遠軽町「オホーツク文学館」の活用方

ネットを見ると「北海道新聞オホーツク版」(11月2日付け)に、遠軽町生田原に所在する「オホーツク文学館」のことが、見出しだけが掲載されていた。そこで、地元の友人から新聞記事を送付してもらったので、まずはその記事から紹介する。

ーオホーツク文学館活用を/JR生田原駅併設 来館者減、PR方法課題/地域を舞台にした小説など資料500点ー

遠軽オホーツク管内を舞台にした小説などの資料約500点を展示している町立の「オホーツク文学館」が、JR生田原駅に併設されている。近年は訪れる人が減り、昨年度は新型コロナウイルス感染拡大の影響もあって、前年度を約100人下回る76人の来館者にとどまった。作家の生原稿や古い本などの「お宝」も多く、PRや活用を求める声が出ている。

高橋揆一郎、渡辺淳一原田康子吉村昭、八木議徳…。文学館内には、著名な作家たちから寄せられた自筆原稿が飾られているほか、宗谷管内根室管内を含むオホーツク沿岸地方を取り上げた文学書がケースに並ぶ。森繁久弥主演で映画化された「オホーツク老人」の作者戸川幸夫の色紙もある。

「オホーツク文学館」の看板は、日本を代表する書家の一人、中野北溟さん(留萌管内羽幌町焼尻島出身)が揮毫したもの。さらに若山牧水北原白秋がオホーツクを詠んだ短歌を小川東洲さんや長谷川白羊さんら道内の書家が題材にした書、さらに道展会員4人による油絵の風景画も展示され、美術や書の愛好家も楽しめる内容だ。

合併する前の旧生田原町は、文学や文化によるまちおこしに力を入れていた。1992年に、オホーツクに関する詩歌や小説の文章を刻んだ碑19基を並べた「オホーツク文学碑公園」が完成。文学館はその翌年にオープンした。展示内容は「北海道文学史」など多数の著書がある文芸評論家木原直彦さんが監修した。館長は、滝上町出身の童話作家加藤多一さん。当時の生田原町長と高校の同級生だった縁で就任した。ほかにも同町は短歌賞・俳句賞の募集や、各種講座を開催するとともに、各地から募った短歌・俳句の碑を連ねた「歌句碑ロード」を生田原川沿いに整備し、現在までに280基に上っている。

ただ、2005年に4町村が合併し新しい遠軽町になると、賞は廃止に。毎年出ていた町民文芸誌「文芸いくたはら」も04年の第7号を最後に発行が途切れた。生田原総合支所の大泉勝義産業課長は「合併で人のつながりが途切れてしまった」と振り返る。

大泉さんによると以前、道外の文学館から、昭和期の小説家高見順の資料を貸してほしいと申し出があるなど、オホーツク文学館の所蔵品は貴重なものが少なくないといい、「活用・発信の方法があればいいのですが」と話す。

生田原の文学の灯が完全に消えてしまったわけではない。生田原短歌会(阿部須美代表)は今年6月、合同歌集「しらかば」第3集を6年ぶりに発行した。6人の39首ずつを掲載している。

また、生田原俳句同好会(田村巌代表)は定期的に句会を開いており、今年7月には文学碑公園で吟行会を実施。5人が園内を歩きながら想を練り、3句ずつを披露しあった。田村さんは「文学のマチといわれたことをどう伝えていくかが課題」と語る。

オホーツク文学館の入場料は一般160円、高校生以下60円。

以前から吾輩の誕生の地・生田原の地図を見ると、駅と同じ場所に「オホーツク文学館」という、ちょっと気になる施設があった。ということで、やっと3年前の10月に訪ねると、駅舎と図書館を併設した、それは立派な建物があった。一階は図書館で、入口で女性職員に入場料を支払い、二階の電気をつけてもらい上がると、そこには細長い、小さな部屋に、収蔵品がガラスケースに入って並んでいた。ひととおり見た印象は「吉村昭などの著名な作家の文学作品を、よくも集めたものだ」という感じであった。

しかしながら、新聞記事で、コロナ禍前の一昨年入場者数が176人という少なさには驚いた。そこで、入口付近に掲げられていた、オープン当時町長の挨拶文を紹介する(写真撮影してきた)。

ごあいさつ

オホーツク沿岸は、日本のどこにもみられない流氷文化圏です。

千島列島を望む根室半島からサハリン(樺太)を望む宗谷岬までの延々約五五〇キロメートルーーその朔北のなかの岬・湖沼・原生花園など変化に富んだ風景は四季おりおり厳しくも美しい表情をみせ、さらに豊富な北の魚たちやサイロにみる牧歌性など北のロマンを奏でて魅力いっぱいです。

このように北海道のなかでも独特な自然を誇っているオホーツク沿岸ですが、その風土は実に多くの優れた文学作品によって見事に捉えられており、かけがえのない精神文化の遺産になっています。

オホーツク圏の中央部にあって、土に生き文化を愛する私たち町民はそのことに思いをいたし、昨年九月二十六日には全国にも例をみない規模の「オホーツク文学碑公園」を造成しましたが、このたび姉妹施設として「オホーツク文学館」をオープンできましたことを喜びとします。

訪れた町内外の方々の知的な憩いの場としてオホーツク文学の香りを満喫され、明日への糧となることを願うものです。

平成五年(一九九三)七月八日

生田原町長 林 照雄

この文面では、なぜこの地に「オホーツク」という、ちょっと大げさな名称を付けた「文学館」があるのかが、全くわからない。単に、辺鄙な地域の割には「それなりの文学作品がある」ということで、人の関心を得るために付けた名称という印象を持ったからだ。

そもそも全国各地では、自治体が駅舎を建設し、その中に「地域住民が利用する施設も入れる」ことが当たり前になってきている。遠軽町丸瀬布にも同じような建物があり、生田原も本来は「遠軽町生田原図書館」という名称でよい筈である。大げさな名称を付けたために、入場者の少なさで注目されてしまった。

だが、せっかく「地方交付税」などの税金を投入して建設した以上、少しでも多くの国民に利用してもらいたい。どうであろうか、せめて土日祝には、駅前にキッチンカーを配置してみては。あまりにも駅前と駅舎内が閑散としているので、新たな賑わいを創造するために、駅舎内に椅子とテーブルを備え付ければよいのだ。少しでも、立ち寄り客を増やさないと、明らかに“名前負け"の施設になり、自治体にとっても何のメリットもない。少しでも早く、駅前を賑やかにして、前途多難な公共施設を応援すべきである。