「クイーン」の音楽はアイスホッケー会場では不可欠な存在

昨日、柏市内の映画館で、英国のロックバンド「クイーン」のリードボーカルだった、故フレディ・マーキュリーの半生を描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観てきた。元々、クイーンの音楽は大好きで、以前にCDを購入したこともあるが、映画の上映を知ったのは、11月30日付け「産経新聞」であった。ネットで調べたところ、10月24日に英国、11月2日に米国で封切られ、日本でも11月9日から全国で上映されていた。

そもそも、音楽的才能がない我が輩が、何故に「クイーン」の音楽に関心を持ったかというと、もう20年前の話に戻ることになる。以前にも記したが、宇都宮市内に居住していた当時、地元のアイスホッケーチーム「日光アイスバックス」の経営に関わり、同チームの本拠地「日光霧降アイスアリーナ」で多くの試合を観戦した。その際に、多くの「クイーン」の音楽が流れるのだが、その音楽が非常にアイスホッケー会場にマッチするのだ。特に、「伝説のチャンピオン」は最高であった。

さらに、2004年新春からフジテレビ系ドラマ「プライド」が始まったが、その主題歌がクイーンの「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」が起用され、主演のキムタクはアイスホッケー選手として登場した。そんなことがあり、ますますクイーンの音楽にはまり込んだ。クイーンの音楽は、今では日光の試合会場だけではなく、全国の試合会場で流れており、今やアイスホッケー会場では、クイーンの音楽は切り離すことが出来ない。その意味で、日本で一番「クイーン」の音楽に貢献したのは、アイスホッケー界とも言えるのではないか。

今では、高校野球の会場でも流されているというが、やはり激しく肉体をぶつけ合うスポーツこそ、クイーンの音楽が似合う。そういう意味では、プロレスやプロボクシングなどの格闘技、そしてアイスホッケーやラグビーなどの競技には似合う音楽だ。だが、屋外競技場の場合、どうしても音楽が拡散するので、やはり室内競技場の方が似合う音楽と思う。

さて、映画の方であるが、ラストシーンはチャリティコンサートのライヴ・エイド」(1985年)で、観客数は12万のスタジアム。その時の演奏風景の場面では、なぜだか涙が流れ、なんだか鳥肌が立った。だから、最後の場面では、その演奏風景が少しでも長く続くことを願いながら観ていたが、おそらく他の観客も同じ心境であったと思う。そのくらい、最後の演奏風景は感動の場面であった。

映画館では、例のごとくパンフレットを購入(720円)したので、フレディのことを改めて紹介したい。

ークイーンのヴォーカリスト。本名はファルーク・バルサラ。1946年9月5日に、アフリカ東海岸近くにある当時イギリス領だった島、ザンジバルで、ゾロアスター教を信奉する両親のもとで生まれた。父はイギリス政府の仕事をしていたが、55年にインドに赴任することになり、ファルークは、ポンペイ(現・ムンバイ)に近いイギリス式の寄宿学校セント・ピーターズ・スクールに入学。64年にザンジバルで革命が起こり、バルサラ一家はイギリスのロンドン北西部の町へ移住。イラストレーターを目指していたが、イーリング・アート・カレッジに入学後、ブライアン・メイらと出会い、70年に“クイーン"を結成する。ー

ーフレディは、1975年から85年までに、6回来日した。さらに、86年には単独でお忍びで来日したので、来日回数は計7回ということになるー

ー映画でフレディ役のラミ・マレックは、両親がエジプトからアメリカに移住した人物。また、フレディのトレードマークである歯と鼻には、プロセティックが使われた。ー

と記されていた。

ネットを見ると、世界中で観客数が伸びて、大ヒットのようだ。米国では、公開から10日で興行収入が1億ドル(約110億円)を突破し、全世界では既に5億ドル(約550億円)を突破。また、日本でも公開4週目にして、累計動員は243万人、累計興行収入は33億円という。最終的には50億円を超えるとの声があるようだ。

ということであるが、やっぱり本物の「クイーン」の演奏を、観て聴きたくなった。ネットを見ると、ドキュメンタリー「クイーンヒストリー1973-1980」(価格:3800円+税)というDVDが発売(本年11月2日)されていたので、さっそく音楽店に注文した。音楽的才能はないが、音楽は好きなようで、当分の間はクイーンで楽しめそうだ。