取手市の「小堀の渡し」に新船が就航

茨城県取手市は3月1日、利根川下流域唯一の「小堀の渡し」の船着場付近で、新船(長さ9・95㍍、幅3・0㍍、乗客人数・最大12名)の就航式を行った。利根川の“渡し"は、3箇所あると聞いているが、まずは会場で配布された冊子から「小堀の渡し」を説明する。

ー昔、利根川の流れは今よりも南側に大きく蛇行していました。明治の末、国はこの地域を水害から守るために河道を変え、新たに堤防を築く大改修工事を行いました。利根川の流れは大きく様相を変え、それまで川の取手市に位置していた井野村小堀地区は新しい河道の南側へと分断されてしまいました。生活に不便をきたした小堀地区の住民は、大正3年、新河道に通水された時から、自分たちの手で渡しの運航を始めました。これが小堀の渡しの始まりです。

その後、昭和42年からは市営になり、現在では1航路につき200円(往復で400円)の料金で運航しています。ー

以前にも取り上げたが、現在の利根川は江戸時代の水路変更でできた「人工河川」である。その後も河川改修で流れが変わり、流域にはいたるところに飛地がある。つまり「小堀の渡し」もその中の一つであるが、式典で取手市長は「今は生徒たちも渡しではなく、バスで学校に通っているので、渡し船の利用者は主に観光客である」と挨拶し、市議会議長も「年間30万人に利用されている」旨の挨拶をしていることから、現在では当初の“渡し"では利用されていない。

それにしても、近くには我孫子市の商業施設や小中学校があるにもかかわらず、未だに川向の取手市の管轄区域であることは問題である。例えば、小堀地区が我孫子市編入されると、郵便局や新聞店もどれだけ助かるのか。また、取手市も、新船建造のために約5330万円もの渡船購入費を計上することもない。埼玉県と群馬県との県境でも、利根川を挟んで群馬県太田市の管轄区域が大きく埼玉県深谷市側にはみ出していたことで、2011年3月1日、太田市の市民約140人が深谷市に移管したことがある。

そういうことで昨日、初めて小堀地区(世帯数・138、人口・333人)を訪れてみたが、思いのほか人家が多いことに驚いた。また、その途中の「古利根沼」も見たが、それは以前の河道で、利根川の蛇行の歴史がよくわかる。その後「小堀の渡し」の新船に初めて乗船し、船長に声を掛けたところ、

○新船は、銚子の造船所で建造し、ここまで運んできた。

○取手から下流は、観光船が航行することがあるが、上流は江戸時代の浅間山噴火で、川底が浅くなったので、観光船のような大きな船は航行できない。

などと話してくれた。

ネットで、千葉県と茨城県との県境を調べてみると、両県の県境には複雑な歴史があることがわかった。その背景には、元々千葉県北部と茨城県南部は、古代から下総国であったが、江戸時代の利根川の改修で分断されたという歴史が影響している。だから、ある資料の一節には、

ー従来明治期の利根川流域の歴史的事件として取り上げられてきたものは、①足尾銅毒事件②茨城河川党問題(茨城県議会内における南北選出議員の地域利害対立)であるが、この両事件に並ぶものとして、千葉県・茨城県両県の間で繰り広げられた県境変更問題は、前記二事件と並ぶ歴史的意味を持っているものと考える。筆者は、この三事件をもって、明治期の「利根川三大事件」として位置付けていきたいと考えている。ー

と記されたものがある。具体的に解説すると、明治32年4月1日に施行された「千葉県、茨城県境界変更法」で、約50平方㎞が茨城県側に移管されている。そのような歴史を知ると、簡単に県境変更に繋がる「小堀地区を我孫子市編入せよ」とは言えないのだ。

最後は、昨年10月の台風19号とその時の利根川の状況を報告します。昨年10月に関東・東北や長野県などを襲い、神奈川県箱根町では降り始めからの雨量が一千ミリを越え、長野では北陸新幹線車両基地が水に浸かった、あの台風のことだ。実は、あの時には、利根川流域も大変な状況になっていた。例えば、前述の新船就航式を見ていた女性(60代)の話しでは「取手のマンションから毎日、利根川渡し船を見ているが、あの台風の時には川幅一杯に水が流れ、堤防の上の方まで水が上がってきた」という。吾輩は、初めて茨城県側の河川敷に降りて、普段の利根川を見たが、川幅は100㍍くらいで、流れも河口の銚子までの高低差が十数㍍ということで、ほとんど見られない。ところが、堤防の間隔は約1㌔はあるが、あの台風の際には川幅一杯に流れていたというのだ。

最近配布された我孫子市の広報誌(3月1日付け)に、見出し「調節池って、なんだろう?」という記事がある。この記事によると、利根川が増水した際には、越流堤(調節池の堤防の一部を低くしてある所)から調節池内に越流する構造になっているが、昨年の台風の時には、我孫子市取手市付近の3つの治水容量約10700万㎡のうち、約9000万㎡(東京ドーム約72杯分)を貯留したという。つまり、最大容量の84%まで貯留したことになる。

このほか、利根川の水位も掲載されており、栗橋水位観測所(埼玉県久喜市)は氾濫危険水位8・90㍍で最高水位は9・61㍍、芽吹橋水位観測所(野田市)は氾濫危険水位7・70㍍で最高水位は7・88㍍、取手水位観測所(取手市)は氾濫危険水位7・50㍍で最高水位は7・35㍍であった。つまり、氾濫危険水位を超えた観測所もあったことを示している。また、前述の船長も、船着場小屋の横にある木を差して「あの立木の上に棒が横になっているが、あそこまで水が上がってきた」というのだ。確かに、あの場所なら川面から高さ7〜8㍍はあるので、水位観測所の数値は間違いないと納得した。

吾輩も昨年の台風の後、我孫子市の「田中調節池」を見たが、貯水の先端が住宅地に迫っていたので、それなりに利根川の水位の高さは想像していた。一部メディアも報道しているが、もしも群馬県の「八ッ場ダム」(満水時583㍍)の試験貯水を10月1日から始めなければ、利根川はどうなっていたのか。あの時には、12日からの大雨で、貯水池の水位が518㍍から573㍍に急上昇したからだ。それを考えると、最近の大型台風や豪雨などでの自然災害を見るにつけ、関東地方の大河・利根川は大丈夫なのか、と心配になる昨今である。