聞(7月22日付け)で批評している。そして花田氏は、2010年のノーベル平和賞授賞式で読もうとしながら、出席がかなわず代読されたメッセージを抜粋している。

妻へのメッセージは涙なくして読めない。

<あなたの愛は高い塀を乗り越え、監獄の鉄格子を貫く太陽の光だ。その光は私の皮膚をなで、私の体の全ての細胞を温め、心に平穏と開放、快活さを常にもらたし、獄中の全ての時間を意義あるものにしてくれる。(中略)たとえ粉々に打ち砕かれても、私は灰となってあなたを抱き締めることができる>

そして祖国への思い。

<私は自分が、中国で綿々と続いてきた言論弾圧の最後の犠牲者となることを願っている。(中略)表現の自由は人権の基礎であり、人間らしさの源であり、真実の母でもある。表現の自由を抑圧することは人権を踏みにじり、人間らしさを抑え込み、真実を封印することだ>

さすが、言論人だ。説得力のある文章を抜粋している。筆者も、ニューズウィークを購入したが、どの部分を紹介するかで迷っていたからだ。

このほか、今月21日には「天安門事件」で学生リーダーの一人だったウーアルカイが、日本外国特派員協会で会見した。その際同人は、記者から「劉暁波の死を受けて、中国の民主化運動は今後どう動くのか」という質問を受けて、「良い質問だ。天安門事件のようなことは、もう一度起こると思う」と述べ、中国政府による抑圧こそが民主化運動を高揚させる最大の要因となり得ると主張した。

それにしても、あの「天安門事件」(89年6月4日)から既に28年の年月が経過している。筆者も、あの事件にショックを受けて、事件直後の日曜日に開催された在留中国人の“抗議集会とデモ行進"を見に行った。会場は、東京・渋谷の公園で、参加人数は五百人か、千人か、二千人かは忘れたが、参加者の怒りと不安そうな表情は今でも覚えている。その時は、近いうちに中国共産党は“打倒されるなぁ"と思ったものだ。

しかしながら、現実は、ソ連共産党の方が早く打倒されてしまった。中国共産党政権も、予想外の展開で打倒されると見ている。なぜなら、我々はこの世の中に“絶対"ということがないことを、ソ連共産党の崩壊で知った。さらに、人権を抑圧する国家に未来がないことを知っているからだ。

栃木の偉人・荒井退造のその後

筆者は一昨年、沖縄戦時の沖縄県警察部長・荒井退造について、4〜5回にわたって紹介した。その後、沖縄県糸満市の「摩文任(まぶに)の丘」に所在する荒井退造の「終焉之地」碑には、栃木県知事や県会議長が参拝(2015年10月27日)したり、県内の高校生が研修旅行の際に訪れるようになった。さらに、退造の母校・宇都宮高校による、沖縄県高校野球連盟に対する「荒井杯」贈呈(16年3月26日)、野球部の沖縄遠征・親善試合、沖縄研修旅行の復活がある。また、宇都宮市の生家には、作家・田村洋三氏の揮毫で「たじろがず 沖縄に殉じた 荒井退造」と刻まれた顕彰碑と資料館が設置(16年11月27日)された。

そうした中、今年6月19日付け「下野新聞」は、「栃木県教育委員会が初めて作製(1万3千部)した県立高校向けの歴史(日本史、世界史)の「資料集」(105ページ)に、太平洋戦争末期に沖縄県警察部長を務めた宇都宮市出身の荒井退造(1900〜45)が取り上げられている。足尾銅山鉱毒事件の被害民救済などに尽力した田中正造(1841〜1913)に比肩する扱いで、家族に宛てた手紙を紹介するなど5ページを割き、3月に全県立高に配布した」と報道した。

そこで、筆者も「資料集」をみたいと考え、宇都宮市の友人に地元書店での購入依頼、栃木県教育委員会に対する電話依頼、地元図書館を通して栃木県立図書館からの入手依頼を行ったが、全て不調に終わった。最後の手段として、近くの栃木県立高校の訪問を考えたが、止めた。このような現状を、栃木県教育委員会はどのように考えているのか?

