以前からアイヌと沖縄人は、縄文人の末裔ではないと言われてきたが、これを裏付ける記事が出てきた。それは、11月13日付「読売新聞」で、大見出しは「縄文人 宮古島まで移動?」である。
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ー出土人骨に特徴/通説では交流なしー
沖縄県先島諸島・宮古島の長墓遺跡で出土した約1200〜4000年前の人骨が、日本列島本土の縄文人のDNAと同じ特徴を持っていたという研究結果を、ドイツなどの研究チームがまとめた。先史時代の先島には、本土や縄文文化を受け入れた沖縄本島と交流がなかったとする考古学の通説に、見直しが求められる可能性が出てきた。
研究チームが英科学誌ネイチャーに10日付で発表した論文で明らかにした。2008年に発掘された性別不明の骨片から核やミトコンドリアDNAを採取して分析したところ、伊川津貝塚(愛知県)や船泊遺跡(北海道)で出土した縄文時代の人骨とほぼ同じ特徴を示した。
本島から300㌔近く離れた先島諸島で出土する先史時代の土器は、本土や沖縄本島とは形が大きく異なる。共通する遺物が出土するのは10世紀からで、それまでは本土や沖縄との交流はなく、台湾やフィリピンなど南方文化の影響が考えられていた。長墓遺跡の人骨の放射性炭素年代は幅があるが、古い値をとれば本土の縄文時代に遡る。
国立科学博物館の篠田謙一館長(分子人類学)は、「本土の縄文人が沖縄本島を経由して宮古島まで移動したことを裏付ける新たな発見」と評価している。
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以上の記事を読んで、国民的作家・司馬遼太郎(1923〜96)の著書「オホーツク街道」(1997年2月1日第1刷発行、朝日文芸文庫)を思い出した。そこには、縄文人、アイヌ、沖縄人のことが書かれているからだ。
ー私は子供のころ、民間歴史家の白柳秀湖(一八八四〜一九五〇)の本を読み、なるほどとおもった。その本は、日本列島のぜんぶにアイヌが住んでいた、としている。
紀元前三世紀、北九州に稲作が入ってきて、水田のくらしがひろまるとともに、アイヌは北へ北へと去り、東北地方にしばらくいて、ついに北海道にわたった、という説である。ただし南では離島にのこった、とする。南西諸島や沖縄諸島にである。
いまでも、奄美や沖縄には、彫りのふかい顔と濃い眉、濃い毛ずねを持った人が多い。
また秋田県は、男も女も、一般的にいい顔をしている。古民族と新来の民族との配合が、うまく行ったのにちがいない。(178ページ)
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さらに、もう一カ所取り上げる。
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(縄文文化は)ざっと一万年つづいただけに、出土した遺物に多少の変化があり、これによって、早期、前期、中期、後期、晩期などと時代区分される。
しかし、出土人骨にさほどのちがいはないらしい。
縄文人の顔は、諸観察を総合して四捨五入していえば、典型的アイヌに似ている。西洋人顔にやや近く、すくなくとも眉間のあたりの線が高く隆起している(従って目がくぼんでみえる)。
また眉間と鼻のつけ根のあいだがふかく陥没し、さらには鼻が高く、鼻筋が通って、ダンゴ鼻ではない。
まぶたは、朝鮮半島型のひとえまぶたではなく、ふたえで、ぱっちりとしてみえる。
このように目鼻だちのくっきりした顔は、こんにちではアイヌのほかに沖縄や奄美諸島に多く、列島の中央部でみかける平均的なタイプよりも、容貌として際だってみえる。
こんにち、縄文人の形質が、日本列島の南北のはしに残っているといっていい。この両者の相似は、見た目での印象だけでなく、遺伝子でも非常に近いそうである。(391ページ)
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この本の取材時期は、91年9月と92年1月というから、既に30年前のものであるが、今読み返しても何ら違和感を感じない。それくらい当時の研究が進んでいたことと、司馬が研究成果を把握していたことを示す。
それにしても昔、アイヌ研究の第一人者・金田一京助(1882〜1971)が、「アイヌは日本人と違う民族である」という認識であったので、その弟子のアイヌが生んだアイヌ言語学者・知里真志保(1909〜61、知里幸恵〈著作「アイヌ神謡集」〉の弟)も、恩師の学説に異議を唱えられなかったという。しかしながら、アイヌの長老たちは「君たちと同じだ」と言っていたというから、アイヌの見識は見事というほかはない。
そもそも、アイヌと沖縄人の先祖は同じではないかと仮説を唱えたのは、明治時代に入国した西洋の学者たちであった。その理由は、司馬が書いているように「顔立ちや濃い眉」などが似ているということであった。
だが、日本人の中にも、濃い毛ずねを持った人がけっこういる。吾輩の少年時代には、大相撲の横綱・朝潮とプロ野球の長嶋茂雄が“毛深い"ということで有名であった。
個人的には昔、青森県津軽出身の知人と2〜3回温泉に入ったが、これが“毛深い"のだ。特に、黒々としたヒゲが頬を覆っているので、電気カミソリが使えず、毎日カミソリで剃るという。そう言えば、職場にも秋田県と島根県出身の人が、非常にヒゲが濃いのを覚えている。
要するに、本土出身の者にも、縄文人の遺伝子を色濃く引き継いでいる人がいるのだ。そう考えると、毛の薄い者たちは“新参者"と言えるのかもしれない。