プーチンとキッシンジャーとの接点

謹賀新年

今年も幸多き年でありますようお祈り申し上げます。本年もよろしくお願い申し上げます。

さて、年末にいろんな雑誌を読んでいると、ロシアのプーチン大統領キッシンジャー国務長官が、相当親しいという。更に、年末に郵送されてきた月刊誌「選択」で、プーチンとの関係が深い米石油大手「エクソンモービル」会長兼最高経営責任者(CEO)のレックス・ティラーセン(次期国務長官)より、キッシンジャーの方が親しいという記事である。その記事では、ティラーセンは「キッシンジャー国務長官を除いて、一緒に過ごした時間が最も長いアメリカ人」(トランプ次期大統領)と書かれていた。

そこで筆者は、何故にプーチンキッシンジャーが親しくなったのか、と考え込んでしまった。そして、2015年10月末に発売された新刊本「プーチンの実像ー証言で暴く『皇帝』の素顔」(著者=朝日新聞国際報道部、349ページ)という本を思い出した。そこには、キッシンジャーが、プーチンサンクトペテルブルグ市第一副市長時代(1994年3月〜96年6月)に、サンクトペテルブルグを訪問して、プーチンが出迎えた時の状況が書かれている。その文章(177〜78ページ)を紹介すると、

プーチンキッシンジャーの言葉を紹介しただけではなかった。会ったときの様子を、まるで昨日のことのように事細かく再現している。

「当時、サンクトペテルブルグの発展と外国投資誘致のための『キッシンジャー・サプチャーク』委員会というものがあった。キッシンジャーは確か二度ほどやってきた。私が彼を空港に迎えに行ったことがあった。同じ車に乗って、宿舎に向かった。道中、彼は私に尋ねた。どこから採用されたのか。何をやっていたのかと。好奇心旺盛な老人だった。寝ているように見えて、その実、すべて見て、すべてを聞いていた。私たちは通訳を介して話した。彼は『長くここで仕事をしているのか』と尋ねた。私は『一年ほどです』と答えた」

その後、キッシンジャープーチンはこんなやりとりを重ねたという。

「それまで何をしていたのかね?」

レニングラード市議会です」

「ではその前は?」

「大学にいました」

「大学の前は?」

「その前は軍にいました」

「どの軍にいたのかね?」

ここで、プーチンキッシンジャーを驚かせてやろうと思ったという。

「私は、情報機関で仕事をしていました」

しかし、キッシンジャーは動じなかった。

「外国で働いていたのかね?」

「ええ、ドイツで」

「東、西どちらか?」

「東です」

プーチンは、キッシンジャーが情報機関の出身だということをこのとき初めて知ったという。キッシンジャーはドイツのユダヤ系の家庭に生まれ、ナチスを逃れて米国に亡命。第二次世界大戦では、ドイツ語の能力を買われて、軍の情報部門に勤務していた。

「きちんとした人間は情報機関から始める」。キッシンジャーのこの言葉も、プーチンにとってはうれしいものだったに違いない。プーチンは大統領就任後も、折に触れてキッシンジャーと意見交換する機会を持っている。

ということで、両氏は約二十年前、サンクトペテルブルグで初めて会っている。その時のキッシンジャーは、実にしつこくプーチンの経歴を尋ねているが、このしつこさが本人を大学者にしたのかもしれない。

それでは、何故に何回も会うことになったのか。推測であるが、お互いに国際的視野を広げる上で有益であるし、戦略的情報(インテリジェンス)の重要性を理解しているからと思う。更に、現在の世界では、大量破壊兵器の製造及び拡散、国際テロという外的脅威に対抗するために、共同戦線を組むことも視野に入れていたかもしれない。つまり、一国で対処出来る問題ではないので、諜報ネットワークの構築という背景のことである。このほか、諜報に関わった人間は、現役を引退した今でも“情報の深層"に触れたいという願望があるものだ。

それにしても、高齢(93歳)のキッシンジャーの情報収集に対する熱意と、好奇心旺盛な姿には驚いてしまった。