大蔵省「57 年組」ー呪われた36 年?

学校法人「森友学園」との土地取引をめぐる文書を財務省が改ざんした問題で、佐川宣寿・前国税庁長官の国会での証人喚問が、来週の27日に行われるという。そこで、佐川氏の年次を調べたところ、大蔵省の「57年組」であることが分かった。と同時に、スクラップ帳から20年前の「週刊文春」(98.5.28)のコピーが出てきた。その記事を見ると、見出しは「大蔵『57年入省組』呪われた16年ー逮捕あり、自殺あり、退職あり…」と書かれていた。つまり、佐川氏は、呪われた入省年次の官僚と同期であったのだ。

そこで、先ずは長文になるが、その記事を転載させてもらいます。

「あの57年組から次官が出たら大蔵も終わりだね」

ある省庁の中堅幹部が苦笑まじりにこう語る。

あらためて言うまでもないが、「57年組」とは、昭和57年に大蔵省に入省したキャリア官僚のこと。

当時の蔵相、ミッチーこと故渡辺美智雄氏が「私大歓迎」を宣言したり、採用者の中に体育会系や女子が含まれていたため、この57年組は「異色の人材」と持て囃された。創刊直後の写真週刊誌「フォーカス」が特集を組むほどの、ちょっとした“騒動″だったのである。

「ミッチーは初の試みが大好きな人で、『部屋にこもっているような青白いエリートじゃなく、変わったのを採れ』と指示したんです」(ベテラン大蔵担当記者)

しかも、ミッチーの号令下、採用に直接関わったのは、当時秘書課企画官だった中島義雄元主計局次長だった。

中島氏といえば、東京協和信用組合理事長の高橋治則からの過剰接待、健康飲料のサイドビジネス発覚等で、辞職に追い込まれた人物。その中島氏が「9割以上の裁量」(大蔵省関係者)をもって新人を採用したというのだから、今となっては意味深長である。

集まった人材は、東大22名をはじめとして、京大、一橋、早稲田、慶応、阪大各1名の合計27名。

57年組の面々は現在40歳手前、本来ならまさにこれから大蔵省の中核を担っていくべき人材だ。しかし、残念ながら冒頭の発言のように、57年組“非待望論”まで出る始末なのである。

はたして、彼らは特異な存在なのか。入省以来の16年、57年組にいったい何があったのか。

平成4年11月、57年組の一人、上野直哉理財局資金第二課課長補佐(当時33)は、灯台展望台から飛び降り、自らの人生に幕を降ろした。

「彼は入省以来、躁鬱が激しく、治養を兼ねて地方の税務署に行っていたこともあった。様子がおかしいので、上司が何度が出向いているはずです」(前出・大蔵担当記者)

さらに、同じ頃、一人が病死。57年組は早々に同期2人をこの世から失ってしまった。

もちろん不吉な話題ばかりではない。一筋の光明が差したかのように見えたのは、紅一点、朝長さつきさん(旧姓・現大臣官房企画官兼銀行局総務課債権流動化室長)が、国際政治学者の舛添要一氏と結婚したときだった。

61年10月、二人は知り合ってから1カ月余りで入籍。エリート女性官僚と新進気鋭の政治学者のカップルは話題の的となった。が、実際の結婚生活は3カ月ほどで破綻、平成元年、ふたりは正式に離婚した。それでも、さつきさんの結婚運はまだ残っていたようで、2年後にゴルフ用具メーカー、マルマンの片山龍太郎副社長(現社長)と、ゴールイン。

現在はさぞや幸せな結婚生活を送っているだろうと思いきや、“片山御殿″はもぬけの殻。しかも荒れ放題なのである。調べてみると、会社所有だった“御殿″は、すでに今年初め、ある商社に売却されていた。マルマンの業績不振が原因なのだろうか?

現在、港区の賃貸マンションに住んでいる片山さつきさんに話を聞いた。

「同期は非常にお気の毒な人が多いからね、まだ拘置所にいる人とかね。だから私のほうから語る気持ちにはなれません」

彼女がいう「拘置所にいる人」とは、やはり57年組の榊原隆容疑者のこと。一連の大蔵接待汚職で唯一人、逮捕されたキャリア官僚である。

「榊原は大蔵キャリア幹部の人身御供にされたという同情論も聞こえてきます。しかし、ノーパンはないにしても、玄人の女性をあてがわれていた事実を特捜部は掴んでいるようです」(司法担当記者)