話を戻す。最近、都内神保町の古本屋で「沖縄の島守島田叡ー親しきものの追憶から」(1964年6月28日発行、約340ページ)という本を購入(3500円)した。この古本は、沖縄県知事・島田叡の母校・兵庫県立兵庫高校が中心なって発行したもので、箱入りの立派なものである。その中に、警察行政を担当した山川泰邦氏の著書「秘録、沖縄戦史」(1958年)から引用した、「島田知事を助けた人たち」という項目がある。そこには、知られざる荒井退造の一面も掲載されているので、全文紹介することにした。

<荒井退造>

栃木県出身、昭和18年7月、福井県官房長から転任。警察警備隊を解散した6月9日ごろは非衛生的な壕生活と栄養失調でひどく衰弱していた。なんとか脱出して戦闘の状況、官民の惨苦を内務省に報告したいと嘆いていたが、その体ではどうにもならなかった。そこでこの任務を伊野波盛和警防課長(国頭への脱出行で6月16日夜港川の海を泳いでいて鉄条網にかかり集中射撃を受け戦死)に命じ、島田知事と6月12日、巡査部長仲村兼考を同伴、摩文任岳の軍司令部の壕に移っていった。

部長は長参謀長に「軍と運命を共にしたい」と決意を述べたところ、長参謀長は「警察部長は行政官であるからそれには及ばない。最後まで体を大切にされる様に」としきりにとどめたと伝えられる。

住民が、いろいろのデマに迷されたり「どうせ死ぬなら海の上で死ぬより、郷里で死んだ方がよい」などの声の中で、敢然疎開を推進し、10万余の疎開の恩人とされている。

「沖縄の奴等は、目先が利かない。睫毛に火がついてからあわてても、わしは知らんぞ」とどなりながらどしどし計画をすすめ、軍と交渉を重ね、輸送計画を立てた。それでもはかばかしくないので警察官、県庁職員の家族を率先、疎開させて促進した。

本島北部の疎開受入地を管轄する塩屋警察署を名護町に設置、開庁式が沖縄作戦開始の3月23日であった。伊場内政部長は帰任せず、病気の牧経済部長も転地のため引揚げて、島田知事着任までは実質上の責任者であり、着任後は唯一の相談相手であった。

同著は10月空襲に鉄カブト姿で陣頭指揮の様子など伝えているが、山川氏は1946年(昭和21年)の日誌に「疎開者帰る。この朗報に、妻子と離れていた夫や、明け暮れ九州の空を仰いで、肉親の帰る日を待ち焦がれていた人々の、歓喜のどよめきが聞こえる。それにつけても思い出すのは、荒井氏のことだ。彼は疎開を強引に行った。若し、疎開をただなりゆきにまかせていたら、一体どうなったであろう。

島尻で砲弾や機銃に撃たれて、あえない最後をとげた幾万の人々。あるいは手を、足をもぎとられ、血まみれになりながら、親は子を、子は親を呼びつづけていた悲惨な姿…。または国頭の山で栄養失調と、マラリアのために死んでいった人々を思いうかべて、慄然とする。10万余の疎開者よ。荒井さんは皆さんの帰りを草葉の陰で、どんなにか喜んでいることだろう」と記したとのことである。

それにしても、兵庫県立兵庫高校は、大した高校だ!1964年というと、東京五輪開催の年であるし、戦後20年しか経っていない。それなのに、こんな“立派な書籍"を発行したことには、ただただ驚くばかりだ。

さて、荒井退造であるが、どうか映画化出来ないものか。なんといっても、退造は昭和18年7月に沖縄県に赴任し、疎開政策では一番苦労した人物である。その意味で、退造を映画化すれば、必然的に戦時中の沖縄県の苦悩が解る。いつの日にか、映画化されることを楽しみにして、ひとまず“荒井退造のその後"を終わりにします。

数値から見えた老化現象の速度

今月も定期購読の情報誌「選択」を読み終えた。その中で、「小さくなっていく日本人」(著者=米国在住内科医・大西睦子)が勉強になったので、紹介することにした。先ずは、少し長くなるが、一部を抜粋したい。

○日本人の平均身長は、1960年代初期に生まれた世代で頭打ちになった。栄養状態が改善されて、遺伝的な潜在能力の上限に達した可能性がある。ただし、気がかりなのは、男性は79年、女性は77年に生まれた世代をピークに、毎年平均身長が少しずつ小さくなっていることだ。

