岩波書店の元社長・安江良介のことは忘れない

岩波書店は、1月12日に「広辞苑第七版」を発売したが、10年前に発売された「広辞苑第六版」では、台湾を中国の一部の「台湾省」と紹介しているので、台湾側は昨年12月11日に、岩波書店側に表記の修正を求めた。これに対して、岩波側は同22日付けで、「記述を誤りとは考えていない」との見解を自社のホームページで発表した。

それで思い出したのが、昨年12月29日に発売された「朝日新聞と言論犯罪」(WiLL2月号別冊)の記事「現代史の検閲者朝日新聞」(長谷川煕元朝日新聞記者)である。その内容は1970年代後半、朝日新聞の台湾政府に対する対応で、先ずはその記事の該当部分を紹介する。

中国報道とはとくに関係のなかった私は、この災厄にもろに遭うことはなかったが、こんな体験があった。文革の終末期のころだったと思うが、出先の記者クラブに、デスク(次長)から電話があり、怒鳴りつけられた。「それでもお前は記者か。お前にその資格はないぞ」といった式のどえらい罵声だった。どうも、私の原稿に「台湾政府」と書かれていたからのようだった。日本は中華人民共和国と国交を樹立し、台湾に落ち延びた中華民国とは断交したのだから、台湾はもはや国家ではなく、中国の一小地方に過ぎず、そこに中国と同格のような「政府」という言葉をつけるとは何事か!ということのようだった。

そうは言っても、台湾の中華民国と国交を維持している国々もあり、台湾が国家の一つであることは紛れもない事実であった。

しかし、中国共産党の中国を奉る朝日新聞社内には、台湾の中華民国を「国家」扱いしたり、その行政当局を「政府」と呼ぶことも排除する事実上の検閲体制が敷かれていて、そこから外れる原稿を出した私は記者の資格のない屑者とみなされのだろう。

以上の文章を読むと、朝日新聞岩波書店は、同じ体質を持っていると感じた。つまり、物事の判断を常にマルクス主義的に考える、さすが左翼勢力の巣窟である“朝日・岩波"と言えるからだ。

さらに言わせて貰うと、昨年発売の月刊誌「世界」(6月号)に、インタビュー記事「トランプは北朝鮮への威嚇や軍事拡大をやめ、鎮静化を図れ」という見出しで、北朝鮮の先送り戦略によって、核ミサイルが完成・配備している現実を完全に無視している内容であった。これでは、国連決議を無視して、核とミサイル開発を推進した北朝鮮に免罪符を与えるではないか。いつまで、左翼思考に立脚して国際情勢を分析し、米国と安倍政権を批判するのか、と思うのだ。

思い起こすと、岩波書店の出版物は、戦後の長い期間、多くの学生に読まれてきた。その思想的背景は“反米親ソ"という左翼思想であるが、筆者も若い頃には、多くの書物を読んだものだ。しかしながら、ある時点から岩波書店の“体質"に疑問を持った。それは、“北朝鮮大好き"の元社長・安江良介(1935〜98)の講演を聴いてからだ。

調べてみると、安江は1960年から91年までの間、5回訪朝している。だから、筆者が安江の訪朝報告会に参加したのは、2回目の訪朝(78年頃)の後である。その時の安江は、北朝鮮の招待を受けて訪朝し、金日成主席と会見したので、帰国後に大々的な訪朝報告会を開いたのだ。その際、安江は“金日成大好き"ぶりを隠しもしないで、金日成を仰ぎ見るように敬語を使うのだ。例えば、金日成については「金日成主席」と言い、韓国に対しては、侮蔑的に「南朝鮮当局」と言う。また、北朝鮮経済については、当局が提供した経済統計を鵜呑みにして、国民の衣食住は完全に解決したという、例の「地上の楽園」のような話しをする。現在では、安江が紹介した統計数字は、経済目標値であって、達成した統計数字でないことは明らかになっている。しかしながら、安江は得意になって、北朝鮮経済を誉めちぎるのだ。

筆者が問題にしたいのは、このような“軽薄人間"が、美濃部都知事の特別秘書に就任(67年)して、朝鮮学校各種学校として認可する問題の早期解決を進言、その後に岩波書店4代目社長(90〜97)に就任したことだ。まともな組織・団体にも、おかしな人間はいるが、その組織のトップに就任することはないハズだ。ところが、岩波書店は、この“軽薄人間"を社長に就任させている。このニュースを聴いた時には、「岩波書店はおかしな会社だなぁ」と感じたものだ。その時に感じたイメージは、今になっても消えない。

現在、多くの国民が、北朝鮮の脅威を感じている。その理由は、金一族の独裁国家で、異常な集団であるからだ。しかし、筆者は既に40年前から異常な国家と見ていた。その違いは何なのか。つまり、安江のように一流大学を出て、一見優秀に見えても、マルクス主義に被れる人間は“軽薄人間"が多い。だから、岩波書店は素晴らしい辞典を出版しても、過去には“軽薄人間"が社長に就任していることを忘れてはならない。

なお、この際の講演内容は、翌月の月刊誌「世界」に掲載されたので、関心のある人は「国立国会図書館」で見て欲しい。但し、講演者の表情や言葉のイントネーションが伝わらないので、そこが残念なことである。