BC級戦犯のことは忘れてはならない

昨日の「読売新聞」(9月16日付け)に、見出し「BC級戦犯忘れられた闇ーあえて直視する戦争責任 国家と個人の罪 処刑された920人の命…山折哲雄」という記事が掲載された。以前から気になるテーマであったので、全文引用する。

〈※BC級戦犯ー東京裁判で開戦責任などを問われた政府や軍の指導者らのA級戦犯に対し、BC級戦犯は、捕虜虐待や民間人殺害などについて罪に問われた者を指す。裁判は、横浜のほか、大戦中に日本が占領していた南洋や東南アジア、中国などでも実施された。5700人が起訴され、920人が処刑された。〉

今年で90歳を迎えた宗教学者山折哲雄さんは、第2次世界大戦後に連合国側の裁判によって裁かれたBC級戦犯(※)の記憶の掘り起こしに力を注いでいる。拘置所に通った教誨師が残した資料や手記、絶版になった本の復刊を相次ぎ手掛けた。戦争を知る時代の人間として、920人の処刑された命と向きあっている。

「自分は何ら絞首刑になるべき罪を犯していない。いかなる理由でこんなことをするか、今明らかにしてもらいたい」。ある者は、拘置所の所長に食ってかかった。ある者はせめて遺書だけは渡したいと託したーー。

山折さんが7月、講談社エディトリアルから復刊した田嶋隆純(1892〜1957年)編著の『わがいのち果てる日に』の一節だ。田嶋は東京・巣鴨拘置所で戦犯の教誨師として活動し、収容者から「父」と慕われた。

田嶋が接した戦犯の様子をつづる生々しい記述や彼らの遺書からは、無念さが伝わってくる。

<もちろん戦争は許しがたい罪悪だ(略)しかしひとたび国家がそれをはじめた以上、当時の日本国民として「怨敵必殺」の信念に燃えたとして、はたしてこれを個人の罪に帰して足れりとなし得るだろうか>

復刊に寄せ、山折さんはこのような文章を寄せた。

田嶋は体調を崩しながらも、教誨師を務めた。長女である澄子さん(81)は「戦犯の中にはいわれのない罪に問われた人たちもいた。父は、仏教者としてそんな戦犯の人たちを黙って見ていることが出来なかった。使命感のようなものがあったのではないか」と振り返る。

宗教学や思想史の深い知識を背景に、山折さんは日本人の精神構造や死生観、文化の基層を探ってきた。だが、「日本の仏教者や宗教者は、戦争責任の問題に向き合ってこなかったのではないか」と、年々感じるようになってきた。

戦後のBC級戦犯の問題が置き去りにされているように思っている。元首相の東条英機広田弘毅東京裁判で裁かれたA級戦犯の問題は多くの人が知っているだろう。だが、「私を含め多くの日本国民は、A級戦犯の処刑をもって戦争責任の問題は終わったと考えた。BC級戦犯には、上官の責任逃れの犠牲になった人もたくさんおられるのに、次第に忘れられていった」と語る。

2019年には、田嶋と深く関わった元戦犯で出所後、会社経営に携わった冬至堅太郎氏の手記などを編集し、『ある「BC級戦犯」の手記』(中央公論新社)を出版。20年にも評伝『巣鴨の父 田嶋隆純』(文芸春秋企画出版部)を監修し、刊行した。

実は山折さんが、編集者だった半世紀前に初めて手掛けた本が、僧侶の市川白弦の『仏教者の戦争責任』(1970年、春秋社)だった。市川は仏教者が、戦争にどう協力したかを検証していた。この本に関わった体験は、山折さんが戦争責任の問題を考える原点となった。

長い時間を経て、自分の原点を改めて見つめ直しているようにも映る。「この問題はほとんど受け継がれていない。戦争と仏教。戦争責任と国家の責任。戦犯者個人に課せられた問題。真剣に考えないといけない」

多くの人が目を背けたくなる戦後の闇を、あえて直視しようとしている。

判例基準ない裁判…実態解明待たれる〉

近年の研究で、米軍がBC級戦犯の遺体を日本側に渡さず火葬し、散骨するよう指示していたことが分かった。日本大学の高澤弘明専任講師が米国立公文書館で、遺体処理について記した公文書を発見した。

高澤氏はA級戦犯についても、太平洋上に散骨したとする公文書を同公文書館で見つけた。「極秘」とされた今回の文書は1948年8月13日付。マッカーサー元帥の命令として、日本占領にあたった米第8軍などに指示していた。BC級戦犯の裁判は明らかになっていないことも多い。「裁判には判例基準がなく、判決や量刑は裁判官、検察官のキャラクターに左右された。実態を解明するため、資料から見直す必要がある」と話す。

気になるテーマというのは、もう30年前も昔の話になるが、亡き父親と対話した内容である。父親が、東京労働基準局を定年退職する前後に、職場の飲み会で男性職員が隣に来て「私の父親はBC級戦犯で亡くなりました。この話は職場の人には話したことはありません。BC級戦犯は『個人の犯罪ではなく、日本人全体の犯罪ですよね』」と話したという。父親は、相手の立場を考えて、同僚の話しに相づちを打っていたという。そして、父親は「なぜ、自分に話してきたのか」と不思議がるのだ。

そこで吾輩は、父親に「息子の勤め先を知って、安心して話したのかもしれない。また、労働省には左翼的な考えの職員が多いし、北海道から来たオヤジであるので、安心してしゃべったのではないか」と言ったが、父親からは何の反応もなかった。

そのような経緯から、その後は「身近にもBC級戦犯の関係者がいる」ということで、どこか心の隅に“BC級戦犯"のことが気になってきたのだ。そして、まだまだ勉強しなければならないことが多い、と感じている次第である。