北海道のヒグマによる凶悪事件の背景

11月26日に、北海道の標茶・厚岸両町で放牧中の牛を襲うヒグマ(4年間で死傷数計65頭)を取り上げたNHKスペシャル「OSO(オソ)18〜ある“怪物ヒグマ″の記録〜」が放送されたが、最近では市街地でもヒグマが人間を襲う事件が起きている。そういうことで、書店で新刊書「神々の復讐/人喰いヒグマたちの北海道開拓史」(著者=ノンフィクション作家・中山茂大、2022年11月8日第1刷発行、定価2200円)を見つけて読んでみた。

それでは、まずは北海道庁が統計を取り始めた昭和37年以降で、過去最多となった昨年(令和3年)のヒグマに襲われた4つの悲劇から紹介する。

○4月10日…厚岸郡厚岸町床譚の道有林内で、山菜採りの六十代男性が頭部に損傷を受けて死亡。加害熊は未獲。

○7月2日…松前郡福島町白符の自宅畑で、七十代女性が襲撃され死亡。加害熊は未獲。

○7月12日…紋別郡滝上町の林道で、内地から観光で来ていた六十代女性が襲われ死亡。加害熊は未獲。

○11月24日…夕張市内の山林で、狩猟のため入山した五十代男性が襲われ死亡。加害熊は未獲。

次は、著者が明治11年創刊の「函館新聞」から昭和17年の「北海タイムス」と「小樽新聞」の戦時新聞統合までの約70年分の地元紙に目を通して、ヒグマ関連の記事約2500本を基にヒグマによる凶悪事件を明らかにしている。

明治17年…死者13名、負傷者5名

明治24年…死者12名

明治29年…死者6名、負傷者18名

明治34年…死者10名、負傷者7名

明治38年…死者1名、負傷者13名

明治39年…死者3名、負傷者10名

明治41年…死者14名、負傷者12名

明治43年…死者2名、負傷者19名

大正元年…死者13名、負傷者11名

○大正2年…死者9名、負傷者8名

○大正4年…死者14名、負傷者10名

大正14年…死者3名、負傷者13名

○昭和3年…死者8名、負傷者14名

○昭和6年…死者1名、負傷者14名

北海道の人口は、明治以降に増加し続けるが、殊に明治26年以降顕著となり、明治34年には早くも百万人を突破した。そうした中で、鉄道の開通や炭鉱開発、陸軍の演習の活発化などを背景に、北海道は世界で最も人喰い熊事件が多発する特異な地域になった。ヒグマによる死者数が最も多い年は、明治41年と大正4年(いずれも14名)で、大正4年はあの有名な「苫前三毛別事件」(死者7名)があった年である。それを考えると、明治41年は凄惨なヒグマ事件が多発した年と言える。

著者は、ヒグマによる凶悪事件の多くは「増毛ー紋別ライン」より北で発生しているといい、その背景なども記述している。

①開拓史上、ヒグマによる被害が最も多かった地域の一つが士別市だが、地図を俯瞰すると、その理由をある程度、推測できる。要するに、石狩平野の入植が早い段階から進んだため、石狩川天塩川、そして日本海に囲まれた一帯のヒグマが、北海道内陸部に移動するために、天塩山地の中で大きく標高を落としている霧立峠(387㍍)を通った。その出入り口に当たるのが士別市なのである。

②昭和37年は「本道の開拓が始まって以来、といわれるほど全道的にクマが暴れ回った年」で、この年捕獲されたヒグマの頭数は「信頼できる記録では最多の868頭」であった。この年の6月29日には十勝岳噴火があり、大正15年5月にも同じく十勝岳が大噴火を起こしたが、この時にも道東でヒグマによる被害が急増したのである。

③人喰い熊の出現確率は〇・〇五%程度に過ぎない。だが、ヒグマは生後4ヵ月で母熊と同じ食物を採食するようになり、採食行動を覚えていく過程で人間が「喰いもの」であることを知った仔熊が、人喰い熊になったのではないか。そこには、ヒグマの食べ物に対する執着心が非常に強いことが挙げられる。

