第8回ゾルゲ事件国際シンポジウムの開催状況及び感想等

第8回ゾルゲ事件国際シンポジウム「ゾルゲ・尾崎処刑70周年 新たな真実」が11月8日(土)、都内の明治大学で開かれた。参加者は約150人で、開催時間は約4時間であった。

日露歴史研究センター代表・白井久也(元朝日新聞記者)の挨拶を受けて、1945年1月に服役中の網走刑務所で獄死した「ゾルゲ事件」首謀者の一人、ブランコ・ブケリッチの長男・ポール(母親はデンマーク人エディット、豪州居住)と次男・山崎洋(母親は山崎淑子、ベオグラード大学教授)、元豪州外交官・マギー(ゾルゲ事件研究者)の3人が、それぞれ来賓挨拶を行った。更に白井氏は、会場にいたポール・ブケリッチの妻と娘2人を紹介した。

引き続いて、パネリスト5人が、ゾルゲ事件関連について発表を行った。

①ゾルゲ断章ーわたしの執筆ノートより…作家・小中陽太郎

篠田正浩監視の映画「スパイ・ゾルゲ」(03年公開)では、ブケリッチと山崎淑子が初めて出会う場面があるが、淑子の服装は和服であった。しかし、私が会った時には90歳前後であった淑子が「映画の中で、私の服装は和服であった。でも、私は津田塾の学生で父は大学教授。日本女性が和服しか着ないときに洋服でしたから、ブケリッチは私をみそめたのですのよ」と女心の機微を垣間見せた。淑子にとっては、ゾルゲ事件より愛恋の方が重要だったようだ。

②中国におけるゾルゲ関係研究について…中国復旦大学教授・威志軍

中国にとって、ゾルゲは「中国革命に貢献した赤色情報員」「永遠に記念すべき世界反ファシスム戦争の英雄」として位置づけられている。だが、中国でのゾルゲ研究は不十分で、その背景には中国共産党内に回想録を書く習慣がないからである。しかしながら、昔から党員が自伝或いは自述を書く慣例が存在するので、将来的には公的機関が公開する可能性がある。

ゾルゲ事件の端緒をめぐる諸問題…社会運動資料センター代表・渡部富哉(昭5生)

ゾルゲ事件では、1939年11月に検挙された伊藤律の供述(米国帰りの日系米国共産党員・北林トモのこと)が、ゾルゲ事件発覚の端緒になったと言われてきた。ところが2000年9月、モスクワで開催された「第2回シンポジウム」で、ロシアのKGB幹部が、旧満州関東憲兵司令部から入手した資料の中に、ゾルゲ事件摘発の功績に対する特高警察一課の関係者10人と外事課関係者41人に対する「褒賞上申書」を発表した。その中には、当間素一(外事課欧米係)の「功績の記述」欄に、「1940年6月27日から北林トモの監視を行った」ことが書かれており、既に伊藤律の供述(40年7月)より前から北林トモを監視していた。要するに、「伊藤律から北林トモの名が漏れた」と特高警察の宮下弘は言うが、事実経過は異なっている。

④整理が急がれたゾルゲ諜報団「ラムゼイ機関」…ロシア国立軍事公文書館研究員・ミハエル・アレクセーエフ

当時、ゾルゲの上司による評価は高くない。例えば、軍事報告は総じて完全に合法的な資料(「軍事と技術」「日本並びに他国の軍隊」「対空防衛の手引き」、航空雑誌やその他の雑誌の抜粋)を使ったものが多い。また、ゾルゲの外見上の印象として、動き回る視線、話し相手と目を合わせることを避けること、落ち着きのない態度、激しやすいこと、判断が上滑りなこと。自信過剰で、無遠慮であると記録されている。(発表の最後に「ロシアには死者に対して、1分間黙祷する習慣がある」と発言したので、参加者全員が立ち上がって黙祷した)

⑤「戦後ゾルゲ団」「第二のゾルゲ事件」の謀略?…早稲田大客員教授加藤哲郎(昭22生)

○上海においてゾルゲに尾崎秀実を紹介したのは、日本の死刑判決文やウィロビーらの言うアグネス・スメドレーではなく、米国共産党員・鬼頭銀一であった。また、鬼頭が「上海ゾルゲ団」の一員であったことが、ロシア側研究で初めて確認された。

○米国陸軍諜報部はシベリア抑留帰還者に対する尋問によって、ソ連スパイ352人を割り出し、内138人がスパイ工作を受けたと自白し、その中の32人が帰国後ソ連当局から実際に接触を受けたという。

○上海でのゾルゲの助手で、ソ連の核開発に大きな役割を果たしたウルズラ・クチンスキー(ハンブルガー夫人、党名ソーニャ、マンハッタン計画の原爆スパイ=クラウス・フックスを英国で獲得)や、ラストボロフ事件に関与した外務省の泉顕蔵(日ソ中立条約締結に直接関与)が、今日「ゾルゲ以上のソ連スパイ」と評されるように、「事件」として表面化し検挙されなかったソ連諜報員が存在した可能性も否定できない。

以上でパネリストの発表が終わり、2〜3人の質問があって終了した。

今回のシンポジウムに参加して参考になったことの第1は、ブケリッチの遺児2人を見ることが出来たこと。次男は、日本で成長したので、新聞などで顔写真を見ていたが、長男は初めて見た。第2は、渡部氏などの研究で、ゾルゲ事件の“伊藤律端緒説"が否定されていること。第3は、渡部氏と加藤氏の2人が、これまでのゾルゲ事件研究で、相当な成果をあげていることであった。

ところで、筆者はシンポジウムの休憩中、渡部氏に「あなたは白鳥事件の本(白鳥事件 偽りの冤罪)を書いた人ですか」と尋ねたところ、本人が「そうです」と答えたので、筆者は「あの本、素晴らしい内容ですね」と述べた。それに対して渡部氏は、気難しい顔を一変させて、「どうも、どうも」と言って、筆者の右手を両手で握って、上下に揺すった。やはり、自分の著書を誉められと、気難しい人でも嬉しくなるのだと思った。

最後は、ゾルゲの愛人・石井花子(1911〜2000)のことを書くが、既に約35年前の話しなので、詳細なことは忘れた。1978年ころ、大手新聞に「ゾルゲの命日に集会」との小さな記事が掲載されたので、土曜日の勤務後に会場に赴いた。会場はビルの一室で、既に数人が集まり、4つくらい並んだ長机の席に座っていた。

席に座っていると華やかな服装の石井花子、その後に尾崎秀実の異母弟にあたる作家・尾崎秀樹(1929〜99)が和服姿で入ってきた。石井と尾崎は、長机の真ん中の席に並んで座り、そのために筆者は両人の正面に座ることになった。

石井と尾崎が着席すると、すぐに長机の隅に座っていた男性が、集まりの趣旨説明を述べた。その後は、主に両人が、参加者を前にゾルゲや尾崎秀実たちの思い出話しをした。結局、参加者は12〜3人で、約2時間で集まりは終了した。

筆者が今でも覚えていることは、石井と尾崎が共に「ゾルゲと尾崎は、共産主義のためというよりも、戦争を回避して世界平和のために活動した」旨の発言である。このほかでは、石井の肌の白さとモダンな雰囲気である。今風にいえば、色白のデヴィ夫人という感じか(笑)。いずれにしても、非常に勉強になったシンポジウムであった。