宇都宮市の有志が藤原秀郷で町おこし

1月25日、栃木県宇都宮市の有志が、平安時代中期の武将・平将門を滅ぼした(940年2月14日)武将・藤原秀郷(ひでさと)の功績を、地域活性化や町おこしに利用することをテーマに、「藤原秀郷フォーラム」を開催した。定員は約80人で、3月には「栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会」を発足させるという。

実は、ネットでこの催しを1月9日に知った以降、参加したくて悶々とした。というのも、以前(2017年12月10日)に記したが、下総国(千葉、茨城、東京など)の千葉県北部や茨城県南部には、平将門伝説が多く残され、地元には将門に関しての“ミニ学者"が多数存在し、講演会なども多く開かれている。そのため、吾輩も講演会に参加したり、将門伝説の地を訪れてきた。

ということで、地元図書館の司書に伝えたところ、「将門伝説に関心を持っている人は、この催しを知ったら参加すると思う」という反応であった。そこで、開催前日に主催者に電話を入れたところ、最初は「席は埋まっている」という返事であったが、その後「今日、席が一つ空いた」といいながら、

○明日の催しは、町おこしを目的に開くもので、県立博物館学芸員や歴史研究家の講演がある。今後のことは、参加者の意向を受け入れて活動していく。

○最近、会った人に、将門の子孫という人がいた。また、参加者の中には、将門ファンもいる。

○今後、将門を祀る東京の神田明神茨城県の国王神社を訪れてみたい。これも今後の活動になる。

となどと述べた。一方、吾輩は、

○将門の本拠地だった茨城県坂東市や、多くの将門伝説が残る千葉県我孫子市には、将門を祀る神社などもあり、将門ファンも多い。吾輩も別段将門のファンではなかったが、地元で将門の講演を聞いて、将門ファンになった。

我孫子市高野山には、藤原秀郷創建といわれる神社があるし、千葉県内には同じく藤原秀郷創建といわれる寺院もある。それを考えると、将門伝説地域の“ミニ学者"を呼んで、講演会を開催するのも良いのではないか。

○以前、宇都宮市内に居住していたので、県内の土地勘はある。将門が亡くなって既に千年。もう関係者もいないのだから、宇都宮市にとって価値あることであるならば、どんどん利用するべきだ。

など言った。

という経緯であるが、結局吾輩は参加しなかった。その理由は、要するに“トシをとり腰が重くなった"ということだ。

そもそも栃木県は、一昨年の秋に「藤原秀郷ー源平と並ぶ名門武士団の成立」(県立博物館)を開催するなど、秀郷ゆかりの地でもある。だが、栃木県内では、宇都宮市より佐野市の方が秀郷と関係が深いようだ。

というのも、昨年12月12日付け「東京新聞」栃木版に、佐藤姓は佐野の唐沢山城を居城にしていた秀郷に由来する「佐野の藤原」ということから、佐藤姓を名乗ったという有力説がある。そのため、佐野市地域活性化として、三カ年事業「佐藤さんゆかりの地聖地化プロジェクト」を立ち上げ、総額約5千万円の事業を見込むと報道している。

いずれにしても、我孫子市日秀(ひびり)の人たちは、平将門調伏のために建立された成田山新勝寺(940年を開山としている)に参ることはしないという。そのような歴史的な背景を考えると、将門を侮辱することがあれば、古くからの“将門のタタリ"にあうので、その点は気をつけた方がよい(笑)。要は、本来の目的である“町おこし"を、どのように展開するのか、ということだと思う。