三重県は近畿地方か中部地方か

1月12日のネットを見ていて、面白い記事を見つけた。

三重県近畿地方中部地方?孫の地図帳では「近畿」に 60代男性の戸惑いに県庁の回答は〉

三重県はいつから近畿地方に含まれているのか教えてほしいー。孫の地図帳を見て驚いたと語る60代男性から、京都新聞社の双方向型報道「読者に応える」にLINEを通じて困惑の声が寄せられた。地図を撮影したという写真は、近畿地方は色分けされた三重県がはっきりと写っている。近畿地方は「2府4県」か「2府5県」か。調べてみた。

投稿者は、滋賀県彦根市在住のパート男性(65)。今夏の全国高校野球選手権で近畿勢が4強を独占したことについて、同居する孫で市立小4年の男児と話していた際、男性が「近畿地方にいくつの府県があるか」と尋ねると、男児三重県を含めて「7つ」と答えた。男性が「三重県中部地方だ」と伝えると、男児は「近畿地方だと学校で習った。地図帳にも書いてある」と反論したという。

男性は「高校野球近畿大会に三重県の学校は出場しない。近畿地方は2府4県だと認識していた」と戸惑う。

男児が使用する地図帳の発行元「帝国書院」は、明治時代の国定教科書三重県近畿地方に組み込んでいたため、創立当初から教科書や地図帳で三重県近畿地方と紹介する。「近畿」は「畿内とその周辺地域」という意味とされ、関西弁に含まれる方言を使うなど文化面で深いつながりがあることも理由という。

帝国書院によると、三重県近畿地方としている学校教材が多いものの、地方区分は一律に定まっているものでなく、教材の地方区分の表記も各社の判断にゆだねられている。

帝国書院は「三重県は愛知県との結びつきも強く、明確に分けることはできない」としたうえで、「京都府大阪府の人は三重県近畿地方に含まれることに違和感があるようで、実際に連絡を受けることもある」と明かす。

では、当の三重県はどう考えているのか。政策提言・広域連携課は、三重県が「近畿圏整備法」と「中部圏開発整備法」の対象地域に含まれていることや、国土交通省近畿地方整備局中部地方整備局の管轄である点などに触れ、「両方に属していると思っている」と説明した。知事会についても、近畿ブロック知事会と中部圏知事会の両方に参画しているという。

(まいどなニュース/京都新聞)

ということで、実は吾輩も以前から、三重県近畿地方か、それとも中部地方かで、悩みはしないが解らずにいた。というのも、中高時代に「三重県近畿地方」と教えられたと記憶していたので、社会人になって同僚から“違う"と言われ、長年解らずにいたからだ。

本文を読んで知ったことは、吾輩が学校で使用した地図帳は「帝国書院」であったことと、そのほかの地図帳には、別段地方区分を掲載していないことであった。特に吾輩は、地理が好きな学科であったので、なおさら地方区分にこだわりを持っていた。

それにしても、教材の地方区分の表記も各社の判断にゆだねらている、という文面には驚いた。そして、日本列島の地方区分が、こんなにも“いい加減なもの"とは知らなかった。これでは、同僚と真面目に議論したことが“アホみたい"ではないか。

吾輩は、地方区分は地理的、地形的、歴史的な背景を受けて分けられたが、最近は経済活動の合理性で分けているのか、とも考えていた。つまり、三重県は名古屋に近いので、中京圏に入ったと考えていたのだ。そのような想像も、全く違うというのだから、学校で地方区分を教える必要はないということだ。

また、長野県と新潟県も、同じように地理・地形・歴史などで中部地方に含まれると考えていたが、実社会では微妙に違うものの、ほとんどが東京の行政管轄に含まれている。これも三重県と同じ理屈のようで、ただ単に経済活動の合理性で、東京の管轄に入っているようだ。

要するに、今の地方区分の表記は、ほとんどが経済活動の便利さで区分されており、その意味では地図帳で、地方区分を教えることは終わりにするべきだ。

ついでに、司法行政の8管轄(裁判所や検察など)のおかしな区分分けについて書く。静岡県(特に西部地域)は、明らかに名古屋の経済圏であるにも関わらず、東京の管轄に入っている。なぜゆえに、静岡県が東京の管轄に入っているのか、未だにわからない。どうみても東京の管轄は広すぎる一方で、名古屋の管轄は狭過ぎるからだ。

さらに言えば、以前にも書いたが、遠軽町が釧路の司法機関の管轄に入り、同じ紋別郡の他の市町村(紋別市滝上町など)は旭川の司法機関の管轄に入っている。こんな訳が分からない現状は、早く改善しなければならないが、如何せん世界に誇る官僚組織であるので、なかなか動かない。だが、法令で対応できる事柄であるので、司法官僚のサボタージュだけは許してはならない。