北京冬季五輪で輝いた選手と問題点

北京冬季五輪(2月4日から21日)が閉幕したので、昨年夏の「20年東京五輪」と同じように、購読している朝日・読売・産経各新聞のほか、毎日・日本経済・東京各新聞の記事の中から、世界が注目する選手や熱戦を紹介することにしていた。だが、紙幅の制約もあるが、取り上げるほどのスーパースターも誕生しなかったので、今大会で唯一世界新記録を樹立したスピードスケート男子2冠のニルス・ファンデルプール(スウェーデン)、スピードスケート女子で5種目に出て金1個、銀3個のメダルを獲得した高木美帆、そして感動の演技をしたフィギュアスケート・ペアの“りくりゅう"だけを紹介するに留めた。

そのほかには、今大会でも競技自体でのトラブルが多かったので、その根本的な問題点や五輪の将来にも触れてみたい。

①2月12日付け「産経新聞」ースピードスケート男子1万㍍

見出し〈ファンデルプール世界新Vー5000と2冠「目標達成」〉

男子1万㍍で、ファンデルプール(スウェーデン)が自身の世界記録を2秒21縮める12分30秒74をマークし、5000㍍に続いて優勝した。

ゴールが近づくにつれ、会場がどよめいた。驚異的な滑りで圧巻の記録をたたき出した。男子1万㍍でファンデルプールが自身の世界記録を2秒21更新する12分30秒74で金メダルを獲得。5000㍍との2冠となり、「目標を達成でき、とても満足している。想像していた以上に素晴らしい気分だ」。両手を掲げて勝利を喜んだ。

400㍍のリンクを25周するが、周を重ねるほどに疲れがたまる。そんな中、ファンデルプールは最後の2周のラップがただ一人、28秒台。特に最後の1周は誰も30秒を切れない中で28秒60をマークし、「滑っていて気持ちが良かった。疲れを克服していくところがスピードスケートの魅力」と涼しげに語った。

前回の2018年平昌五輪は5000㍍で14位だった。その後は1年間の兵役に就くなどし、一時は競技から離れながら、昨年は1万㍍、5000㍍ともに世界記録を更新する活躍。その勢いのまま五輪でも2種目で頂点に駆け上がった。

大仕事をやってのけた25歳の新王者は「少し休みたい」と、今後、休養する可能性を示唆した。

②2月18日付け「朝日新聞」ースピードスケート女子1000㍍

見出し〈清水宏保の目ー立て直した「無」の呼吸〉

200㍍から600㍍を26秒台(26秒88)で美帆(高木)が回ってきたとき、ウォーと叫んでしまった。これなら勝てる、と確信した。

5種目出場の最後のレースで、運に恵まれた。インコースからのスタートで、同走者は500㍍で3位となったゴリコワ(ロシア・オリンピック委員会)だったことだ。

1000㍍はインスタートの方が有利だ。疲れがピークになる最後の向こう正面の交差のところで前の選手を追うことができ、最後は小さなカーブを曲がってくるからだ。しかも相手はスピードのある選手で、700㍍まではほぼ互角。最後の向こう正面で、ちょうどいい程度に前にいてくれた。これを追えばいい、という最高の形になった。

レース前日に組み合わせを見たところで、美帆にはこのレースパターンが想像できたはず。体は満身創痍だったが、気持ちは楽になっただろう。

最初の3000㍍、1500㍍は苦しんだ美帆だったが、立て直すことができた。1500㍍の時は、スタート直前の呼吸が深く、ほっぺたをふくらませてからはいていた。それが500㍍では小さくなった。この日の1000㍍は、まさに「無の境地」といえる静かな呼吸だった。

疲労と反比例して、心が穏やかになっていったことが、うかがえた。

団体追い抜き決勝で姉の菜那が転倒したことで、この日の1000㍍の注目度は上がったはず。そこで金メダルを取るのは、たいしたものだ。

こういうストーリーをつくれるのも、長く競技に探究心を持って取り組み、五輪でいい経験も悔しい経験も重ねてきたから。

スピードスケートに興味のなかった人やスポーツを見ない人の心にも響く滑りをしてくれたことに、ありがとうと言いたい。(長野五輪金メダリスト)

③2月18日付け「産経新聞」ー高木選手の凄さ

見出し〈冬季1大会最多4個目ー夏季では体操・小野が6個〉

高木美はこの日の1000㍍優勝で500㍍、1500㍍、団体追い抜きと合わせて今大会の獲得メダルを4個とし、冬季の1大会での日本勢最多を更新した。従来は金銀銅を得た前回平昌大会の高木美、1998年長野大会スキージャンプで金2、銀1を手にした船木和喜(フィット)の3だった。

夏季を含めると最多は体操の6個で、60年ローマ大会の小野喬が金3、銀1、銅2、68年メキシコ大会の中山彰規が金4、銀1、銅1と量産した。女子は2012年ロンドン大会で競泳の鈴木聡美、昨年の東京大会で卓球の伊藤美誠(スターツ)が3個を獲得した。

スピードスケートではエリク・ハイデン(米国)が1980年レークプラシッド大会で男子5冠、64年インスブルック大会のリディア・スコブリコーワ(当時ソ連)が女子4冠に輝いた。どちらも冬季五輪の1大会最多優勝として名を残している。