さて、北海道では戦前戦後を通じてヒグマの個体数は、だいたい3千頭前後で推移してきたが、その根拠は「毎年子グマが750頭程度生まれ、500頭が狩猟、250頭が自然死」という計算である。ところが、平成に入ってから一部地域では捕り過ぎから絶滅が危惧される事態になったことで、冬眠から覚めて活動を始める春に捕獲する「春グマ駆除」(冬ごもり中の熊穴でヒグマを捕獲する猟)も含めた銃猟が禁止された。その結果、この30年あまりで個体数が1万2千頭まで激増したという。

繰り返すがヒグマの個体数は、戦前にも戦火の拡大でヒグマ捕獲に勤しむ若者が減少したことで、昭和16年から25年頃までに、およそ5千頭増えて8千頭内外に膨れあがったことがある。そこで、春先の狩猟「春グマ駆除」(昭和41年~平成2年)を積極的に進めてきたが、個体数が激減したので道は平成2年にヒグマの保護と共生を目指す政策に転じたことで、近年生息数が増加し分布域も広がったという。

ヒグマの捕獲数に関しては、明治37年から大正時代を通じ昭和8年までの30年間で10756頭で、1年の平均捕獲数は358頭である。そのうち最も多く捕獲されたのは明治39年の1018頭で、最も少なかった年は大正11年の144頭であったという。

現在、北海道では以前の個体数3千頭まで減らすか否かで頭を悩ませているが、その大本は「適正頭数」は何頭であればいいのかという調整である。そういうことで、道は11月22日にヒグマ専門家による会議を開き、「毎年10月1日から翌年の1月31日までとしている狩猟期間を、最大で4月15日まで延長する」などの対策案が出され、来春以降に実施できる対策から順次講じていくという。その現状を知ると、ヒグマによる被害に遭わないために、絶対に北海道の野山には一人では入らないでほしいのだ。

※後記ー12月20日付け「北海道新聞」電子版

見出し「道内ヒグマ捕殺初の1000頭超/21年度農業被害、死傷者も最多」

北海道内で2021年度に駆除や狩猟により捕殺されたヒグマが、北海道庁の統計が残る1962年度以降、初めて千頭を越え、1030頭台(最終的に1056頭)に上ることが分かった。農作物被害額は2億6200万円、死傷者数は14人で、いずれも最多となった。生息数の増加を背景に人里周辺での出没が増えたことが要因とみられる。

道が20日の道ヒグマ保護管理検討会で暫定値として明らかにした。長年、ヒグマ調査に取り組む旧北海道開拓記念館元学芸員の門崎允昭さん=札幌市在住=の著書に残るデータによると、捕殺数が千頭を超えたのは1018頭だった1906年(明治39年)以来、115年ぶり。捕殺数の内訳は市町村が道の許可を得て行う「駆除」が9割以上を占め、ハンターが趣味で行う「狩猟」は40頭台(最終的に45頭)にとどまった。

農産物被害はデントコーンが1億3千万円と半数を占め、ビート4300万円、小麦1500万円だった。水稲被害はこれまで400万円が最多だったが、21年度は900万円に急増し、檜山管内や留萌管内で被害が多かったという。

推定生息数は残雪期に駆除を推奨する春クマ駆除を廃止した直後の1990年度の5200頭から、2020年度には1万1700頭と倍増。毎年千頭近く捕殺しているが、被害拡大の歯止めになっていないのが実情だ。

この日の会議では、来年2~5月の残雪期に若手ハンターへの技術継承のために行う「育成捕獲」の枠組みを拡大し、人里周辺での銃による捕殺を行う「春期の管理捕獲」を始める方針を確認した。冬眠明けのクマに人への警戒感を植え付ける狙いがあり、道ヒグマ対策室は「春の捕獲を増やすことで市街地や農地への出没を減らしたい」と説明した。