国交正常化で中国に贈られた遠軽の桜

1972年に田中角栄首相(当時)が訪中して、日中国交正常化が実現して半世紀。その際、中国側が東京・上野動物園に贈られたパンダ2頭の返礼として、日本政府は遠軽町の「大山桜」の苗木1000本とカラマツ1000本を贈り、うち180本を北京の「玉淵潭(ぎょくえんたん)公園」に植樹した。

そのあたりのことを、4月3日付「北海道新聞」オホーツク電子版が「『「日中友好を背負ったサクラ』180本が今や2本  正常化記念に植樹  両国関係に重ね『守り、再度美しい花を』」という見出しで、次のように報じた。

【北京】1972年の日中国交正常化の際、日本政府が贈ったオホーツク管内遠軽町産のオオヤマザクラ(エゾヤマザグラ)が、今や北京市内の2本を残すのみとなった。北京のサクラの名所「玉淵潭公園」に植樹されて今年で50年。風雪にさらされ大半は根付かなかった。日中関係が不安定化する中、関係者は友好の証しのサクラを「大切に守ろう」と呼びかける。

2本は玉淵潭公園北側の「オオヤマ」にちなんだ「大山桜区」にある。1本は鉄柵で囲って3本の鉄柱で枝を支え、もう1本はアイスクリーム店の横で2本の棒で幹を支えていた。

由来などの説明もないため、足を止める観光客は少ない。日本から贈られたことを知る人は、園内でも庭師や勤務歴の長い従業員らに限られ、中国のネットメディアは3月、「意外と知らない日中友好を背負ったサクラ」と題した記事を配信した。

サクラは日中国交正常化を記念し、東京・上野動物園に寄贈されたパンダの返礼として、72年に日本政府が遠軽町の業者が育てた苗木千本を初めて贈った。記録によると、北京市内の天壇公園や万里の長城の観光名所・八達嶺に移植されたが、冬の厳しい寒さと乾燥、病気などで根付かなかったという。

現在、確認できるのは73年に180本が植えられた玉淵潭公園に残った2本だけとなった。

在中国日本大使館の垂秀夫大使は3月末、日中関係者約1100人が参加した会合で、この2本のサクラを紹介。日本人拘束などの懸案を抱える日中関係と重ね「日中関係の花は人的往来と経済関係という2本の木で成り立ってきたが今、倒れるのではないかと案じている。何としても守り、再度美しい花を咲かせていく必要がある」と話した。

半世紀前、国民の中で中国のパンダ寄贈に対して、日本政府が何を返礼したかを知っている人は何割いるのか。また、返礼として遠軽産のオオヤマザクラを贈ったことを知っている人は何割いるのか。とはいうものの、吾輩もつい5年前にネットで知ったことで、あまり偉そうには言えない。

そこで、ネットで調べてみると、次のような事実が判明した。

○国交正常化の話し合いが行われていた当時、友好の贈り物は「記念樹」と決まり、選ばれた樹木は日本人に広く愛されている「サクラ」と、中国の寒冷地に強い「カラマツ」に決定。苗木は、記念樹が植えられる予定の北京市周辺と気候や風土が似ている北海道で育成されたものということで、遠軽町で親の代から苗木の生産業を営んできた「佐々木産業」(佐々木昌太郎社長)が育てた苗木が選ばた。

○贈られた苗木は、飛行機のコンテナの高さに収まるよう、高さ1・5㍍から1・8㍍の4年生「オオヤマザクラ」と3年生「カラマツ」で、病害虫がなく、姿、形がそろった千本ずつである。選ばれた苗木は、72年10月28日午前6時30分羽田空港発のパンダを運ぶ政府特別機の「行きの便」で、佐々木社長も同行して北京空港に運ばれ、翌29日午後3時から北京市内天壇公園の広場において、北京市民1000人が参加して盛大に贈呈式が行われた。

○苗木は、苗畑に仮植されて越冬し、翌年の春に北京市天津市瀋陽市、西安市などで「中日友好の森」として中国人の手で植えられた。北京市の「玉淵潭公園」には、オオヤマザクラ1000本のうちの180本が植えられたほか、中国内外から桜が植えられたことで、今では北京最大の桜の名所になる。

遠軽町開基100年を記念して進められた「国際友好の森」づくり事業の一環として、97年2月に故佐々木昌太郎の長男・雅昭社長が訪中し、中国側の許可を得て「玉淵潭公園」のサクラの枝を持ち帰る。里帰りしたオオヤマザクラの枝木は、道立林業試験場(美唄市)などでバイオ増殖して育苗、2001年「太陽の丘えんがる公園」内の「国際友好の森」に約300本植樹される。

以上の経緯を経て現在の状況に至るが、それにしてもオホーツク海沿岸の小さな企業が「日中友好」活動の一翼を任されていたことに今更ながら驚く。そして、現在の日中関係を考えると、何とも虚しい気持ちになるのは吾輩だけではない筈だ。

最後は気分を変えて、佐々木産業のことを書く。もう何十年前から、遠軽高校吹奏楽局の生徒は、春のゴールデンウィーク期間は佐々木産業で苗畑作業のアルバイトをしている。そこで得た資金は、楽器購入や遠征費用に使用するので、非常に重要な行事になっている。そういうことで、佐々木産業には「今後も宜しくお願いします」とお礼をいいたいのだ。