第53回全国大学ラグビー選手権大会決勝!

今年の全国大学ラグビー選手権大会決勝(1月9日)は、近年まれにみる大一番と見ていた。その理由は、過去に舞台は違うものの、新日鉄釜石神戸製鋼の日本選手権“7連覇"を越す、大学選手権“8連覇"を帝京大学が目指していたからだ。つまり、日本のラグビー界にとって“7連覇"という数字は、それだけ価値がある金字塔であった。

そして決勝戦は、後半28分に帝京大学が“微妙"なトライなどを決めて、東海大学に33−26で勝利し、前人未到の“8連覇"を達成した。しかしながら、決定的なトライが“微妙"であったことで、実に後味の悪い試合になった。この場面は、帝京のキックを帝京と東海の選手が追い掛け、主審は帝京のトライとて判定したことで14点差になり、ある程度勝負を決定付けた。

残念な判定であったので、筆者はできる限りテレビや新聞の報道内容を確認し、更にラグビー関係者に尋ねた。その結果、ラグビー関係者から「私の周りの人は、皆、あれをトライとは見ていない」との発言に出会った。更に、慎重を期すため、1月25日発売の月刊誌「ラグビーマガジン」(3月号)の発売を待って、自分自身の“想い"を発信することにした。

それでは、「ラグビーマガジン」に掲載された“微妙"なトライの説明を紹介する。

王者(帝京大学)はさらに畳みかけた。(後半)28分には右ラインアウトからのアタックでセンタークラッシュ。順目に攻めた松田はインゴールにキックを転がし、それをWTB竹山晃揮が追った。松田は「声が聞こえたから蹴った。竹山が声を出すのは、トライをとれるとき」と自信があった。

レフリーが竹山のトライと認め、スコアは33-19と開いた。ただ、東海大・木村季由監督が「トライと言うのであればトライ」と振り返るようなシーンだった。

東海大FB野口竜司もキックをチェイスしていた。姿勢が低かったのは野口で、両手をボールにかけていた。戸田京介レフリーは時間を止め、久保修平アシスタントレフリーに意見を求めた後にトライとしたが、両者の位置からはグラウンディングの瞬間を確認できるはずもなかった。

場内の大型ビジョンに当該シーンが映し出されたとき、多くの人の目には野口が先に押さえたように見えた。ただ確信は持てなかっただろう。しかし、その映像を通じて実は野口が先に押さえたと分かろが、竹山の方が早かったように見えようが、関係なかった。大学選手権ではテレビ・マッチ・オフィシャルは採用されていない。

自分の目では判断できず(アシスタントに質問)、トライかどうか確認できなかった(アシスタントは「私の位置からは確認できませんでした」)のだからローブックに従うべきだった。そこには「疑わしきはノートライとし、5㍍スクラム(この場合、帝京大ボール)」とある。

やはり、ノートライにするべきであった。それにしても、「ラグビーマガジン」は、よくもこれだけの内容を書いたものだ。新聞やテレビの中には、日本ラグビー協会に気を使ってか、あの微妙なトライに触れないメディアがあった中で、よくも踏み込んで説明をしてくれた。ある面、勇気ある編集者たちに拍手したい。

それにつけても、残念な試合になってしまった。歴史的な試合になった可能性があったのに、主催者の不手際で“台無し"にしてしまった。つまり、あのトライを認めなかったならば、その後、どのようなドラマチックなことが起こり、どのような結末を迎えたのか、いろいろと想像してしまうのだ。もしも、劇的な終わり方をしたならば、ラグビーフアンの多くは、いつまでも試合内容を記憶しているし、ラグビー人気にも貢献したと思う。

更に、更に、スポーツライターが、素晴らしい試合内容のノンフィクションを書くであろうし、テレビも20年後、50年後に映像を見ながら、当時の試合を振り返る番組を制作するであろう。つまり、スポーツ本来の“記憶"“感動"“涙"などなどを、あの判定で全て“ぶち壊す"ことになった。そのため、今後30年、50年後、帝京大学の“8連覇"という数字だけが言い伝えれて、試合の内容に触れない事態になった。その意味で、主催者側の責任は、計り知れないものがあるし、言い逃れも出来ない。今の時代、もう“想定外のトライでした"という弁解は許されないのだ。