○男女とも30歳頃から身長の低下が始まり、その速度は加齢に伴って高まり、特に70歳以降に加速する。具体的には、男性だと30〜70歳までの間に平均3㌢、80歳までに平均5㌢、身長が縮んだ。女性は30〜70歳までの間に平均5㌢、80歳までに平均8㌢と、より大きく減少した。

○顔の骨も加齢に伴い縮小し、周りの筋肉や皮膚がシワとなり老け顔になる。…筋肉組織の量と質の低下は、40歳代より前に始まるとも言われ、そして徐々に減少していく。以前の研究報告では、40歳以降、一般的には10年代ごとに、8%以上の筋肉量を失い、さらに70歳以降に加速するということだった。

○そして脳。脳の重さは出世時に約400㌘で、青年期までに約1・2〜1・4㌔まで大きくなるが、20歳を超えると発育が止まり少しずつ小さくなる。特に、脳の重さは、40歳以降、10年ごとに約5%の割合で減少し、70歳を超えると加速する可能性が広く知られている。

○生活の質の高い自立した人生を送るためには、痩せるより、痩せないように努力することの方がよっぽど重要だ。…米国所得トップ1%の平均寿命は男性87・3歳、女性88・9歳だ。米国人は太って不健康なイメージがあるかもしれないが、裕福な人たちはバランスのいい食事をしっかり取って体の機能を維持し、自立した生活を楽しんでいる。日本人も、そろそろ痩せ信仰はやめて、もっとしっかり食べるべきだ。

筆者も、年をとると身長が縮むことは理解していたが、これほどはっきりした数値を初めて知った。筆者の友人の一人も、身長が2㌢以上縮んだと嘆いていたが、何ら不思議なことではなかった。また、痩せるだけが、健康の秘訣ではないことも理解できたと思う。

このほか、気になる記事が3本あったので、紹介する。

○米国の「学生ローン」が大変な状況にあるという。既に学生ローン利用者が4420万人に達し、その債務総額は1・34兆ドルで、自動車やクレジットカードのそれを上回っている。学生ローン残高20万ドル以上は40万人で、60歳以上が急増して今や280万人にもなり、全体の6・4%を占めている。その債務総額は660億ドルと、60歳以上だけで日本学生支援機構の年間貸与総額1兆円の6倍という。

自衛隊の中に、中国人の「親・妻」を持つ隊員が増加中という。13年に報じられたデータによれば、外国人と結婚した者は14万人の陸上自衛隊員のうち約500人、4万2000人の海上自衛隊員の中で200人、4万3000人の航空自衛隊員のうち100人。総計で800人の配偶者が外国人で、このうち7割弱を中国人が占めた。

福島第一原発廃炉計画、「技術戦略プラン」の策定が大詰めを迎えているという。ところが、原子力専門家の中には「3基合わせて、約880トンの燃料デブリのうち、回収できるのはせいぜい半分」と発言している者がいる。また、別の原子力関係者は「おそらくチェルノブイリ方式しなないだろう」とつぶやいているという。

以上、気になる記事を紹介したが、コメントは致しません。聡明な皆さんが、自分なりにこの情報を消化して下さい。それにしても、我々の周りには、北朝鮮の核脅威、世界的な格差社会、AI(人工知能)の脅威的な進化がある。でも、私たち国民は、しっかりと現状を把握して、世界の動きについて行きたいと考えている。

旭川市をもっと重視したい

6月27日の深夜、NHKBS1の番組・北海道スペシャル「“鉄路縮小"の衝撃〜どう守る北海道の公共交通〜」(昨年12月末、北海道で放送された1時間15分間番組)を観た。番組では、昨年11月、JR北海道が「当社単独では維持困難」とする路線を取り上げ、廃止すると「街の衰退に繋がる」「人口減少に発射がかかる」との道民の声を紹介していた。また、番組に出演した遠軽町長が「札幌周辺だけ鉄路を残して、北海道はどうなるのか」との意見を述べていた。まさに、JR北海道の維持・再建は、北海道最大の問題であることを改めて感じた。

というわけで、今回は以前から気になっていたことを取り上げる。それは、多くの鉄道アナリストが「網走・北見〜札幌間は、石北本線ではなく、廃止された池北線(池田〜北見)を利用するべきであった。返す返すも残念」との見方である。つまり、トンネルの多い石北本線よりも、トンネルが少ない池北線の方が、少ない投資でスピードアップできたという見方である。その意味するところは、“石北本線の廃止はやむを得ない"と同意語で、まさに“土地勘"のない者の見方と思う。そこには、旭川市の重要性や、オホーツク管内との結びつきを無視した見方で、とてもでないが賛同できない。