夏季では2008年北京大会で競泳のマイケル・フェルプス(米国)が金メダル8個の金字塔を打ち立てた。

④2月20日付け「読売新聞」ーフィギュアスケート・ペア

見出し〈りくりゅう会心の舞(自己最高点7位)ー「対等」な9歳差 息ぴたり〉

フィギュアスケート・ペアの木原龍一選手(29)が、3度目の五輪に挑んだ。パートナーは、9歳下の三浦璃来選手(20)。2年半前に結成した「りくりゅう」ペアは、対等な関係で支え合って高みを目指してきた。

日本のペアとして、1998年長野大会以来となるフリーに臨んだ19日。演技直前まで気さくに話しかける木原選手に、三浦選手も笑顔で応えた。

以前、そんな2人の関係性を尋ねられ、木原選手が自嘲気味に言った。「オジさんと少女ですかね」。兵庫県出身の三浦選手が間髪入れずに突っ込む。「やだ。気持ち悪い。ザ・ジェネレーションギャップはどう?」。ぴたりと息の合った掛け合いが、演技と重なった。

20歳でシングルからペアに転向した愛知県出身の木原選手。2014年ソチ大会は18位、4年後の平昌大会は21位に終わり、「センスがない」と落ち込んだ。

19年1月、当時のパートナーと衝突し、脳しんとうを起こして競技を約2か月間休んだ。ペアが解消され、スケート場で監視員や貸靴コーナーのアルバイトをして時間を過ごした。

引退を考えていた時、三浦選手から誘いがあった。それまで話したこともなかったが、初練習で空中高く投げると、軽々と回転して技を決めた。恐怖を覚えていないように見え、「こんな滞空時間が長いのは初めて」と喜んでくれた。

これまでにない感覚を得た2人は、指導者のいるカナダに旅立った。英会話がままならず、ホームシックになった三浦選手を「兄」のように慰めた。試合では一転、演技が乱れた木原選手に「妹」が「頑張れ」と声をかけた。

「龍一君」「璃来ちゃん」と呼び合い、何でも言い合える関係を築いてきた。練習でけんかをしても、その日のうちに仲直りするのがルールだ。

19日のフリーは、前日のショートプログラムで失敗したジャンプを決め、情感豊かな滑りを見せた。リンク脇で、自己最高得点を確認した2人は、感極まった表情で抱き合った。

以上、吾輩の独断と偏見で、スピードスケートとフィギュアスケートの選手を取り上げたが、その意味するところは、五輪競技に相応しい種目であり、最も輝いていた選手であったからだ。次は、前回の平昌五輪の時にも触れた冬季五輪の問題点を指摘したい。

まず最初は、スポーツの最も重要な“公平性"に掛ける競技・ショートトラックだ。スケートには、スピードスケートという素晴らしい競技があるにも関わらず、なぜ狭い室内アイスリンクをぐるぐる回るショートトラックという競技が、五輪競技に採用されているのか。毎大会、接触あり、転倒あり(菊池純礼選手は、個人全3種目で転倒)、トラブルありで、最後は運としか言いようのない決着で、あれで本当に“公平な競技"と言えるのか、はなはだ疑問だ。今大会でも、韓国と中国はライバル同士ということもあるが、韓国が中国に有利な判定が多いとスポーツ仲裁裁判所(CAS)提訴するというトラブルが起きている。さっさと、五輪競技から追放するべきだ。

2番目は、北京五輪では前回大会から7種目増えたが、そのうち4種目が混合団体競技だ。そこには、男女が力を合わせて同じ目標に向かうという美しい思想と、時代の潮流「男女平等」に乗りたいという国際オリンピック委員会(IOC)の思惑が透けてみえる。そのため、そこにはスポーツ本来の歴史や伝統、文化などが見いだせないで、ただ単に男女間の運動能力の違いを浮き彫りにするだけであった。

3番目は、新種目として増えてきたスケートボードスノーボードという「横乗り系」競技や、前後に滑ることができる短いスキーで、ダイナミックな大技で競う種目だが、はっきり言って、採点競技は体操競技フィギュアスケートだけでたくさんだ。これらの新種目はまさに「サーカス」(辞書=動物の芸・人間の曲芸・手品などをする見世物)という感じで、そもそも大技挑戦での採点方式の種目は、個人の主観が入り込むので、いつの大会でも“疑惑の採点"などとしてトラブルを起こしている。

その現実を知ると、冬季五輪は競技種目が少ないので無理やり種目を増やし、只々「カネを持っているところになびく組織」という、商業主義に邁進するIOCの姿が見え隠れする。このように危険な大技競技を増やして、練習や試合で大怪我をしたら誰が責任を取るのか。さらにIОCには、若者に人気がある競技を普及させたいという思惑があるが、果たしてこんな危険な競技人口を増やすことに、どんな意味があると言えるのか。

要するに、世界的に冬季五輪開催に腰が引けている最大の原因は、ますます危険性が増してきた競技を五輪競技に加えて、以前から指摘されている膨張する大会費用への厳しい世論だ。冬季五輪の競技種目が少ないのであれば、夏季五輪で実施されている室内競技を冬季五輪に回せば良いだけである。それでなくても、世界的に信頼されなくなっているIОCが、こんな調子で「若い世代に受ける」という理由だけで競技種目を増やすと、五輪に価値を見出さない人々が増加し、その結果五輪開催に手を挙げる都市はなくなる。現に、北京五輪が開催地になった経緯を、IОC委員が「民主主義国家がどこもやりたがらないんだから仕方がないだろ」という言葉に表れており、いずれ近代五輪は歴史から消えることになろう。