若き日の榊原容疑者は「面接で尊敬する人はときかれ、両親、としか答えられませんでした」(「フォーカス」56年12月11日号)と、純朴な一面を見せている。

16年後、捜査官に挟まれ連行される彼の姿を、いったい誰が想像できただろうか。

しかも、57年組で接待汚職にまみれたのは榊原容疑者だけにとどまらない。

「榊原なんてくらべものにならないほど接待漬けだったのは佐藤誠一郎ですよ」

ある大蔵省関係者が明かす。

佐藤氏は銀行局保険一課の課長補佐時代、第一生命のMOF担から携帯電話を無償で借用。異動した後も返却せず、その代金は合計数十万円にものぼった。

この事実が発覚し、大蔵省は佐藤氏に訓告処分を課した。しかし、彼が反省したようには見えない。金融機関関係者が打ち明ける。

「訓告処分の後、彼は結局、愛知県に飛ばされたのですが、つい最近まで銀座に繰り出していたんです。それも愛知から上京してですよ。大蔵省時代の部下を引き連れ、十人くらいで高級クラブに来てましたね。さすがにその中のノンキャリがマズいと思ったのか、『佐藤さん、こんなことしてると危ないですよ』と忠告してましたよ」

「榊原があの程度の接待で逮捕されるのなら、なんで佐藤がやられないんだ。特捜部は佐藤と榊原をまちがえたんじゃないかと省内でも言われているくらいですよ」(前出・大蔵省関係者)

同僚からも総スカンといったありさまなのである。佐藤氏の周辺を取材してみて、驚くのがその超豪華な住居。

現在、住んでいる世田谷区内の超高級マンションは、地元の不動産業者によれば、1億以上の物件だという。

佐藤氏は平成7年8月に、住宅金融公庫から3370万円を借り入れているが、その後2カ月も経たないうちにローンを全額返済してしまっている。いくらキャリア官僚といえども、課長補佐レベルでは年収一千万円に満たないはず。果してどうやって資金を捻出したのだろうか。

一部週刊誌が報じたところによれば、「頭金は夫婦の自己資金と二人の両親から借りたもの。ローンの返済は佐藤本人の親が融通した」(大蔵省広報室)という。

ちなみに、佐藤氏が以前住んでいたマンションの所有者は佐藤氏の父親。「購入当時六千万円は下らなかったはず」(不動産業者)の豪華マンションを、佐藤氏のパパはポンと息子に買い与えたようである。

かじるのが親のスネにとどまっているうちは、まだ情けないで済む。だが、この男は関係業者に下半身の世話まで押しつけていたというから、開いた口が塞がらない。

「佐藤氏がいた保険課への生保の接待は銀行や証券の比じゃない。女性をあてがう下半身接待は当たり前」(経済部デスク)

この4月27日、大蔵省での過剰接待調査の発表に伴い、佐藤氏は辞職。この一連の処分では、やはり57年組の木村茂樹国際金融局総務課課長補佐が文書による厳重注意を受けている。

佐藤氏は形式上、大蔵省を一度退職し、自治省から愛知県に出向していたので、大蔵省は国家公務員法での処分ができなかった。そのため、大蔵省は再採用する形で佐藤氏を戻したのだが、新たな採用では過去の問題で処分することが不可能。結局、大蔵省が出処進退を問い、自ら辞職を申し出させる形をとったのだという。

しかしこれは実質上、懲戒免職ではないのか。辞職までの経緯を大蔵省に問い合わせたが、「一切ノーコメント」(大臣官房秘書課)と逃げの一手。事実を確かめるべく、佐藤氏直撃を試みた。インターホンごしに夫人が語る。

「懲戒免職や銀座のクラブでの接待など、一切事実ではない。どうしてそのように言われるのか分からない、と申しております」

人事院によれば、自主退職のため退職金が支給されたが、「本人から自主的に返納された形になっている」とのこと。金額は五百万円ほどだという。

「これは、実質的な懲戒免職。自主退職という形でありながら、退職金は受け取らせないというのは、中島元主計局次長のときと同じケースですね。佐藤はまさに中島ジュニアですよ」(大蔵省関係者)

ここはぜひとも採用の実質的責任者だった中島氏にご登場願いたいところだが、取材拒否。代わりに当時の秘書課課長で現日本開発銀行総裁の小粥正巳氏に問いただした。

「当時の採用基準は心身ともに健康であること、権限に対して謙虚であること、仕事以外に自分の世界を持っていることの3つでした。

まあ、人間の評価っていうのは難しいなぁ、という思いはありますけど…。結果的にいろんな人が出てきたとしても、採用のときには15年、20年先の組織を担ってもらうつもりで採用したわけですから…。それ以上なんとも申し上げようがございませんが…」

呪われた57年組よ。どこへ行く。

どうですか、約20年前の大蔵官僚の“接待漬け"スキャンダルを思い出しましたか。ノーパンしゃぶしゃぶ、ストリップショー、芸者売春…。それにしても、佐川氏が、世間を騒がした榊原、佐藤と同期とは、我が輩も知らなかった。これでは、「呪われた36年」ではないか(笑)。しかしながら、呪われた年次の割には、この期から事務次官国税庁長官2人が輩出するなど、人数が少ない割には、上位のポストを獲得している。

というわけで、昔の週刊誌を長々と転載したが、今読んでも面白い記事である。それを考えると、新たなネタを挿入して、この年次を改めて書いて欲しいものだ。というものの、この年次は単に“運がない年次″なのか、それとも“問題を引き込む年次″なのか、といろいろと考えてしまう。いずれにしても、来週の証人喚問に注目したい。