そこで筆者は、北海道に置ける旭川市の重要性と、石北本線沿線に対する影響力を説明したい。旭川市は、札幌市に次ぐ第2の人口規模(34万人)で、北海道のほぼ中央部に位置している。そのため、明治時代の初期には、北海道開発のために、道庁を札幌市から旭川市に移すべきとの意見もあったようだ。そのくらい、旭川市の位置は重要である。

現在、石北本線宗谷本線の列車は、旭川市を通って、北見・網走や稚内に向かう。ところが、石北本線が廃止されると、稚内に向かう列車しか通らない。必然的に旭川市は活気がなくなるし、オホーツク管内北部(遠紋地方)は不便になる。この点を考慮すれば、そう簡単に“石北本線の廃止"に繋がる意見には賛同できない。

さらに、オホーツク管内の人たちは、長年旭川市を通って札幌に行くので、旭川市には親近感を持っている。一方、旭川市も、近隣の市町村に対しては、それなりの影響力がある。例えば、

○旭川裁判所の管轄区域には、オホーツク管内北部が入っている。

旭川市は、稚内市やオホーツク管内北部の患者の高度医療を担っている。

高校野球の北・北海道大会は、毎年、旭川市スタルヒン球場で開催している。

補足すると、稚内市やその近郊の高度医療が必要な患者は、旭川医科大学が担っていると聴く。また、筆者の同級生が60歳前後で亡くなったが、その際には遠軽町から旭川市まで、救急患者のドクターヘリで搬送されたと聴く。つまり旭川市は、高度専門医療機関が過疎地の患者を受け入れたり、道北や道東のスポーツ大会を開催する“拠点都市"でもある。また、旭川市は観光都市としても魅力的であるが、そのほかに道北や道東の観光地への出入口という側面もある。

以上、旭川市石北本線沿線との関係を説明した。要するに、札幌までの時間短縮を考えるのでなく、北海道全体のことを考えて欲しい。時間短縮を実現するならば、新たに石北トンネルを建設すれば解決する問題である。札幌だけ繁栄しても、地方が衰退するならば、北海道全体のためにならない。その点を考慮して、今後の交通体系を考えて欲しい。

今後のことを考えると、道庁機能の一部を旭川市に移すことも必要ではないのか。JR北海道の経営が厳しくなった背景には、札幌市への人口流入の多さもある。今や札幌市の人口は195万人で、道内人口の5分の2に達している。だからこそ、道庁職員を全道に配置する政策も“あり"と考えるのだ。

それにしても、2030年度の北海道新幹線幌延伸が待たれる。札幌延伸後には、豪華観光列車を「札幌〜帯広〜釧路〜網走〜旭川〜札幌」間に走らすという“夢物語"が現実化する。その“夢物語"を断念させないために、速やかに“道と国"が関わるべきだ。沿線自治体と話し合っても、根本的な解決策に至らないのだから…。

JR北海道の“夢ある" 将来ビジョン

今回、再びJR北海道を取り上げる。なぜなら、昨日発売の「鉄道ジャーナル」(8月号)に、注目すべき記事が掲載されていたからだ。

今月号は、JR北海道の“特集"ということで、昨年11月に「当社単独では維持することが困難」と公表した根室本線(根室〜釧路)、釧網本線石北本線宗谷本線(名寄稚内)の旅行記(一泊二日)が掲載されていた。だが、面白い記事であったものの、改善策などが全く指摘されておらず、多少不満な内容であった。ところが、国鉄改革30年その3「新幹線物流が動き出すーJR貨物JR北海道の明日につながる」(九州旅客鉄道株式会社初代代表取締役社長・石井幸考) という記事には驚いてしまった。驚いた理由は、JR北海道の目指す方向性として4つ挙げ、その二番目に「②北海道新幹線を上手に物流に使って貨物輸送基盤提供企業の立場を重要視する。将来的には札幌以遠稚内、網走、釧路方面を標準軌改築して、コンテナ新幹線の乗り入れも視野に入れる」と提案していたからだ。

石井氏の提案には、北海道の鉄道は“旅客輸送よりも貨物輸送の方が圧倒的に比重が大きい"という背景がある。例えば、「青函トンネル北海道新幹線開業以前、列車本数81本(往復)のうち51本が20両(+機関車)編成のコンテナ列車であり、30本が3〜7両の旅客列車(特急「白鳥」とローカル)であったから、通過車両数で数えるとなんと85%の貨物大動脈なのである。この事情は、北海道新幹線も同じで、コンテナ新幹線が走れば、旅客列車よりはるかに多い貨物列車が走る新幹線であることを認識するべきである」と解説している。さらに、数年前から提唱してきた“新幹線物流の動き出す時がきた"という時代分析も行っている。

このほか、石井氏は「北海道新幹線も含め青函トンネル通過列車について、旅客輸送需要が少なく、貨物輸送のほうが圧倒的に多いという視点が欠落している」と指摘して、将来的には「フル新幹線とミニ新幹線(標準軌改築)の組み合わせによって、比較的廉価な投資で標準軌化・新幹線化ができる」と説明をしている。石井氏の改革案に対しては、筆者も簡単なことではないと重々承知しているが、将来ビジョンが新幹線の札幌延伸以降である以上、今から準備できることは、今から準備するべきと思う。石井氏の改革案は、鉄道好きの者に夢を与えるし、鉄道本来の大量輸送、定時性、安全性という優れた特徴を十分に発揮するものである。

そこで筆者は、もしも30年後に札幌以遠が標準軌化した時、北海道の特急列車はどのくらい時間短縮するのかを予想してみた。その際には、さらに石北本線の石北・常紋両トンネルの建設、遠軽駅スイッチバック解消、宗谷本線の音威子府駅幌延駅間の直線化、根室本線の新・新狩勝トンネルの建設、池田駅〜白糠駅間の直線化が実現したとして予想した。まさにミニ新幹線の完成で、旅客列車の最高速度は160㌔になり、札幌から旭川間は1時間、遠軽間は2時間、北見間は2時間半、網走間は3時間、名寄間は1時間半、稚内間は2時間半、帯広間は1時間半、釧路間は2時間半になる。現在よりも、大幅な時間短縮が実現する。

石井氏は、最後に「今や必要なのはスピードである」、「世界は『鉄道は国家なり』『鉄道は国力なり』の時代に、再び来ている」と解説して終了している。その意味で、北海道の公共事業に携わる者は、多少の“夢物語"を持ち、先見性のある将来ビジョンを打ち出して欲しいのだ。

JR北海道の現状と改革案

筆者は、大の鉄道好きかもしれない。だからこそ、都内の書店で「全国鉄道事情大研究ー北海道篇」(著者・川島令三、2017年4月19日発行)という新刊を見つけると、迷わず購入してしまう。川島氏の著書は、以前に数冊読んでいるが、その知識の豊富さと、鉄道路線の改革案に対しては、大変驚いたものである。そのような経験から、川島氏がJR北海道に対して、どのような提案をするのか、期待と楽しみを持って熟読した。

筆者は以前、絶対に廃止してはならない路線として、札幌〜網走間、札幌〜稚内間、札幌〜根室間を挙げた。ところが、昨年11月、JR北海道が「当社単独では維持困難」とする10路線13線区を正式発表した中に、石北本線宗谷本線(名寄稚内間)、根室線(釧路〜根室間)、釧網線が入っていた。という訳で、上記4路線を取り上げて紹介することにした。

1.石北本線

◇高速バスの札幌〜網走間の所要時間は6時間、札幌IC〜丸瀬布IC間で高速道路を使うクルマの場合は4時間45分である。特急「オホーツク」は5時間20分程度だから、バスよりも速いが、クルマには完全に負けている。また、高速バスの運賃は6390円、特急「オホーツク」の運賃と料金の合計は通常期で9910円なので、時間がかかっても高速バスを選ぶ人は多い。今後、丸瀬布から北見に向けて高速道路が延びていく。高速バスよりも所要時間を圧倒的に短くしないと、特急「オホーツク」は利用されなくなってしまう。そのためにはスピードアップが必要である。

…上川〜白滝間の石北峠を一気に単線トンネルで貫通させ、160㌔運転をすれば35分は短縮する。新形気動車を走らせるのだから他の区間でも短縮することから札幌〜網走間の所要時間は4時間30分をきることは可能である。これで一気に利用者は増える。相当な費用が必要になるが、道路整備費に比べれば安いものである。◇

誠に、ごもっともな指摘・提案である。例えば、特急「オホーツク」が石北トンネルを越える際、上下線とも時速30〜40㌔くらいの速度でトンネルに向かって行く。そのため、筆者は若い頃に利用した際には、“走った方が速いのではないか"と思ったものである。多分、全国の特急列車の中で、“最も遅い区間がある"特急列車だと思う。

そこで筆者も提案したい。石北トンネルは、長さ4356㍍で、完成は1932年(昭和7年)である。当時としては、長大トンネルであったが、現在ではそれほど長いトンネルではない。ここは、15〜20㌔のトンネルを新たに建設するべきだ。更に、常紋トンネル(507㍍)は、完成が1914年(大正3年)であることで、構造物の老朽化が問題になっており、新たに5㌔前後のトンネルを建設するべきである。このほか、遠軽駅スイッチバックの解消も考えるべきだ。廃止されるくらいなら、地元は何でも協力するハズだ。

2.宗谷本線

◇クルマで札幌から稚内まで行くには道央自動車道と西海岸経由のオロロンラインを通ると5時間ほどかかる。スピードダウン前の「スーパー宗谷」も5時間弱と同じだが、クルマよりも列車が便利だと感じるためには4時間半以下にする必要がある。そのためには別ルートの高速線を建設しなくてはならない。これは大変な経費がかかり、現在のJR北海道では無理であり、その株主の鉄道運輸機構も、そんな予算を出せる余裕はまったくない。…結局、究極的には名寄稚内間の廃止か、一歩譲って冬期運休の観光鉄道にするしかない。その場合、JR北海道単独で運行する方法と、大手ツアー会社とのタイアップ、または大手ツアー会社が運営する第二種鉄道事業者の参入かである。◇

多少、悲観的な見方であるが、著書を読んでいると、名寄以北の路線は、天塩川に沿って建設されているので、カーブ・蛇行の連続である。例えば、筬島駅〜佐久駅間では、北に向かっている列車が、2回ほど南向きに走るという。そこで筆者は、音威子府駅幌延駅間は、新たに路線を建設するべきと提案したい。新路線であれば、確実に30分は時間短縮出来る。

3.根室線

根室本線が大きく変わる可能性が考えられる。北方四島のうちの歯舞、色丹島根室に近い。日本が何らかの形で、これらの島の開発にかかわるとすれば、その資材輸送の基地として根室港が使われる可能性がある。そうなると札幌貨物ターミナルから根室駅にはかっての貨物ヤードが空地のまま残っている。すぐに貨物ヤードは復活できる。◇

要するに、北方領土問題が解決した後の可能性を述べている。しかしながら、現実は無法国家・ロシアが相手である以上、簡単なことではない。

4.釧網線

釧網線は石勝・根室本線と函館・石北本線を結んで周遊ルートを形成している。釧網本線がなくなるとクルーズトレインを走らせても、石勝・根室本線あるいは函館・石北本線を往復するだけのつまらない観光クルーズになってしまう。

JR北海道が赤字のため、このようなクルーズトレインは運行できないというのならば、ツアー会社などが運営して、豪華な、あるいは大衆的な観光列車を走らせればいい。◇

多少、夢のある話しであるが、その通りと思う。補足するならば、釧路湿原と釧北トンネル(549㍍)付近は、釧網線に沿って道路が通っていないことを考慮するべきである。

以上、4路線の現状を紹介すると共に、廃止を避けるための提案をした。要は、いかにスピードアップするかなのだ。そうであるならば、新たに“直線的な新路線を建設する"ことは、避けて通れない問題と言える。また、北海道の鉄道の橋やトンネルの約1割が、築100年以上という現実を考えると、思い切った路線変更のチャンスと考える。

というものの、新たな路線建設や維持には、莫大な資金が必要である。だから、筆者は以前から「北海道開発費」を投入することを訴えている。多い時には、1兆円を超す「北海道開発費」は、どこに投入して消えてしまったのか。先見性のない人物が、北海道開発庁や道庁の幹部に就任していたから、今日のJR北海道の現状を招いた面もあるのではないのか。その意味で、現代を生きる者は、未来人から批判される“愚策"は避けなければならない。